富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

「ごりやく めぐり」 3

2015年11月12日 | 館内活動

 

 桜井 弘法井戸

「河内名所図会」にも記載されている弘法大師祈願の井戸。聖徳太子の伝説もあり。 江戸時代は冷たく甘味があったため、茶道の水に利用され、遠方より汲みに来たらしいですが、今は湧いてなく飲用不可。ザリガニがいます。

 

 清水大師堂   富田林市若松町三丁目

 こんなに涌くわけないけど、水量豊か、枯れたことがない。いまもポリタンクで汲みに来られる方が多い。井戸と大師堂が一緒になっています。飲用には煮沸が必要です。旧新堂村大工町の河岸段丘崖にあります。

 

 彼方 大師井 富田林市彼方滝谷

崖の下は佐備地区に流れる川で、崖面から水が湧き出ているようです。数年前までは飲む事が出来ましたが、水質悪化のため今はもう飲めなくなってしまいました。水はポンプで井戸から汲む事ができます。

富田林の東高野街道沿いは、弘法大師にまつわる井戸が多いですね。

 

 道大師堂 富田林市富田林町30-15

新道地区は昔は新堂村に所属していました。ここの仏像は元々「新堂村北町」の「宝海寺」にありました。明治の初めに宝海寺が廃寺になり、一旦宝海寺の跡地に少堂を設け、そこに安置されて居ましたが、明治の終わりに同じ新堂村の教蓮寺に移され、その後さらに、この大師堂に移されました。

この不動明王さんは、鎌倉期の作と言われており、江戸初期の計画都市 新堂村(現富田林市若松町)の成立前より、新堂村の北部の村(里田 さった)にあったようです。伝承では、織田信長の河内攻めの時に、その村が焼打ちに会い、そこの街並みやお寺も焼けました。ただ、仏像だけは一部お焼けになられたものの、村衆により救出されたそうです。

それが証拠に、この不動さん、お肩のところが焼けただれておられます。(ブログの後の写真を参照)

大師堂にはいくつかの仏像がありますが、見学は出来ません。表の格子の開いているところからご覧ください。

 

 

 出合地蔵  富田林市廿山

国道309号線の高架の横、金剛東地区から五軒家・狭山に向かう道(府道203号)の脇にあります。名前の由来は以前この地が出合と呼ばれていたことによります。頭の病にご利益があると伝わっています。お座りのお地蔵さんは珍しい。

 


 

【イラスト メイキング】 イラストを作るまでの、現地調査の写真です。

☆画像をクリックすると大きくなります。

 

 桜井 弘法井戸 富田林市桜井二丁目1587-12

  

 

清水大師堂 富田林市若松町三丁目8-20

        

 

彼方 大師井 富田林市彼方滝谷1983

        

 *写真の人物は、イラスト作成のため現地調査をしている、ブログ製作者の家内です。念のため。

 

道大師堂 富田林市富田林町30-15

          

 

出合地蔵 富田林市向陽台四丁目3-1

      


 

関連記事:「ごりやく めぐり」 1 2015.11.1.

      「ごりやく めぐり」 2 2015.11.2.

*イラストは、アブラコウモリHの家内

2015.11月12日 ( HN:アブラコウモリH )

 


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