「富田林おもろスポットウォーク パート2」を12月5日に開催します。
前回はコロナ禍の中、80人以上の参加者がありました。今回は喜志から中野、新堂、富田林の町を巡ります。
特に新堂の町の起源に関わる解説もしますので、お楽しみにしてください。
好評、受付中!(定員オーバーは抽選)
近鉄喜志駅東側9時集合。
12月5日(日)開催のイベントの現地解説をするため、下見会をしました。
緊急事態宣言中とあってメンバーの1/3しか集まらず、10名で出発。
「聖徳太子御廟」碑は大正10年(1921)聖徳太子が亡くなられて1300年の御遠忌(ごおんき)の節目に建之されました。そして今年は1400年御遠忌。
つまり、この碑も100周年です。当時、近鉄 喜志駅は大阪鉄道の「太子口喜志駅」という名前で、「御廟」への最寄駅でした。今は近鉄 上ノ太子駅かここから金剛バス。
粟ケ池下流の肥沃な田んぼを歩く。
近鉄高架工事現場の塀に喜志小学校の生徒さんが描いた絵の作品が貼ってあります。
今年はウンカの被害は大丈夫のようでした。
粟ケ池 富田林市最大級のため池 堤長は710メートル、満水面積は6.6ヘクタール。
奈良時代にはすでに成立していた粟ケ池。その水利について説明しているところ。
粟ケ池の案内板。水利についてわかりやすい説明。
流入口が人工の水路(深溝(ふこうど)、人口の水路1個所、出口が6個所。この用水を喜志の村々が仲良く利用します。
〈画面をクリックすると拡大します〉
粟ケ池と深溝井路のおもしろい関係。
深溝井路の支流がなんと360度方向を替えるところ。東高野街道沿い。
中野町の水路の水がUターンしている所。そのからくりについて説明しています。
中野地区 大和棟の家屋が3軒もあります。しかも2軒は茅葺き屋根で貴重!
中野長寿会館に到着。いろんなものが集合。地車庫、地蔵、太神宮灯籠、力石。
地車庫
お地蔵さん
太神宮灯籠と力石。
〈画面をクリックするとデータが見れます〉
太神宮灯籠は伊勢灯籠。銘は慶応三年(1867)
力石。若い衆の力比べ。
浄土真宗のお寺 正受寺と西徳寺を過ぎ、そのまま細い道筋を南に行くと中野竹林。
ここは楠木正成の城塞群のひとつ、中野城の跡。
現在は美しい真竹の整備された竹林が広がります。
新堂地区に入りました。ここは東高野街道の新堂入口。
新道ができる前は、幼稚園の方から屈曲して入ってくることを説明しています。
片方だけ現役で残る石橋 永續橋(永続橋 えいぞくばし)って、銘かれているようです。
古民家の軒下に防火バケツが吊さがっている。バケツには「会所町」と書かれています。
新堂会所町 龍地山光盛寺 若松町五丁目8-12
真宗本願寺派(西本願寺)のお寺です。写真の山門右のイチョウは富田林の民話の「めおといちょう」。ただし今は雌株しかありません。
ご住職にお会いして、境内をご案内していただきました。
なんと至徳元年(1384)、南北朝時代の開基。
本堂の巨大な礎石。全部の礎石のうち、2個だけ他より4倍以上大きい礎石があります。
三国ケ丘高校の先生によると、なんと白鳳期の礎石ということでした。
新堂廃寺にはもともとあったと思われる礎石が心礎以外は見つかっていません。
ひょっとすると新堂廃寺の礎石の転用の可能性があります。
12月5日の「おもろウォーク」でも、見学していただく予定です。
新堂 庄屋町の太神宮灯籠
〈画面をクリックするとデータが見れます〉
新堂は北町、会所町、庄屋町、南町に分かれています。
大工町は古くもともとあった村ですが、新堂が近世初頭に計画的に作られた時に引っ付いたようです。そして明治の初めに北町の寶海寺が廃仏毀釈で廃寺になりましたが、各町ごとにお寺がありました。
ここは庄屋町の大圓山専光寺 若松町四丁目1です。
鐘楼にある釣鐘は戦時供出され、軍需工場で品質検査のため穴があけられ、戦後変換されました。
新堂のお家の玄関横の祠に居られる役行者さま。
ここの役行者さまは、小さくかわいい、アルカイックスマイルの役行者さまです。
石造や威厳のある役行者さまが多い中、やんわりとした木造の役行者さまは少ないようです。
富田林市では大峯山上参りが盛んでした。喜志木戸山、毛人谷、錦織、富田林にも役行者さまがいたはります。
甘泉山教蓮寺 南町 若松町三丁目5
太鼓門の入口。入口は狭いけど、境内は264坪あります。
教蓮寺の庭にあるでっかいお地蔵さん。(以前に入れていただいて撮った写真)
弘法大師遺跡 清水井 大工町(若松町三丁目8)
弘法大師ゆかりの清水井。大工町の南東、河岸段丘の崖の所にあります。
富田林には弘法大師の井戸と言われる井戸がいくつもあります。
清水大師
地域の方に大切に保管され、今も沸かせば飲むことができます。堂内にはひんやりした空気が流れ、清水大師、八代龍王、地蔵さまなどいろんな神様が祀られています。
富田林寺内町に着きました。一里山口にある公園で、右の道は東高野街道です。
ここには江戸時代に一里塚と高札場が設置されていました。
みんなもうくたびれた様子で、座れる場所を見つけては休憩状態。
寺内町、一里山口の案内板。「これで説明すると便利だな。」
城之門筋 興正寺別院
寺内町もいろいろ周りましたが、疲れてあまり写真が撮れていませんでした。
越井家住宅の黒漆喰の米蔵。あともうちょっと...
やっと着いたぁ。
富田林寺内町見学、じないまち交流館にて解散。
長文最後まで見ていただきありがとうございました。
なお、個人の写真公開は了解を得ております。
12月5日にお会いできるのを楽しみにしております。 2021.09.28 kusu
記事を追加しました。 2021.09.29 aburakoumori
新堂 光盛寺の白鳳期の礎石はすごいですね。新堂廃寺のものかな?ご住職 盛様にはお世話になりました。ありがとうございます。
礎石は当日も見学していただける予定です。
富田林百景代表 林 保夫
当該日を楽しみにしております。