「M-1グランプリ」
『M-1グランプリ』(エムワングランプリ)は、吉本興業と朝日放送テレビ(ABCテレビ)が主催する漫才コンクール。通称『M-1』。
概要
島田紳助と谷良一が企画し、吉本興業と朝日放送(現:朝日放送テレビ)が2001年に創設した、「結成10年以内」の若手漫才師を対象とした大会である。2010年で一旦終了したが2015年に復活し、その際に出場資格が「結成15年以内」に拡大された。
審査基準は「とにかくおもしろい漫才」。開始当初、出場資格を「結成10年以内」としたのは、若手漫才師の大会にするという理由のほかに「10年芸人を続けても3回戦に進めないようなら、見切りを付けて他の道に進んだほうが本人にとっては幸せである」という紳助の考えによるものである。ただし、出場資格は年齢ではなくコンビ(グループ)としての活動期間が基準であるため、メンバーの芸歴は問われず、錦鯉などのように芸歴20年以上のベテラン芸人でも出場は可能である。
演出やステージは第1回(2001年)から一貫して格闘技の試合を参考にしており、『M-1』という大会名は『K-1』が由来である。第5回(2005年)から決勝戦会場がテレビ朝日本社に変わったことで、赤やオレンジを基調にした派手なステージとなり、煽りや演出も派手になった。
「優勝賞金1000万円」、「決勝戦は全国ネットのゴールデン枠で生放送」、「全国から参加者を募る」、「他事務所の芸人の参加も認める」など、開始当時としては前例の無い大規模な漫才のコンテストであった。回を重ねるごとに注目度が増しており、現在では優勝者が決定した直後にYahoo! JAPANなど各種ポータルサイトではトップニュースとして扱われているほか、朝日放送テレビやテレビ朝日以外の放送局を含むニュース・情報番組や年末年始に放送されるバラエティ番組などからの出演依頼がマネージャーや所属事務所に殺到するほどである。また、優勝しなくても本大会決勝戦への進出を契機にブレイクしたコンビも多い。評論家のラリー遠田は『M-1』以前にも「お笑い賞レース」や「ネタバトル番組」は多数制作されてきたと述べた上で、「視聴率、話題性、影響力を総合して考えると、現在の『M-1』ほどの成果をあげているお笑い賞レース番組はテレビの歴史上存在しない」と評している。
第10回(2010年)まではオートバックスセブンが特別協賛(冠スポンサー)であり、正式名称は『オートバックス M-1グランプリ』であった。2015年に復活してからは4社による「プレミアムスポンサー」の協賛体制となっている。
歴史
発端
2001年初頭、吉本興業の常務取締役(当時)の木村政雄は、漫才の賞を吉本興業主催で作ることを目的とした新部署「MANZAIプロジェクト」のリーダーとして、吉本興業の社員(当時)の谷良一を任命した。ある日、谷は島田紳助の楽屋を訪ね「MANZAIプロジェクト」について話すと、紳助は好意的に反応し「漫才に恩返しをしたい」と語った。後日、谷が改めて会いに行くと、紳助は賞金を1000万円にすることと全国ネットのゴールデンで放送することを提案した。 この時点で『M-1グランプリ』という大会名を含め、大会の骨子はほぼ出来上がっていたという。
2001年5月19日に『THE MANZAI 2001ヤングライオン杯』が『THE MANZAI』のスピンオフ企画として、関東ローカルで放送された。谷はフジテレビなどのキー局に企画を持ちかけたが全く相手にされず、スポンサー探しも難航し、大企業どころか中小企業も相手にしてくれなかった。そんな中、オートバックスセブンの2代目社長である住野公一は谷の話を聞き入れ、最終的にオートバックスセブンは『M-1』の冠スポンサーとなった。そして朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)からテレビ朝日に出向していた和田省一と朝日放送の働きかけで、年末の全国ネットゴールデン枠に『M-1グランプリ』をテレビ朝日系列で中継することが決定した。
谷は『M-1』を事務所・地域に関係なく公平な大会にしたいと考え、難波の有名ビアレストランに松竹芸能など関西の芸能事務所の関係者を招待し、東京の芸能事務所にも100社以上に電話をかけて参加を呼びかけた。
『M-1』は従来の漫才コンクールとは違い、アマチュアの参加も認めたことで最終的に1000通を超える応募が集まった。優勝者を決める審査員には紳助と西川きよしの2人が決まっており、他の顔ぶれもスタッフの尽力で決定する中、谷がどうしても審査員に据えたかった松本人志(ダウンタウン)はなかなか許諾しなかったが、最終的に紳助がテレビ番組『松本紳助』の楽屋で松本を説得したことで出演を了承したという。
セットのリニューアルから一時終了まで
第1回(2001年)の平均視聴率は関西地方が21.6%だったが、関東地方は9.0%だった。第2回(2002年)から『M-1』に参加し、第3回(2003年)から第9回(2009年)までプロデューサーを務めた朝日放送(当時)の森本茂樹は、視聴率について「当時はゴールデンなら最低10%、欲を言えば15%。テレ朝も『いつまで続けるのか』というムードになると思っていた」と語っている。その後も毎年予選を行い年末に決勝戦を放送したが、関東視聴率は10 - 11%でほぼ横ばいだった。
『M-1』の成功と存続のために、「関東視聴率15%」は至上命題だった。第4回(2004年)終了後、森本は編成局長(当時)の山本晋也から「セットに金をかけてほしい」と言われ、森本は決勝戦会場をテレビ朝日本社第1スタジオへ変更することを提案した。それまでは地下闘技場のように会場を暗めにしていたが、第5回(2005年)からは赤とオレンジの煌びやかなセットとなり、出場者が舞台中央からせり上がりで登場するようになった。総合演出(当時)の辻史彦は、第5回(2005年)のセットについて「ラスベガスで漫才ショーをやるとしたら、というのを想像して作った」と語っている。
第10回(2010年)の準決勝終了後、主催の吉本興業と朝日放送は『M-1』の開催をこの大会で終了することを発表した。大会終了の理由として、吉本興業は「10年の節目をもって発展的解消することが次に繋がる」と説明している。紳助は決勝戦後の会見で、「若手から大量に苦情が来たからまた違う形で」と後継大会の開催を示唆し、終了する理由については「10年で終わらせないと盛り下がっていく」と語っている。その言葉通り、2011年4月26日に後継プロジェクトとして、フジテレビ系列で『日清食品 THE MANZAI』が開催されることが決定した。
5年ぶりの復活、「国民的行事」へ
2014年7月30日、朝日放送の脇阪聰史社長(当時)が2015年に『M-1』を5年ぶりに復活させることを発表。当初は『THE MANZAI』との重複を避けるため夏の開催を予定していたが、賞レースとしての『THE MANZAI』の終了により復活前と同じく12月の開催となった。『THE MANZAI』は2015年から『THE MANZAI プレミアマスターズ』に番組タイトルを変更し、「年に1度の漫才の祭典」として賞レースの要素を省いたいわゆる「ネタ見せ番組」として継続している。
第14回(2018年)では霜降り明星が史上最年少優勝記録を更新。第15回(2019年)からチーフプロデューサーとなった朝日放送テレビの田中和也は霜降り明星の優勝について、「“史上最年少優勝”ということももちろん大きいですけど、彼らの世代、すなわち結成10年以内のコンビでも勝てるんだということが証明されたのが大きいですよね」と語り、『M-1』の歴史において重要な出来事だと評した。
第16回(2020年)では激戦の末にマヂカルラブリーが優勝したが、彼らが最終決戦で披露したネタが野田クリスタルがほぼ無言で舞台を動き回るものだったため、一部の視聴者からSNSなどで「あれは漫才なのか」との声が上がり、“漫才論争”が起こった。松本は2020年12月27日放送のワイドナショーで「漫才の定義は基本的にない」としながら、「定義をあえて設けて、裏切ることが漫才」と語り、この発言は『M-1グランプリ2021』のオリジナルプロモーションビデオ「宮本浩次『昇る太陽』×M-1グランプリ2021」の中でも引用されている。また、朝日放送テレビの山本晋也社長も、2021年1月19日の新春社長記者会見で肯定的な意見を述べている。
参加規定
出場資格
出場資格は「結成15年以内」で、1名(ピン)での出場は不可。3人以上のグループでも出場は可能だが、大半は2人組(コンビ)のため、以下の記述では便宜上「コンビ」に統一する。
個人の芸歴、所属事務所、プロ・アマチュアの制限はないため、結成年数の資格さえ満たしていれば、アマチュアやプロ同士の即席ユニットも出場できる。併願エントリーでの出場も可能。
プロとしての活動休止期間は、結成年数から除く。これによりジャリズムは1991年結成であるが、結成7年の1998年に解散したため、再結成した2004年は結成8年という扱いになり、第6回(2006年)まで出場権があった。また同じ例として、号泣は1996年結成であるが、結成12年の2008年に解散したため、再結成した2020年は結成13年という扱いになり、第18回(2022年)まで出場権があった。
養成所出身のコンビは、養成所在学期間が結成歴に含まれず養成所の卒業年度が結成年となる。これによりジャルジャルはNSC在学中の2002年に出場しているが、結成年は2003年となっており、ラストイヤーは2018年であった。また同じ例として、ハライチはワタナベコメディスクール在学中の2005年に出場しているが、結成年は2006年となっており、ラストイヤーは2021年であった。金属バットは長らく、公式サイト内で2006年4月結成とされていたが、2021年にNSC卒業年度の2007年4月結成に変更された。
同じグループ内のメンバーで即席ユニットを組んだ場合は、元のコンビとは別のコンビとして扱われる。これにより、2015年にラストイヤーを迎えた6人組グループ(当時)の超新塾は第12回(2016年)にメンバー4人で結成した「超新塾4/6」、2021年にラストイヤーを迎えたトリオのGAGは第18回(2022年)にメンバー2人で結成した「べじぽた」として、それぞれ結成0年扱いで出場した。
コンビ名を改名し、活動を再開したコンビは特例として改名した年から結成という扱いとなり出場できる場合がある。以下はその一例。
第3回(2003年)・第4回(2004年)で準決勝に進出したプー&ムー(旧コンビ名:ワンダラーズ)は1992年結成のためラストイヤーは2002年だが、活動再開した2002年に現コンビ名に改名したため出場が認められた。
第8回(2008年)で準決勝に進出したエルシャラカーニ(旧コンビ名:ザ・ニュース)は1997年結成のためラストイヤーは2007年だが、現コンビ名に改名したのは1999年のため特例として出場が認められた。
トット(旧コンビ名:ハスキーボイス)はNSC大阪校27期生のため翌年の2005年結成で、ラストイヤーは2020年だが、2009年に再結成し現コンビ名に改名したため、2009年結成扱いとして第20回(2024年)まで出場権があった。
ヨネダ2000は2018年に「ギンヤンマ」として結成し、その後トリオになったが、解散後に現在のコンビ名で再結成した2020年は結成0年とされた。
メンバーが人間だけではなくても出場可能で、猿まわし やロボットといった出場例がある。過去には人間とハリネズミ 、人間と金魚のコンビといった出場例もあるが、完全に意思疎通のできない生物とのコンビは2022年頃からある程度規制されている。
アマチュアの定義は自己申告であり、フリー(プロだが事務所に所属していないコンビ)との境界は曖昧である。プロの芸人とアマチュアの即席コンビの場合においては多くが「アマチュア」で提出されているが、「○○(事務所名)/ アマチュア」と併記しているコンビもいる。アマチュア時代に準決勝進出経験のある学天即・ラランドらは、後にプロへと転向して大会に出場しているが、アマチュアで唯一決勝進出を果たした変ホ長調は大会出場期間中はアマチュアのまま出場した。
いわゆるしゃべくり漫才に限らず、コント・トーク・歌等の芸が許されている。また、ギター等多少の小道具であれば持ち込みは許されるが、第2回で審査員の松本人志がテツandトモのネタに対して「これを漫才ととっていいのかは難しい」と語っており、小道具の使用や漫才以外の芸は評価されにくい傾向がある。
ピンマイクは使用不可で、使えるのはセンターマイク1本のみ。ただし、スタッフが舞台下から指向性マイクを向けているので、センターマイクから多少離れていても問題はない。また、センターマイクを身長に合わせて上げたり下げたり、センターマイクを持って喋ることも可能である。
ネタ時間
ネタの持ち時間は一部の回を除き、1回戦は2分、2回戦・3回戦は3分、準々決勝・準決勝・敗者復活戦・決勝戦は4分となっている。
予選では15秒超過すると終了時間の目安となるサイレンが鳴り、合わせて30秒超過すると爆発音と共に赤照明が点灯し、強制終了となる。強制終了になっても即失格にはならず、派手であるためサイレンや強制終了の演出を逆手に取り、インポッシブルやアマチュアのひでまん・しげまんのようにオチとして利用するコンビも存在する。
決勝戦では持ち時間を大きく過ぎてもカウントや爆発音が鳴ることはなく、それを理由に減点するかどうかは審査員の裁量次第である。第15回(2019年)で優勝したミルクボーイは、「暗黙の了解として5分くらいまでなら延びても大丈夫」と語っている。
*Wikipedia より
今年-2024年は、20年目の節目。総エントリー数は再エントリーを含め10330組となり、初めて5桁の大台に達した。
敗者復活戦からは「マユリカ」が進出。
決勝戦
ファーストラウンドの出番順を決める「笑神籤(えみくじ)」を引き演者を発表する役割には、パリオリンピックでメダルを獲得した阿部一二三(1 - 3組目)、早田ひな(4 - 7組目)、萱和磨(8 - 10組目)が招かれ、1人ずつ順番に登場した。
笑神籤による抽選の結果、令和ロマンが2年連続のトップバッターとなり、以降はヤーレンズ、真空ジェシカ、マユリカ、ダイタク、ジョックロック、バッテリィズ、ママタルト、エバース、トム・ブラウンの順でネタを披露。連続進出、初進出、返り咲きと綺麗に分かれる形となった。
審査員9名による採点の結果、1位のバッテリィズ、2位の令和ロマン、3位の真空ジェシカが最終決戦に進出。CM中にファーストラウンド上位の組からネタ順を選択し、真空ジェシカ、令和ロマン、バッテリィズの順にネタを披露することとなった。
最終投票では、塙が真空ジェシカに、哲夫、若林、礼二がバッテリィズに、大吉、石田、山内、柴田、ともこが令和ロマンに投票。5票を獲得した令和ロマンが20代目王者となり、『M-1』史上初の2連覇を成し遂げた。
*Wikipedia より
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