てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

靴をそろえるマナー

2008-01-31 16:57:00 | ビジネスと社会
 山陽新聞読者投稿欄の「靴をそろえるマナー守って」の記事を巡って、先般来様々な意見が繰り広げられており、興味深く拝見している。

 1月11日付、第一投稿者チャッピーさん(高2)によると『(前略)私は小学生の時、道徳の時間に、脱いだ靴を並べるということは当たり前のことであり、他人に対しての礼儀でもあると学びました。他人がしているからといって、自分も靴を脱ぎ捨てたりするのは間違っています。
 「一人が気づけばマナーも変わる」という言葉を聞いたことがあります。一人でも多くの人が靴を並べるといった最低限のマナーを守ることで、社会は少しずつ変わっていくと思います。私は母親になったら、恥ずかしい思いをしないように最低限のマナーを教えて行きたいです』と結んでいる。

 これに対して同11日付で真庭市・長尾馨織さん(38)は『確かにこれは当り前の行為であり、他者への礼儀でもあります。でも、そのことを必ずしも期待してはならない場合もあると思います。お年寄りで病院に通わなければならない方には、中腰になって脱いだ靴をきちんと並べるなどということは肉体的にかなりきつい作業なのではないでしょうか。(中略)も少し、温かい目で見てあげてもよいのではないかと思いますが…。
 ところで私は学生のころ、自分の靴だけでなく他人の靴もそろえていたのですが、ある時、人の靴をそろえていると「よけいなことをしなさんな」と年配の女性に怒られたことがあります。その方は自分の靴に触られたのが気に入らなかったようなのですが、私も若かったのでムッとしてしまいました。
 今では、そこまでしたのはやり過ぎだったかもと思えますが。また違った見方があれば、どなたか教えていただきたいです』と、脱いだ靴をきちんと並べるマナーの大切さに同感しながらも、立場上やりたくても出来ない場合もあると訴えている。

 それに応えて同31日付で岡山市・宮崎道子さん(67)は『私は脱いだ履物は向きを変えてそろえる考えに賛成です。しかし現在は、人が大勢集まるところでもそろってない履物、げた箱があってもしまっていないなどマナーの悪さが目立ちます。
 私たちが育ったころは今のように核家族ではなく、ほとんどの家庭が祖父母と同居で大家族でした。玄関はその家の顔だからとして、履物は絶対に脱ぎっぱなしにしないよう、必ず向きを変えてそろえるようやかましく注意されたものです。幼いころから習慣づいたものは自然と身につき実行できます。(中略)
 今、子育て中のお母さま方は「たかが履物の脱ぎ方なんて」とお思いかもしれませんが、訪問した家の玄関の履物がきちんとそろえてあると、とても気持ちよいものです。特に大勢人の集まるところでは脱いだ履物をきちんとそろえたり、げた箱に入れる習慣を小さいころから身につけていただきたいものです』と昨今の核家族化の風潮の中で家庭教育の重要さを説く。

 皆さんのキャチボールの最中に割って入るようで恐縮だが、我が身を顧みた。特に人から言われて育った記憶はあまりなく、靴をそろえるマナーに関しては自然と身に付いていると思っていた。
 ところが学生時代の下宿先でのこと、いつもなら「出船」に揃えて脱ぐのだが、つい急いでいたので「入船」で脱ぎ、再び玄関に戻ると、下宿のおばさんがちゃんと揃え直してくださっており赤面の至りだった。

 家にやって来る孫どもはどうか。大抵の場合は「入船」に脱ぎ散らしている。やはり家人による教育的指導が必要と痛感した。
 早速に今日、学校を終えて「Wii」をやりに来た長男と三男のところの子をつかまえて、今までのように黙ってそっと揃えてやるのではなく、はっきりと教えてやらねばと思い直し即実行した。
 勿論のこと、これからは靴をそろえるマナーについてだけでなく、気付いたことはどしどし指摘してやることが孫たちに対する真の思い遣りであり、家人としての役目だと思っている。
コメント (4)
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