山手線の駅から5-6分。静かな住宅地に其のマンションはありました。
4LDKのしゃれた住まい、此れが老女のマンションです。
今日も大手銀行の営業マンが尋ねてきて、コーヒーまで
自分で入れて2時間近く罪の無いお喋りをして先ほど帰りました。
老女は腰痛の為に、もう会社には出勤して居ません。
しかし夫亡き後50年守りとおした会社です。営業は若い50台の
専務に任せて、資金だけは自分が切り回しして来ました。
最近まだ、自宅から、寝ながら会社に指示をしたり、
銀行と遣り合って居ます。
何時の間にか、銀行の担当者は、老女の家にやってくるのが
普通になって居ります。そんな行員に平気で老女は命令します。
「悪いけれどあんた、お茶を入れて貰えない?
コーヒーは其の棚の上、こっちの戸棚を開けると
お菓子があるからそれを出して。」
パートは通院の時の他、毎朝2時間くらい。
この間に食事の用意などをして貰い、後は老女一人です。
行員の誰もが、自分のお茶を入れて居る間に、
すっかり老女のペースに溶け込んで居たのです。
どの行員も「此処に居るときが一番気が落ち着いた。」と云って
居ますから。老女にそれだけの雰囲気があったのかも知れません。
会社は、繁華街の外れ、オフィス街との接点にある、
昔からの本屋です。此処にも不景気は押し寄せてきました。
そんな時、広告業の会社が2社、続いて引っ越したのは、痛かったです。
社員の立ち寄りだけでなく、会社に届ける書籍も又大きかったのです。
夕方など人の入りは目に見えて悪くなりました。
老女の会話も違ってきます。
「どうしましょう。お金が無いよ。うちは倒産になります。」
遠回しに貸せろ云うのと同じです。貸さないご時世ですが、
行員のお休み処の所為か、銀行借入れは徐々に増えて行きました。
しかしこんなことも有ります。
老女の借入は、昔から、保証人もなければ担保もありません。
資産も何を持っているか解かりません。何時しか銀行員は
老女の隠し資産を見つけることに躍起です。この繁華街で立派な
本屋を50年、恐らく一人になったからでも30年は過ぎているでしょう。
隠し資産が無い筈は無いとどの銀行も読んで居ます。
しかし此れは銀行の負けでした。
老女は元々隠し資産など持っていません。
あっけらかんに「そんなもの無いよ。」と云う老女を見て、
どの銀行員も逆に「隠し資産を持っていること間違い無し。」
と云う信念を強くして居ります。此れが老女に対する融資の
原因の一つになって居ることは間違いありません。
どの銀行の行員も、老女のことを考えてか、影で懸命に融資を
図ってくれたみたいです。老女には黙っていて、融資が決定すると、
さりげない口調で老女に伝え、喜ばせます。
その為に、3-4年は他所より長く持って居ます。
業績は好転しません。銀行もついに融資は打ち切ります。
1行すれば直ちに他の銀行の知る処となります。
ついに倒産を覚悟した老女にリスケを教えたのは行員です。
当人は返済が出来なくなれば、何時銀行に潰されるかと
覚悟して居ました。隠し資産を開示してくれれば幾らでも
貸してあげますと云う銀行も有りましたが、其れも適わず、
自宅で銀行員の助けを借りてリスケの書類を作りました。
こんな人は他には居ないと思います。
しかし、こうした気苦労は、一気に老女の容態に影響してきました。
ますます動けなくなったのです。ベットの隣のソファーで話すことも
出来なくなりました。ベットに寝たきりです。
痛みを我慢しているためか、思考力も鈍ってきました。
行員と話しても、以前のような軽い切り返しも出来ません。
行員も気を使う様になったのです。
次第に行員も、会社に居る専務を相手にする様になりました。
もう銀行員のお休み処は無くなります。
それどころか肝心の老女すら入院をせざるを得ないでしょう。
こんな80歳の老女でも会社の資金を支えてきました。
しかし今後専務にできるか心配です。
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4LDKのしゃれた住まい、此れが老女のマンションです。
今日も大手銀行の営業マンが尋ねてきて、コーヒーまで
自分で入れて2時間近く罪の無いお喋りをして先ほど帰りました。
老女は腰痛の為に、もう会社には出勤して居ません。
しかし夫亡き後50年守りとおした会社です。営業は若い50台の
専務に任せて、資金だけは自分が切り回しして来ました。
最近まだ、自宅から、寝ながら会社に指示をしたり、
銀行と遣り合って居ます。
何時の間にか、銀行の担当者は、老女の家にやってくるのが
普通になって居ります。そんな行員に平気で老女は命令します。
「悪いけれどあんた、お茶を入れて貰えない?
コーヒーは其の棚の上、こっちの戸棚を開けると
お菓子があるからそれを出して。」
パートは通院の時の他、毎朝2時間くらい。
この間に食事の用意などをして貰い、後は老女一人です。
行員の誰もが、自分のお茶を入れて居る間に、
すっかり老女のペースに溶け込んで居たのです。
どの行員も「此処に居るときが一番気が落ち着いた。」と云って
居ますから。老女にそれだけの雰囲気があったのかも知れません。
会社は、繁華街の外れ、オフィス街との接点にある、
昔からの本屋です。此処にも不景気は押し寄せてきました。
そんな時、広告業の会社が2社、続いて引っ越したのは、痛かったです。
社員の立ち寄りだけでなく、会社に届ける書籍も又大きかったのです。
夕方など人の入りは目に見えて悪くなりました。
老女の会話も違ってきます。
「どうしましょう。お金が無いよ。うちは倒産になります。」
遠回しに貸せろ云うのと同じです。貸さないご時世ですが、
行員のお休み処の所為か、銀行借入れは徐々に増えて行きました。
しかしこんなことも有ります。
老女の借入は、昔から、保証人もなければ担保もありません。
資産も何を持っているか解かりません。何時しか銀行員は
老女の隠し資産を見つけることに躍起です。この繁華街で立派な
本屋を50年、恐らく一人になったからでも30年は過ぎているでしょう。
隠し資産が無い筈は無いとどの銀行も読んで居ます。
しかし此れは銀行の負けでした。
老女は元々隠し資産など持っていません。
あっけらかんに「そんなもの無いよ。」と云う老女を見て、
どの銀行員も逆に「隠し資産を持っていること間違い無し。」
と云う信念を強くして居ります。此れが老女に対する融資の
原因の一つになって居ることは間違いありません。
どの銀行の行員も、老女のことを考えてか、影で懸命に融資を
図ってくれたみたいです。老女には黙っていて、融資が決定すると、
さりげない口調で老女に伝え、喜ばせます。
その為に、3-4年は他所より長く持って居ます。
業績は好転しません。銀行もついに融資は打ち切ります。
1行すれば直ちに他の銀行の知る処となります。
ついに倒産を覚悟した老女にリスケを教えたのは行員です。
当人は返済が出来なくなれば、何時銀行に潰されるかと
覚悟して居ました。隠し資産を開示してくれれば幾らでも
貸してあげますと云う銀行も有りましたが、其れも適わず、
自宅で銀行員の助けを借りてリスケの書類を作りました。
こんな人は他には居ないと思います。
しかし、こうした気苦労は、一気に老女の容態に影響してきました。
ますます動けなくなったのです。ベットの隣のソファーで話すことも
出来なくなりました。ベットに寝たきりです。
痛みを我慢しているためか、思考力も鈍ってきました。
行員と話しても、以前のような軽い切り返しも出来ません。
行員も気を使う様になったのです。
次第に行員も、会社に居る専務を相手にする様になりました。
もう銀行員のお休み処は無くなります。
それどころか肝心の老女すら入院をせざるを得ないでしょう。
こんな80歳の老女でも会社の資金を支えてきました。
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