桜井 弘法井戸
「河内名所図会」にも記載されている弘法大師祈願の井戸。聖徳太子の伝説もあり。 江戸時代は冷たく甘味があったため、茶道の水に利用され、遠方より汲みに来たらしいですが、今は湧いてなく飲用不可。ザリガニがいます。
清水大師堂 富田林市若松町三丁目
こんなに涌くわけないけど、水量豊か、枯れたことがない。いまもポリタンクで汲みに来られる方が多い。井戸と大師堂が一緒になっています。飲用には煮沸が必要です。旧新堂村大工町の河岸段丘崖にあります。
彼方 大師井 富田林市彼方滝谷
崖の下は佐備地区に流れる川で、崖面から水が湧き出ているようです。数年前までは飲む事が出来ましたが、水質悪化のため今はもう飲めなくなってしまいました。水はポンプで井戸から汲む事ができます。
富田林の東高野街道沿いは、弘法大師にまつわる井戸が多いですね。
新道大師堂 富田林市富田林町30-15
新道地区は昔は新堂村に所属していました。ここの仏像は元々「新堂村北町」の「宝海寺」にありました。明治の初めに宝海寺が廃寺になり、一旦宝海寺の跡地に少堂を設け、そこに安置されて居ましたが、明治の終わりに同じ新堂村の教蓮寺に移され、その後さらに、この大師堂に移されました。
この不動明王さんは、鎌倉期の作と言われており、江戸初期の計画都市 新堂村(現富田林市若松町)の成立前より、新堂村の北部の村(里田 さった)にあったようです。伝承では、織田信長の河内攻めの時に、その村が焼打ちに会い、そこの街並みやお寺も焼けました。ただ、仏像だけは一部お焼けになられたものの、村衆により救出されたそうです。
それが証拠に、この不動さん、お肩のところが焼けただれておられます。(ブログの後の写真を参照)
大師堂にはいくつかの仏像がありますが、見学は出来ません。表の格子の開いているところからご覧ください。
出合地蔵 富田林市廿山
国道309号線の高架の横、金剛東地区から五軒家・狭山に向かう道(府道203号)の脇にあります。名前の由来は以前この地が出合と呼ばれていたことによります。頭の病にご利益があると伝わっています。お座りのお地蔵さんは珍しい。
【イラスト メイキング】 イラストを作るまでの、現地調査の写真です。
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*写真の人物は、イラスト作成のため現地調査をしている、ブログ製作者の家内です。念のため。
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「ごりやく めぐり」 2 2015.11.2.
*イラストは、アブラコウモリHの家内
2015.11月12日 ( HN:アブラコウモリH )
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