富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

2022年度 第4回(通10) 富田林まち巡り「楽山上人の足跡~浄谷寺から大念寺へ~」2022.9

2022年09月15日 | とんだばやし観光会

前回の第3回まち巡りは降水確率が50%を越えたため中止になりました。今回は何とか晴天に恵まれ、16名の方に参加していただきました。通算第10回。

今回は「楽山(ぎょうざん)上人の足跡~浄谷寺から大念寺へ」というタイトルで、融通念仏宗の両寺で修行された楽山上人(当時は晃山と名乗る)の足跡をたどります。

 

2022年9月10日 9:56 富田林駅 16名3班に分かれて、グループで出発。

出発前の説明を受ける3班。

 

富田林街道(平尾街道) 西口地蔵に向かうため富田林街道を歩く2班。

 

西口地蔵 富田林街道の「富田林寺内町」の入口にあります。

町の入口によくおられる地蔵さま。町中に厄や魔物、病気などが入りこまないよう、また行き交うする人が安全に通行できるように守っておられます。

 

寺内町にはこのほかに、北口地蔵、本町地蔵と町の出入り口に3つの地蔵さんが祀ってあります。

横には嘉永元年(1848)に健之された「金毘羅大権現」の常夜燈があります。

 

やさしいお顔のお地蔵さま

火伏地蔵ともいわれ、享保15年(1730)の大火がここで止まった(あるいは止まったところから出てきた)という言い伝えのあるお地蔵さまです。

杉山家文書に記載があるように12月の吹き上げてくる季節風(西風)にあおられて、この火事で西口地蔵のある旧毛人谷(えびたに)地区の半分と富田林寺内町(=富田林地区)の北三分の一が全焼しました。

 

〈画面をクリックすると拡大します〉「とんだばやし灯籠めぐり」富田林百景より

この毛人谷・富田林地区はその後火事に充分気を使い、いろんな対策をしてその後一度も大火に見舞われませんでした。江戸時代、江戸においてはなんと49回の大火が発生し、京都9回、大坂6回、金沢3回と複数回発生していますが、富田林の大火は唯一これ1回だけで現在を迎えています。高低差の関係で町内に井路の水が入らないという欠点を克服しています。

 

百日紅がきれいな融通念仏宗 半偈山 三仏院 浄谷寺 富田林市富田林町7-12 

チラシのタイトルの「楽山上人の足跡」ですが、文政五年(1822)楽山上人(当時は晃山)はまだ12歳。修業の身で浄谷寺の章山上人と師弟の縁を結び、教えを受けました。当時の資料はあまり残っていないようです。

 

本堂内をご住職のご好意でお参りさせていただきました。

本堂は天保十三年(1843)の再建です。もともと弘安九年(1286)に毛人谷地区に建設され、天正二年(1574)に寺内町の当地に移設されました。堂内の肉厚の透かし彫りに圧倒されます。

 

 西国観音霊場三十三度巡礼行者「富田林組」の御背板(オセタ)5基が、完全な形で残っています。大阪府の指定文化財です。

背負うと20~30kg位あるそうです。これに旅する荷物を加えて西国三十三霊場を年がら年じゅう、15年以上に亘り、三十三回も回る行者さんが「おサンドさん」とか「オセタさん」とか呼ばれていた西国観音霊場三十三度巡礼行者です。昭和40年代に絶えてしまいました。彼らはこのお背板を借り受けて、西国三十三所の経路の檀家を回り御開帳しながら、西国1番から33番札所まで990kmを周ります。そしてまた1番に戻って来ると1回で1500kmを歩きます。これを33回まわると満願になります。檀家は河内、和泉、紀伊(紀ノ川中流右岸)に集中していました。

つまり5万kmをひとりで15年以上かけて回ると満願になるわけです。なんと過酷な道のりでしょう。実際満願率は60%(嬉組の場合、行者数75人に対し満願数45人)です。

組(講元)は畿内に6つあり、そのうち富田林市には2つあります。(富田林組と嬉組) この一市町村で2つの組があるのは日本一です。

 

富田林組で一番古い満願供養塔 元文三年(1738)健之

満願して富める檀家さん(富農や有力商家)に気に入ってもらえれば満願供養塔を健之してもらえます。しかし3日3晩の満願供養と供養塔の建設に170両もかかるので、すべての満願した行者さんが供養塔を健之してもらったというわけではありません。およそ半分程度であったようです。(嬉組の場合満願行者45人中供養塔24基 53.3%)

つまりすべての行者さんで満願供養塔を建ててもらった行者さんは全体の30%位です。

 

〈リバイバル・アーカイブス〉【長編】富田林市の日本一 2021.1.31

あともうひとつ日本一をあげると、西国三十三度満願供養塔(組に属するもの)の数が富田林はダントツの日本一です。

西国三十三度行者とその供養塔についてはまた改めてブログアップいたします。

 

境内のもう一つの大きな建物、「二尊堂」

応長元年(1311)石造地蔵菩薩立像と十一面観音菩薩像の二つの尊像を安置しているので「二尊堂」といいます。大正四年(1915)建設。入口の階段が2つ、鳴らす鐘(鰐口)も2つ。

 

じないまちの薬師堂 富田林町11 浄谷寺の境外地

薬師堂の薬師如来さまは恋文でつくられたとか...、江戸時代に造られた美しい乾漆坐像で胸に赤い卍が描かれ恋文薬師と言われています。建物は文政13年(1830)に建てられました。

 

葛原家住宅 重要伝統的建造物保存地区の「とんだばやし寺内町」の町なかを歩きました。

 

橋本家住宅 「日本の道百選」に選定されている城之門筋をナビゲーターの説明で歩きました。

 

亀ヶ坂 富田林寺内町には江戸時代12の出入口がありました。そのうち崖下に降りる坂が5つあります。そのひとつ。崖の高さは約10m。

 

中間地点のコンビニで休憩。このあと板茂神社で昼食のため食料調達する参加者、アイスクリームをほおばる参加者。

 

後半の目的地 融通念仏宗 大念寺

楽山上人(当時は晃山)は文政八年(1825)15歳の時にここの円嶺上人の教えを受けました。ここも当時の資料はあまり残っていないようです。

楽山上人は6万人に加持祈祷した僧侶として有名で、修業して文政十年(1827)で本山 大念仏寺で融通念仏宗の法流を受けます。

そして天保十年(1839)30歳の時に融通念仏勧進をはじめます。名帳に1万人ごとに、地蔵菩薩を安置する活動を続け、1万人目は玉造稲荷社、2万人目が母恩寺、3万人目が蓮華庵など大坂に地蔵を安置して行きます。

続いて4万人目の時に融通念仏宗の再興の地である茄子作本尊掛松(枚方市)の隣に地蔵を安置します。この頃病を患いながらの加持祈祷のようでした。

続いて5万人目が本山大念仏寺、最後6万人目が五個荘町山本門村地蔵堂に安置します。

6万人勧進が終わり、病が悪化して楽山は、弘化3年(1846)37歳で没します。

「八尾のお上人」「生き地蔵様」と呼ばれていました。

 

大念寺門前で説明を受ける参加者

楽山上人は、文化七年(1810)に堺の川端町で生まれました。父は西田半蔵と言い、4人の男子があり、楽山は3番目で、俗名を徳之助といいました。長男が家を継ぎ、残る3人はいずれも融通念仏宗の僧になりました。
両親から数え6歳のときに、町家に奉公するか、僧になるかと問われた楽山は、僧を選びました。7歳で百舌八幡宮の光明院に入寺し、翌年には融通念仏宗河内国丹南郡平尾村正念寺に入寺。義明和尚により剃髪を受けました。12歳の時、浄谷寺章山と師弟の縁を結び晃山と名乗りました。
 そして20歳の時、河内国若江郡木戸村清慶寺(八尾市)の住職となります。この時、大和国稗田村の詮海上人に出会い、楽山と名前をあらためます。そして30歳の時に融通念仏勧進をはじめます。

 

ご住職のご好意により、中秋の名月の日に執り行われる「へちま供養」に参らせていただきました。

昔はへちま加持で富田林駅からバスが出たとか、川西駅からここまで人の波が押し寄せ境内に入り切れなかったとかの言い伝えがあります。

現在は加持祈祷は行われていないそうですが、ぜんそくや胃腸病にへちまを患部にあてて加持祈祷を行なったそうです。

 

お供えされているへちま。

当日の準備は信者の方がされているそうですが、こんな立派なへちまを栽培されている農家が少なくなっているのが、悩みの種だそうです。

中秋の名月の日に行うのは、その日から月が次第に欠けていき、病が欠けて快方に向かうという意味を込めてだそうです。

 

聞くのを忘れましたが、息子さんでしょうか?

ご両人様からは法話と丁寧なご説明をいただきました。

 

川西駅への帰り道、西板持の田園地帯を歩きます。現在はハウスのきゅうりを収穫されています。

川の氾濫によってできた砂質の土壌で、千両なす、きゅうり、里芋、えび芋、米の栽培の盛んな農業地帯です。

 

途中、「まるいかんぱにー」さんに立ち寄りました。ブルーベリー狩りや即売、ジャムやスイーツの販売もされています。ブルーベリーの木が500本もあるそうです。

例年なら収穫期は終わっているそうですが、今年は天候が味方して、最盛期は過ぎたものの営業期間を延長されているとのことでした。このブログがアップされる頃は販売は終了していると思われます。

関連記事:とんだばやし観光会(11)

《リバイバル・アーカイブス》私の富田林百景+「 浄谷寺 」 2016.2.16

写真撮影:2022年9月10日

2022年9月16日(HN:アブラコウモリH )

 

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