かっ飛ばせ借金 打ち勝て倒産

 
 ‐オグチ経営研究所‐

 ☆★自分でできる経営の再生と整理★☆

  

けじめ

2006-06-08 | 事例
銀行の不良債権になった時、最近は殆ど100%の債権がサービサーに譲渡されます。

当初は回収方法も慣れて居らず、RCCの物真似のように見られたサービサーの回収方法も
今は当時と格段の相違が有り、各サービサーは個性を持って回収に当っています。
銀行との回収の役割も、担保処分までは銀行、後の無担保債権の残高はサービサーとその
その役割分担も決ってきたようです。

この担保処分後の回収は、元の銀行がやって居た場合と、今のサービサーに譲渡された場合はを比較すると、どちらが債務者にとって有利になっているでしょうか。

現在本屋に並んで居る本を見ると、サービサー譲渡歓迎です。
銀行は出来ないがサービサーならば、間違いなく大幅な債務カットが出きる。
というのがその理由です。

実際はどうでしょうか。

銀行が自分で回収していた時は、確かにそれなり気に極めの細かい回収をして居りました。担保以外の差押えも結構有りました。
しかし、今のサービサーと比較すると、問題にならないくらい甘いです。

債務名義を取られる率も大幅に少ないですし、給料や医師の診療報酬、それに売掛金などは、よほどの時でないと差し押さえはありませんでした。
競売になった後に、残債務を請求されたと云う事は記憶に無いくらいです。

しかし今は違います。
殆どが訴訟となり、債務名義が取られます。
給料でも診療報酬でも差押えは平気です。命とも言うべき売掛金もサービサーにとって見れば美味しいご馳走です。
其れが、債務者だけで無く、知らない間に相続で保証人になった娘まで追いかけられます。
しかも請求は3-4年後に急に来たりします。
実例で比較すると直ちに解かります。
サービサーになったために、回収は確実にきつくなったと言えるでしょう。

この2社の大きな違いは、銀行の時は此れで残債務を請求しませんとは言いませんでした。
しかしサービサーはこれで残債務は請求しませんと言うけじめをつけます。
このけじめ分だけ、債務者にきつくなったと言うことでしょう。

サービサーは言います。
「私共が銀行から譲渡される価格は問題にはなりません。
 私どもは残額全てを請求する権利を与えられています。」
「残があるならば、それに対して全額返済義務はお有りでは無いでしょうか。」

その通りです。
でも私は愚痴りたいのです。
「この借入は、担保評価の半額で処分しても、残債は残らなかった筈です。
 其れが出来なかったのは、銀行さんの責任が大きいのでは有りませんか。」

サービサーに変わって、残債務に対するけじめをつける事が出来るようになりました。
しかし私たち債務者に対する回収は、銀行だけの時と問題でなく、強いものに変わって
居ます。



                           








声が変わります。

2006-06-07 | 事例
追い詰められた心境でしょうか。
この時期に声が変わる人は多いです。

バブルの頃受けた過剰融資、その後の不景気のための本業の赤字。
不渡り手形は今月か来月必至でしょう。今盛んに不動産の任意売却を銀行から薦められて居りますが、売れ無ければ競売になるのも間近です。
こんな時、自分では気付かないうちに経営者の声が変わって来ます。

特に夜、眠れません。妄想が沸いてきます。
今後の進み方は何回も説明を受けて、納得して居ります。
其れなのに、頭に浮かぶことは、やたらに不安をかき立てる事ばかりです。

その結果自分では知らぬ間に声が変わっています。
又この時にストレスから病気を呼び起こす人も多いです。
倒産者は、遥かに成人病や肝臓の病などにかかる率は多いのでは無いでしょうか。
鬱になる人も多く、嵩じて自ら命を絶った人も居ります。

自分の会社が不良債権になる。この時が一番心が動揺している時です。
この時をさして動揺無しに過ごせれば、その後に来る、倒産や整理に対する対応はまずうまく行きます。

債権者が恐いからです。
特に銀行には自分の大切な資産をすべて担保にして居ます。
其れどころでなく、夫婦と父親は保証人です。
不良債権になると、全資産を取られるだけで無く、両親も自分達も保証人としても一生債務に苦しめられます。
其れと、今後の自分達の生活も心配です。会社が無くなれば自分は何をして生活すれば良いのか、一体生活はできるのか、こんな不安が拡大されて悩ますのです。

債務の処理の方法、今はいくつもあります。その中で一番適して居るものを薦めます。
今後の生活、殆どが今までの経験を生かした事業が主体となります。
此れを力強く、何回くりかえし、債務者に解からす事が必要です。
其ればかりでなく、この時期、何回も電話をしてあげます。
相手は、遠慮か見栄か、相手からは電話は掛け難いらしいです。FAXやメールより、声を聞かせる電話がよいです。

不渡りを出したり、期限の利益の喪失通知があると、倒産者も漸く腹が据わってきます。
自分が予想していたより、厳しくありません。
声も元に近くなってきます。
正常な声を取り戻すまでにはもう少し懸るでしょう。

倒産の前、自分で弁護士を依頼し、どんどん進める人も降りますが、その様な人はほんの一握りです。
殆どの人は、倒産前を一番苦しみます。
私たちはその苦しみを一緒になって解決しなければなりません。






売掛金担保の融資

2006-06-05 | 用語集
将来発生する売掛金を担保にして融資がおこなわれること。
登記ができるようになったため急速に利用されるようになりました。
身近な例として、現在保証協会はこの制度が確立されています。
なお登記をすれば会社登記簿謄本に記載されます。



女の執念

2006-06-01 | 事例
私が全てを失うと覚悟したのは、次の銀行の言葉からでした。
「駅前のスーパーは閉店します。この時御社に1600万の敷金が戻ってきます。それは
 是非当行に返済させて頂きます。
 それだけでは不足ですから、この本店を売却して下さい。御社はもう1店の出店で
 生活を考えてください。
 なお残債務が残りますが、此れは保証人と協議しながら解決させて頂きます。」

地方都市のメイン通りに化粧品店を開く老舗でした。かっては売上も順調で羽振りも良かったですが、駅前通りに大型スーパーの進出等で人の流れも変わり、本店売上は一時の
20%に落ちました。
駅前スーパーに出店していたから、売上はカバーしていましたが、利益面を見ると駅前スーパーも赤字だったと思います。
そのスーパーも昨今の流行のように引き上げるそうです。

そんな状態の時、4年前、主人が交通事故で半年療養、その結果、歩行も不便になりました。療養中は商売にも力が入らず、終に銀行の返済も滞り、銀行から矢の催促が続くようになりました。

主人は仕入れの金を返済に回しました。リスケ交渉など一切せず、条件通り返済できないと、担保は直ぐに取られるし、保証人の弟にも迷惑を掛けると云うのです。
弟は京都の大學の教授です。
しかしそのために陳列棚は隙間だらけになり、注文も受注してからの注文です。悪循環で
業績は落ちていきます。

町一番の化粧品店のお嫁になる。私は希望に燃えて主人と結婚しました。
人を綺麗にする。何か私の天職のような気がしました。
お客さん毎のカルテを作り、それも1200人分揃っています。
しかし、主人が事故を起してからは、何時この家から出なければならないかと云う心配
ばかりです。
でも私は決めています。
たといこの店を出ても、私は小さな店を借りて、必ずこの商売を続けます。

駅前スーパーの閉店も間近になりました。銀行は来る都度、同じ事を繰り返します。
ある日私はふと思いました。
このまま進んでも敷金やお店を取られて何も出来なくなる。そのくらいならば、今から返すものは何も返さないで仕入れに回し、商売を伸ばしたほうがよいではないか。
渋る主人を説得し、そうすることに決めました。

ついで敷金のこともスーパーに頼みました。
この店がなくなるから、他にお店を借り無ければなりません。
改造も必要です。敷金をそちらに振り込んでください。
渋ったスーパーを何とか説得しました。
此れで敷金は銀行に持っていかれないと思います。

主人の弟には実情を話し、銀行が行くかも知れないよと了解してもらいました。

急に主人の態度が変わりましたから、銀行の担当者は吃驚した様子です。
「でも敷金は当方に返してくださいね。」と念を押していました。
その敷金も無事此方の手元に残りました。

駅前通りは、やはり人の流れは多いです。
携帯電話をやって居たところを格安で借りました。皆の反対を押し切りました。
スーパーに払うお金がありませんから、スーパーの時の半分の売上でも利益があります。
内装は殆ど今のままで大丈夫です。ちっさな応接セットがついて居たのが有り難いです。

此処1年くらいの間に、私どもの店から、変わった人も多いです。
販売には自信が有ります。先ずはお客の予備戻しです。
ダイレクトメールはお金がかかります。
電話で挨拶しました。
カルテが役たちました。

未だ2ヶ月目です。
成功とはいえませんが、その兆しは有ります。
2月前に比して、お金が忙しくなくなったと思います。
意地悪と思った銀行の担当者が売上の数字を聞いて目を輝かしています。

何が何でも化粧品を販売していくのだ。そう思い込んでやってきた自分が正しかったと思っています。