第2回 2012年10月9日 「愛知県 瀬戸焼 やきものは七変化!」リサーチャー: 山崎樹範
<番組紹介>
1000年の歴史を誇る愛知の「瀬戸焼」。
いま、その瀬戸焼が驚くべき進化を遂げ、大活躍しています。
若者たちのオシャレスポット、 東京ミッドタウンには瀬戸焼の食器専門店がオープン。
スタイリッシュな器が女性たちに人気を呼んでいます。
さらに、電線の部品やスピーカー、魚焼きグリルなどにも変身。
私たちの知らない意外なところで、瀬戸焼パワーが使われているのです。
瀬戸焼最大の魅力は、「なんでも作れる高い技術力」!
その秘密を探るため、ひとつの商品が出来るまでをカメラが追跡。
そこには、日本有数の伝統の技術と、有能な職人を育てる独自の生産システムがありました。
また、「多彩で美しい色」も瀬戸焼の魅力。
他産地には得意な色があるのに対し、あらゆる色を使うのが瀬戸焼の伝統。
美しい色を生み出す〝秘伝の技〟の使い手を訪ねます。
さらに、瀬戸が日本有数の焼き物の街に発展した秘密を、市内の山中で発見。
そこでは、何でも作れる“魔法の粘土”の存在が明らかになりました。
今回のイッピンリサーチャーは、俳優の山崎樹範さん。
番組では、山崎さん独特のユニークな目線と、特殊カメラを使った実験を駆使して、瀬戸焼の魅力の秘密に迫ります。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/Seto_1 より
「瀬戸焼」
愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称。日本六古窯の一つ(瀬戸窯)。東日本で広く流通し、瀬戸物は陶磁器を指す一般名詞化した。
2017年4月29日、瀬戸焼は、越前焼(福井県越前町)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)、備前焼(岡山県備前市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)とともに、日本六古窯として日本遺産に認定された。
概要・概略史
古墳時代中期末(5世紀後半)に現在の愛知県猿投地区(尾張東部から西三河西部)に日本三大古窯の一つとされる埴輪・須恵器窯である「猿投古窯群」が誕生した。猿投窯は、奈良時代に日本初の人工施釉陶器(灰釉陶器)を生産して高級食器として流通し、窯業の一大生産地となった。考古学の研究では、10世紀後半に猿投窯から周辺地域への窯場の拡散が起こり、これに伴い瀬戸市南部の幡山丘陵でも広久手30号窯や南山窯などでの灰釉陶器生産が開始されたことが判明しており、これが「瀬戸窯」の成立とされる[1]。しかし、平安時代後半の11世紀末から製品が粗略化し、灰釉陶器から無釉の日用雑器(山茶碗)生産へとシフトしていく。
伝承では 鎌倉時代の13世紀中頃、加藤四郎景正が、宋(中国)から施釉陶器の技法を伝えたのが瀬戸焼の創始といわれるが、施釉陶器を産出する瀬戸窯(灰釉陶器窯)はこれ以前に成立しており、景正の実在を疑う説もある。ただし、鎌倉時代初頭(12世紀末)の瀬戸窯では、灰釉・鉄釉などの施釉陶器生産が再開するという事象も考古学の研究により明らかとなっており(古瀬戸様式の成立)、伝承のモデルとなった人物や出来事が存在した可能性は一概に否定できないともされている[2]。古瀬戸様式の器種は中国から輸入される磁器を模倣したものが多く、代用品として生産・流通したと見られる。鎌倉時代の製品には優美な印花文や画花文を施したものが多い。
室町時代末頃までは古瀬戸とよばれる。室町時代に入ると椀、皿や鉢といった日用雑器の生産が多くなる。次第に生産拠点が美濃に移る。
桃山時代から、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部などの茶器が茶の湯の隆盛に伴って多く焼かれ、日用雑器も作られるようになる。
江戸時代初期の元和2年(1616年)に徳川家康が死去して駿府城内にあった遺品は徳川将軍家と御三家に分配された。そのうち尾張徳川家が受け取った分の目録『駿府御分物之内色々御道具帳』(徳川黎明会蔵)には、既に「瀬戸」と「古瀬戸」の語の使い分けが見える。こんにちでいう「古瀬戸」とは指し示す範囲が異なるものの小堀政一(遠州)『茶人の次第』(水戸徳川家伝来)にも「古瀬戸」の語がみえ、近世初期には「瀬戸」と「古瀬戸」の使い分けが広がっていることが確認できる。
江戸時代には肥前の有田を中心に始まった有田焼と総称される磁器により次第に市場を奪われ、衰退する。
文化年間(1804年 - 1818年)加藤民吉親子が肥前国有田から染付磁器の製法を伝えたことから磁器の製造が始まり、後に磁器が主流となる。以降、「染付焼」(瀬戸染付)は「新製焼」、旧来の陶器は「本業焼」と呼ばれた。
明治時代には輸出用に美麗な陶磁器が作られ、「瀬戸素地」に絵付けだけ東京や横浜で行われることもあった。
*Wikipedia より
「NAGAE+ ナガエプリュス」
わたしのとなりに、そっといる。
循環。
「お客様の隣に、長く、そっといる」
循環できる商品と余白を作り出していきます。
株式会社ナガエプリュス 東京都渋谷区神宮前2-5-6 アマデウスハウス206
「NAGAE」
「加藤春光製型所(加藤彰秀さん)」
明治8(1875)年創業。
初代は明治15年には森村組と取引を始め、積極的に海外輸出製品を製造し内国勧業博覧会などで数々の賞を受賞しています。
二代は「鋳込成形法」を日本陶器に先立って瀬戸にもたらし、多くの製法特許を取得して、窯業技術の改良に大きな貢献と足跡を残しました。
オールドノリタケの初期の「メープルリーフ印」を持つ作品の中には、生地が春光製であるものも少なくないようです。
ノリタケ社のバックマークは実に種類が多く、「メープル印」の刻印はノリタケ社最古のバックマークで、非常に希少な逸品です。1891~1915年に米国向け用として作られた作品になります。
加藤春光製型所 愛知県瀬戸市進陶町179
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/Seto_1 より
「川昌製陶所(川本康司さん)」
白い食器が揃う瀬戸の「川昌製陶所」。
残念ながら、平成29(2017)年、窯の火を落とされました。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/Seto_1 より
■器:kawasho青白磁、■おすすめする人:深山 松崎社長
「これは語っても良いのかな?」紹介する青白磁の器は元々は愛知県瀬戸市にあった【川昌製陶所】が製造していた器という深山の松崎社長。
『川昌製陶所との交わりを語る松崎社長』
2018年、共通の顧客やデザイナーを通し交流のあったその窯元が廃業すると聞き、「様々なオリジナル製品を作っていたのを知っていたし、世に送り出してきたのにもったいない!」と思い、深山で継続できるものがないかと川昌製陶所に掛け合いに訪れたそう。
実際に行くと、種類がものすごくいっぱいあったので何度も川昌さんに相談してその中から60アイテムほど選んだそうです。
『ガラス質の多い磁器は光に透かすことで視ることができ、器の厚みを確認できる。指が透けるほど薄く作られた【locube22㎝タマゴ鉢】*復刻前』
問題はここから。型を借りて試作してみたら「こんなのどうやって作るの?」ってくらい独特な形状がいっぱい。
すごく薄かったり、ろくろで引いたそのままの形状だったり。こんなのちゃんと作れるの?と不安だったが、試作をしてみたら、不思議なくらい普通に作れたとのこと。
作り手だからわかる形状のセオリーみたいなものがあるんですが、川昌さんの製品はそれを上手に破っていて。自分たちにはない発想の形状でだったそうです。
『復刻した【locube22㎝タマゴ鉢】ものすごく薄く仕上げられた軽やかなうつわ』
釉薬も同じく。すごく良い青白磁だが焼成温度帯の幅が狭く、そこに合わないとうまく焼けないため、釉薬メーカーと共に開発してやっと作れるようになったそうです。それでも、窯の温度は変えなければいけなかったので1300℃以上にならないよう調整して焼いているとの事。
形を作る上でも、焼成する上でも、深山と川昌製陶所のものづくりを掛け合わせながら生まれた今までにはないものづくりのうつわ。
レストランなどのプロユースが中心の器の中から、家庭使いとも調和するのではとご紹介するのが、軽やかな和モダンのうつわ「locube(ロクベ)」、青白磁のグラデーションが美しい「sooo(ソウ)」、そして折り紙からなる多面体のうつわ「origami(オリガミ)」のカップなど。
『復刻した川昌製陶所の器の多くはレストランなどのプロユースの器』
最後に松崎社長から「今思えば、川昌さんの作風と通じるところは多かったですね。磁器の製品なんだけれど手作り感がどこか残っていて、それを鋳込み成形で生み出すと言う共通点がありました。
好きな人からはものすごく愛されている製品が多かったので、復刻生産として受け継ぐことができてよかったです。」と(おしまい)-(取材:2020年12月12日)
*https://mino-sankama.com/2020/12/21/opstore_miyama3/ より
「三峰園窯(加藤達伸さん)」
黄瀬戸・織部を中心とした 伝統的工芸品「赤津焼」の窯元です。
「赤津焼」とは、瀬戸焼の中でも赤津地区で焼かれる 伝統的な釉薬を使った陶器のことです。
加藤達伸さんは、多くの場面で使える器を意識して、和・ 洋に拘らず、広く多くの場面で使える和モダンを意識して制作されています。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/Seto_1 より
料理したくなる器
丈夫で使い勝手の良い器
瀬戸の優れた陶土をつかうことで欠けにくく、食器棚から出して最後に洗ってしまうところまでを意識したものづくりをしています。
今日は何盛ろう?
三峰園窯の器は、伝統的な織部や黄瀬戸のほかに、白や黒のモノトーンのシリーズもあり、スタイルやシーンにあわせてコーディネートしていただけます。
和食器のあたたかさや優しさはそのままに、和にも洋にも馴染むサイズや柄が特徴です。
こだわりの色と質感
料理との相性を決める色や艶を生み出す釉薬と、どんぐりの笠から取った栃渋をつかった仕上げによる細かい貫入で、料理と馴染みのよい風合いがでます。
日々の食事を楽しんで
よく作る料理、家族構成などひとそれぞれですが、どんな料理にもあわせやすく、使いまわしのきく器を、各デザイン・各サイズ取り揃えています。
三峰園窯 愛知県瀬戸市窯元町123
「成田製陶所(成田一成さん)」
昭和23(1948)年設立。
セラミックス材料を主体とした製品を次々と開発し、世に送り出しています。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/Seto_1 より
成田製陶所 愛知県瀬戸市道泉町70
「工房ゆずりは」
愛知県瀬戸市にある工房で現在12名のスタッフで活動。
全員が女性ばかりの工房です。
女性の感性でイメージされた美しい花々が描かれた、彩り豊かな和の器は華やかです。
毎日の暮らしの中に、愛らしい食器を取り入れてみませんか?
「ゆずりは」とは、ユズリハ科の常緑高木で、その名前は、春に枝先に若葉が出た後、前年の葉がそれに譲るように落葉することに由来します。
工房ゆずりは 愛知県瀬戸市品野町1丁目101−1
*番組内容とは異なることが多いと思いますがご了承ください。
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