明治の始めに廃寺となった旧十輪寺(現在水利会館・児童公園)に富田林市で唯一の八角柱の民衆信仰の灯籠があります。
(川西)新家村は「岩井」村とも呼ばれ、河内音頭(新聞読み)元祖といわれる岩井梅吉(本名 内田梅吉)の碑があります。
〈画面をクリックすると拡大します〉
南河内からの伊勢参りについてご紹介します。
江戸中期以降、民衆の参宮熱はますます高まり、「一生に一度はお伊勢参り」といわれるほどでした。
〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林からは3つのコースがありますが、伊勢本街道を行くのが普通のコースとなります。
富田林百景で伊勢本街道を巡りました。
〈リバイバル・アーカイブス〉旧街道伊勢本街道を巡る 2018.4.27
〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林市域の灯籠の建造年表です。江戸中期の明和期から各地区で伊勢灯籠が多く(14基)造られ、江戸後期には12基で伊勢灯籠以外の灯籠が増えていきます。
〈画面をクリックすると拡大します〉
おおまかにいうと、江戸中期の明和・安永年間が最初の灯籠ブームですべて伊勢灯籠、江戸後期の文化年間以降は金毘羅灯籠など伊勢灯籠以外の灯籠も増えてくるのがわかります。
景気引き締め政策の寛政・天保年間と政情の不安定な幕末・明治初期も灯籠の建造の少ないことがわかります。
〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
〈画面をクリックすると拡大します〉
幕末頃の富田林市域の領主と石高はこちらをごらんください。
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
関連記事:南甲田 養楽寺「太神宮」灯籠 2024.1.8
新堂 大工町「太神宮」灯籠 2024.1.4
北甲田「太神宮」灯籠 2024.1.2
喜志 平町「太神宮常夜燈」 2023.12.29
毛人谷「愛宕山夜燈」 2023.12.28
喜志 川面町の「金毘羅夜燈」 2023.12.27
2024年1月11日 (HN:アブラコウモリH )
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます