「桜蔵/仙醸」
信州伊那市の高遠城址公園にある、高遠・小彼岸桜(タカトウコヒガンザクラ)を使用した、ジャパニーズテイストのクラフトジンです。
仙醸クラフトジン桜蔵SAKURAは、信州伊那市、高遠の酒蔵が作ったクラフトジンです。国産原料米から蒸留したスピリッツをベースに、ジュニパーベリーと信州伊那市高遠町の固有品種、高遠・小彼岸桜(タカトウコヒガンザクラ)の葉を使用しました。桜の甘く華やかな香りと、なめらかな飲み心地をお楽しみください。
*https://shop-senjo.jp/SHOP/246443/list.html より
株式会社仙醸 長野県伊那市高遠町上山田2432
仙醸をとりまく風土
当社は長野県南部、南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷にあります。伊那谷の中央を流れるのは天竜川の支流である三峰川。その源流は南アルプスです。
南アルプスの雪どけ水は一年を通じて豊富で、当社も敷地内の地下60メートルからこの伏流水を組み上げて酒造用水としています。
地質学的にもその多様性が注目される伊那谷の恵まれた自然、天然水が仙醸の酒造りを支えているのです。
経営理念
米発酵文化を未来へ(経営理念)
当社の経営理念は「米発酵文化を未来へ」です。弥生時代以前から日本人はコメを主食としてきました。また米を食べるだけでなく、麹菌の力で酒や酢をつくり、そこに大豆を加えて、豆腐や、味噌、醤油を作ってきました。微生物の力で米や大豆を「発酵」させ、食文化を豊かにしてきたのです。また米の豊作を祈る心は、その象徴としての桜への愛着を生み、日本人の宗教心の中核をなしています。また、神と人、ハレとケをつなぐものとして、お神酒も大きな役割を果たしてきました。稲作と米造りは日本文化の源流にあるのです。
しかし今、その伝統が失われようとしています。米の消費は減少の一途をたどり、農村の景観を守ってきた水田が宅地に代わり、耕作放棄地が増加しています。このまま日本人の食卓から米や、米を発酵させた食品は消えてしまうのでしょうか。
当社は江戸時代から150年に渡り、酒造りを通じて米と麹に向き合ってきました。酵素の力や麹を使った伝統的発酵食品の価値は今後見直されてしかるべきですが、そのためには現代人の味覚やライフスタイルに合わせていく必要があると当社は考えます。当社は、日本酒、あまざけ、米麹、焼酎、酒粕など、米発酵食品を広く取り扱っています。こうした商品を、発酵食品に縁の薄い若い世代にも普及させていくことで、麹文化、米発酵文化を次世代に伝えていきます。
今あるものを生かし切る(行動指針)
当社では働く上での指針として「今あるものを生かし切る」という言葉を大切にしています。
「今あるもの」とは、酒造りに適した自然環境や、清澄な水、良質な酒米、製造設備などが挙げられます。また創業以来積み上げてきた地域社会やお客様からの信用、酒造りを通じて磨かれた技術や知恵、スタッフ同士のチームワークなども貴重な財産です。さらに個人にとっては、これまでの人生経験や人脈、自らの才能の他、与えられた機会や時間などが「今あるもの」です。
私たちは、こうした有形無形の資産を「生かして」日々仕事をしています。しかし、それらを生かし「切る」ためには、絶えず追求し続ける姿勢が求められます。「今あるものを最大限、生かし切れているか」自らに問いかけることは、自分を磨き、先人たちに感謝し、ご縁を大切にすることにつながります。
当社では自然の恵みである米、麹菌や酵母菌など微生物のもつ特性、スタッフ一人一人の個性と強みを最大限引き出すことで、社会に貢献し、米発酵文化を高めていきたいと考えています。
高遠の発展のために貢献する酒蔵
当社は幕末の慶応2年に創業しました。明治維新と廃藩置県の2年前です。
維新と共に高遠藩の歴史は幕を閉じ、城跡には桜の木が移植されました。それから150年余、当社の歴史は高遠城址公園に植えられた桜と共にあったと言っても言い過ぎではありません。桜の若木は大木となり、全国有数の桜の名所となりました。高遠の地酒として当社が今日あるのも、桜を植え、育ててきた地域のおかげです。当社は地元高遠の発展に、今後も貢献していきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます