1月24日午後8時から放映のBSテレ東・武田鉄矢の昭和は輝いていた【新聞少年の山田太郎とだんな様の三船和子】を懐かしく拝見した。
特に山田太郎が昭和40年に発売し、大ヒットした「新聞少年(作詞:八反ふじお、作曲:島津伸男)」には父の秘策があったとエピソードを明かされ大変興味深く拝聴した。
この3年後、昭和43年1月5日、山陽新聞社では「山陽・新聞少年の歌(歌:山田太郎、作詞:河西新太郎、作曲:島津伸男)」が発表となった。
私が新聞社販売局に入社したのが昭和45年で、販売のイベントでは社歌とセットでレコードに続いて「山陽・新聞少年の歌」を唱和するのが定番だった。
早いもので早期リタイアして幾星霜(もう22年)。
何でも「AI」の昨今、果たしてこの習慣が引き継がれているのだろうか?
そうか、今や新聞少年は死語か?
リタイアして20数年で浮世離れはなはだしく、この体たらく((´;ω;`)