2024年10月20日 9:55 富田林市桜井町二丁目 喜志の宮の一の大鳥居横
宮元である「宮」の地車と宮入りする「毛人谷(えびたに)の地車がおじぎしてあいさつを交わします。他の地域であまり見られない古くから続く習わしです
10:07 今年は一番の宮入り、「毛人谷」の地車ほか、二番「富田林」、三番「寺内町(じないまち)」の水上の地車が待機しています。
9:51 宮元である「宮」の地車がおじぎして、宮入りする他町の地車を迎えるのが喜志の宮の宮入りの習わしです。
9:51 宮入り一番目の毛人谷の地車がそろそろ動き出しました。
9:52 一の鳥居前でまずおじぎします。
警察官のものものしい警戒は、おそらく昨年見に来ておられた方がけがをする事故があったからだと思います。
9:53 そして「宮」の地車と相対しておじぎします。
「宮」の地車は早い時間からここで他町の地車を迎えるため待機しています。
9:55 「毛人谷」が一の大鳥居をくぐります。ここの地車は子供地車ですが、大きさは宮入りする13台の最大級。子供たちは通常は曳き縄曳行していますが、宮入り時は大人だけで曳行します。
9:57 2番入場は「富田林」。
富田林じないまちには現在2台の地車があります。「富田林」と「寺内町」。
昔、富田林寺内町には6台の地車があったのをご存じですか?
昔と言っても150年近く前、明治前期のころですが...
9:58 「富田林」子供地車、一の大鳥居通過。
現在、羽曳野市古市地区は地区内のそれぞれの町で6台の地車を所有していますが、富田林じないまちも今の町会ごとに6台の地車を所有していました。
富田林じないまちはこの地車をすべて売却し、町内の旧家からも寄付を集めて、南河内の中心であった古市地区から、郡役所・警察署・保険所・裁判所・法務局・登記事務所などを誘致しました。
その売却された地車のひとつが現在の富田林市の「伏見堂」の地車です。
9:58 ここからの参道、下拝殿までなんと700m近くあります。ここから歩いて10分も掛かります。
現在も喜志地区は喜志七郷と呼ばれ、宮・桜井・川面・喜志(大深 おおけ)・木戸山・平・喜志新家のすべてに地車を保有しています。ここは江戸時代は惣村(江戸期は五郷 村が五つまとまって仲良く暮らしていた)と呼ばれ一つの大きな村でした。庄屋さんが5人もいたのは驚きです。村内なんと二千石の石高!
10:01 第3番「寺内町」登場。
10:02 一の大鳥居前で神社に向かいごあいさつ。
10:03 「宮」の地車と相対しておじぎします。
10:04 「寺内町」のお兄ちゃんが「宮」町にごあいさつ。
10:06 このおじぎを維持します。
10:06 「寺内町」の子供たち、ダンスでごあいさつ。
10:06 それにダンスで答える「宮」のみなさん。めちゃくちゃダンスが上手!
10:07 どちらも完璧、立派!
10:07 爆笑でした。
10:07 伝統の中に個性あり。
10:07 「寺内町」のみなさん、ありがとう。
10:07 「宮」町のみなさん、ありがとう。
10:07 やったぜ! 最高でした!!
10:09 だんじりに「富田林幼稚園 園児募集」ののぼりがユニーク。
公立の幼稚園です。私は60年以上前の卒園児。
10:11 ここからも正面に二上山。
10:10 すこしあばれて、神社に向かいます。
10:21 先に神社に到着した「富田林」。これから順番に宮入りし、口上と俄(にわか)奉納されます。この後は後編で。
*俄奉納:神前に奉納する寸劇。曳き手三人が演じる簡単なお芝居で、時代劇が多くかつらをかぶり荒化粧して、コミカルに演じます。最後に「落ち」を付けるのですが、しゃもじや大根など日常にある物を使い、語呂合わせで「落とす」のがカッコよさです。うまく落ちないとはずかしい。
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