① 北口地蔵 2016.1.2.15:06 富田林市本町
富田林寺内町の出発点
御坊さん(興正寺別院)前より、城之門筋を経て、喜志の宮さん(美具久留御魂神社)へ。
北口地蔵は赤ちゃんの夜泣き・疳の虫にごりやくがあるとか...
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北口地蔵の脇にある道標
左:ふじい寺
右:まきのお寺
現地点からすると方向がずれており、元々ここにはなかったようです。
②寺内町を出て、喜志方面に向かうあたり、こんな狭いところを通ります。人がすれ違うのがやっとですね。
③左側のシャッターに「深溝連合水利組合 水防倉庫」と書かれていますね。この下を井路が流れています。
この手前より、深溝(ふこうど)井路と並んで進みます。深溝井路は富田林市錦織東3丁目の井堰にて、石川より取水し、河岸段丘崖の傾斜を巧みに利用しながら、付近の田んぼを灌漑し、喜志の粟ケ池へ至ります。粟ケ池から出て、喜志五郷(現在は、七郷)を潤します。
ここからは巡礼街道といっしょに進みます。傾斜にそって曲がりくねってはいますが、これはこの井路の保全に大きく役立っているようです。コンクリートで護岸を固めることができない時代、維持・メンテがしやすいようにしています。少なくとも深溝井路は、中野北・谷川遺跡の発掘に結果より、ほぼ奈良時代に成立していたようですので、富田林~粟ケ池間の道は、それに伴い、次のように自然発生的にできたのが、街道としての由来ではないでしょうか。
1.護岸(原則、標高の低い方)に沿って、街道がはしる。護岸を踏んで固める意味。
2.道路があると、人が通るので、護岸がいたんでいるとか、井路に不具合が出てもすぐわかる。
3.道路があると、補修資材が運びやすく、修理しやすい。
④西国三十三度巡礼満願供養塔
お詣りされる方が後を絶えません。通称「ホウケンドウさん」とか、「歯痛の観音さん」とか、親しみを込めていわれています。
「ホウケンドウさん」は、堂内の塔の形「宝篋(ほうきょう)印塔」から、「歯痛の観音さん」は塔身にある「観音さんが歯が痛くて頬をさすっておられるようにもみえる」ことから、このように呼ばれているのではないでしょうか。
⑤街道は近鉄 長野線の踏切を渡ります。ここで深溝井路も踏切を渡りますが、井路は踏切を渡った後すぐ、街道の下を暗渠でくぐり、標高の高い方(西側、左側)に井路が戻ります。(付属の地図参照)
明治32年に河南鉄道が、線路を敷かれる前は、おそらく井路の東側(右側)に街道があったと思われます。
⑥踏切を渡り、すぐに街道は東側(右側)に替わりました。
⑦少し進んで、行程の半ばくらいまで来ました。
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東側に二上山がよく見えます。
⑧まもなく外環(国道170号線、大阪外環状道路)を渡ります。
⑨ここが外環交差点 街道は斜めに向こう側に横断します。
⑩レンタル重機置場の横を井路もろとも通ります。
⑪喜志の宮さんがある宮町の町がみえてきました。
道路わきのキンカンと水仙です。季節感がありますね。
⑫町にはいって、いきなり三叉路のぶつかります。町の入口の「あてまげ」です。遠見遮断の意味もあるでしょうが、むしろ魔物や厄を遮断する昔からの習わしにならったものと思われます。魔物や厄は直進するという言い伝えから、古くからある集落は町に入る道路を直角に曲げていることがあります。よく「賽の神」や「衝波除け」、「お地蔵さん」が置かれているのは、このためです。
突き当り左側に、道標が見えます。
三叉路の横にある道標
銘は彫られていましたが、解読できません。
⑬左に曲がってすぐのところ。さらに、次の三叉路を、今度は右に曲がります。
⑭ この三叉路にも背の低い 道標があります。誤ってまっすぐ進んでしまいそうです。
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⑮2番目の三叉路を曲がってすぐのところ。
⑯少し行くと、参道に至ります。次の交差点を左に。
⑰喜志の宮(美具久留御魂神社)の2つ目の鳥居。
この鳥居は大正時代の鳥居ですが、注連縄で結んだ古い形の鳥居です。秋祭りでは地車のの前が注連縄に引っかかるので、ここで地車がお辞儀をします。
⑱3番目の鳥居。向こうの建物は下拝殿です。
⑲元禄六年(1693)に寄進された古い手水盆。320年前のもの、歴史を感じますね。
⑳下拝殿前
㉑下拝殿
ここから奥が急な階段を登って、上拝殿、本殿があります。
逆方向に、鳥居越しの二上山が見えます。
おみくじの木
美具久留御魂神社イメージキャラクター 「みぐくるん」
頭は二上山、袖のヒダヒダは石川の流れを表しているそうです。
初詣の時に下拝殿横に作られるたき火
あったかい
巫女さんの舞
舞が奉納されています。
㉒上拝殿に上がる階段。急で段差もあり、足がもつれそうです。
㉓階段をあがり切りました。正面に本殿が見えます。
上拝殿横
ここにも狛犬と灯籠が。
㉔本殿=終点
お正月で開けておられました。通常は中には入れません。
延喜式神名帳(延長五年、927)に名前を連ねた式内社 美具久留御魂神社 少なくとも、千年以上の歴史を町とともに歩んできました。すでに平安時代から成立していたことは明らかです。社伝によれば紀元前88年、崇神天皇の用命で創建されたと言われる由緒ある神社です。
撮影:2016.1月2日
2016.1月3日 (HN:アブラコウモリH)
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