てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

早過ぎる別離

2010-12-20 13:48:00 | ノンジャンル
 よもや57歳という若さで幽明境を異にするとは夢想だにしなかったので、弟からの突然の訃報に驚愕し絶句した。義妹が2年半の闘病生活の末、正月を前に帰らぬ人となった。

 そもそも義妹の里は、我が家と違って長生きの家系で、祖母は98歳の天寿を全うした。昨夏には84歳で母親が他界したが、自身は病床にあって親の死に目にも会えず、87歳でなお健在な父親よりも先立つ「逆様事」という不幸である。

 一昨年の秋(病に臥せって5カ月目)には、かける言葉もなくて痛々しい姿に会うのを躊躇していたが、一時退院したのを見計らって自宅へ見舞った。面やつれもなく持ち前の明るい笑顔に接することができ、元気そうな姿を見て少し安心した。後から聞けば、その時に届けたワタリガニやちらし寿司を「美味しい」を連発しながら食べ、『(親が頑張っている間に)早く元気になり、会いに帰りたい』とまで言っていたそうで、見舞えて良かったと溜飲を下げたものだ。

 2度目に新米とイチジク、淡し柿を持って見舞ったのは1年前。イチジクは好物とあって目の前で3個ペロリと平らげた。淡し柿も喜んで食べてくれた。長びく治療の病床にあって、やつれた心身を気遣って会うことを逡巡していたのだが、頭髪も元の様に生え至って元気そうなので再び安堵した。1時間少々しゃべり通しだった。この時の快活な笑顔が目に焼きついている。

 そして3度目の見舞いは、無菌室の中のため果たせぬまま、何もして上げられず見守るだけの無力さに自己嫌悪すら覚え、世の無情を嘆いた。壮絶な病魔との闘いだったが、その死に顔は安らかで眠っているが如くであった。

 生者必滅、会者定離は世の習いとは申せ、余りにも早過ぎる別離である。遺族はもとより、逆様事だけに残された老親の悲嘆はいかばかりかと心中を察すると居た堪れず追慕の情は尽きない。彼女の遺言は、「献体・葬儀無用・戒名不要」の3点だった。合掌。
コメント (6)
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