2024年6月28日 富田林市佐備467(下佐備) 佐備神社
平安時代の延喜式神名帳に記載された歴史と格式のある式内社です。
境内の楠の大木
少なくとも平安時代から存在する旧石川郡の式内社は9座もあり、佐備、竜泉、甘南備の東条谷にはそのうち3座もあります。咸古(かんこ)神社、咸古佐備神社(明治42年咸古神社に合祀)、佐備神社。
〈画面をクリックすると拡大します〉*「富田林百景」メンバー 赤枝昭昌氏作成
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東側の「獅子っ子」のいる急階段を登り詰めると絵馬堂があり、その奥に拝殿・本殿が玉垣に守られています。
絵馬堂には天井に多くの絵馬が掲げられています。結界としての注連縄があり、割拝殿にあたる建物のようです。
この急な崖は佐備川の中位河岸段丘面に当たるところで、比高が11mもあります。(本殿の標高81.7m、下の鳥居の標高71.2m)
この子たちが「獅子っ子」です。
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絵馬堂の右前にいくつかある絵馬の中で一番大きな絵馬があります。年号とか奉納者などの文字は見当たりません。よく見ると、なんか日本と異邦人が戦っているような構図。
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右側の構図:騎乗する武者の甲冑の様子や幟(のぼり)に「日の丸」のようなものが描かれているので、これが「日本軍」でしょうか?
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左の構図:こちらの軍艦は大砲を八門以上積んでいます。小型の手漕舟も見えます。
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手前が岸で武者が戦い、向こうに波間が見えます。
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舳(へさき)に朱雀が羽根を広げた構図。なにか神がかった人物が矢を連続的に放っています。
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矢を受ける外国船。
舳に青龍。洋船にしては中国的?。帆船かどうかはわかりません。
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騎乗する武者の甲冑の様子は日本のものに見えます。
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また幟(のぼり)に「日の丸」のようなものが描かれているので、こちらが「日本軍」でしょうか?
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大砲を持った南蛮船にしては船の形状が少し変な感じ。創造で描かれたのでしょうか?
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船上の兵士は鼻筋が通っていて高く、ひげをはやしているように見えます。
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よく見ると逃げている兵士が南蛮人のような服装をしています。また海に逆さまに落ちた兵士が靴を履いています。
この絵馬の奉納の意図がよく解りませんが、服装や船と大砲の形からして、戦国時代の南蛮船が渡来してきた頃かと思われます。それにしてもなんか不思議な絵馬ですね。
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ほかに奉納されている大きな絵馬。江戸後期の天保年間のもののようです。
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屋敷の中の様子が描かれているようですが、何を表わしているかはわかりません。
刀を抜いている者はいないので、戦っている様子ではないようです。
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これはおそらく佐備神社かと思われます。年号が書かれているのですが判読できません。
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劣化が激しくほとんどはがれています。この絵馬は板に直接描かれたものではなく、板に和紙を貼ってからそこに描かれたものと思われます。
絵馬にも描かれた「獅子っ子」。
東 寅吉(ひがしとらきち)翁頌徳碑
明治40年(1907)神社合祀令により建水分神社に合祀を命ぜられた時、当神社の独立維持の資産ありませんでした。その時中佐備 中山地区の東 寅吉翁がこれを嘆き当時の現金千円(現在の2~3千万円)と山林十町歩を寄付して合祀を免れました。明治42年(1909)に佐備神社を存続させたいという上申書が大阪府に出されています。
明治40年ごろ、明治政府の政策として合祀の嵐が吹き荒れました。
10年足らずの間に、全国的に約20万社あった神社の約3分の1が取り壊されました。柳田國男や南方熊楠らがこの政策に大反対したのは有名です。
富田林でも各村のあった神社がなんと5社に合祀されました。
美具久留御魂神社、錦織神社。春日神社、佐備神社、板茂神社、咸古神社です。
この時、板茂神社・山中田 大伴神社・別井神社・東板持 厳島神社など→建水分神社
伏山神社・加太新田 稲荷神社・須賀(錦織新田) 菅原神社・廿山 熊野神社など→錦織神社
伏見堂神社・嬉 菅原神社など→春日神社
咸古佐備神社→咸古神社に合祀されました。
なお一部の神社(板茂神社や大伴黒主神社など)はその後復社しています。
現在の地車の宮入りの神社に関係しているのがよく解ります。
つまり、東板持、南・北別井が遠く千早赤阪の建水分神社へ、加太、五軒家が遠く錦織神社に宮入りしているのにはこの訳があります。
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賽の神祠
神社の境内にある瓦器の祠に河原石を詰めてあるのは賽の神です。
いわゆる結界を示すもので、邪気(禍・厄・病気など)を中に入れないようにはね返す意図があります。おそらく江戸中期以降の民衆信仰の中で生まれたもので、富田林では旧錦部郡を中心にいくつも確認することができます。村の入口や神社、お地蔵さんの祠の敷石などをよく観察してみてください。
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撮影:2024年6月28日
2024年7月3日 HN:アブラコウモリH
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