富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

《リバイバル・アーカイブス》喜志の条里と粟ケ池 1

2015年07月25日 | 館外活動

〈リバイバル・アーカイブス〉2021.7.5.~7.19.

原本:2015年7月25日

 横断橋が完成真近の粟ケ池

古代成立の溜池と考えられます。南北400m、東西150m、6.6haの大きな池で、水源は、7.3km上流の石川の水を荒前井堰から、また途中4.8kmの地点で深溝(ふこうど)井堰より取水し、上流の村々を潤しながら流れてきます。

記紀の記載内容からは、仁徳・推古天皇にその起源を当てる説があります。そして、考古学資料(中野北遺跡・宮町遺跡・谷川遺跡)からは、ほぼ奈良時代成立と考えられています。

 ここをクリックすると、さらに説明します。

 

 喜志 宮地区の田んぼ 

田んぼの縁(ふち)に植えられているのは、たぶん「くわい」かな?雑草のオモダカにも似ていますが...

 

 喜志 宮地区の田んぼ

粟ケ池や深溝井路の灌漑に頼る、生産性の高い肥沃な田んぼです。しかしながら、最近は休耕田や家庭菜園への転用も見られるようになりました。また、裏作に裸麦(大麦の一種)や河内一寸空豆を作っていた昭和30~40年に比べ、現在は冬場あまり作物を作っていません。

 


【喜志の名の由来】 なんで、「きし」は「喜志」ていうのでしょうか?

平安時代に岐子庄(きしのしょう)という名前が弘安4年(1281)5月26日付の大政官牒(西琳寺文書)にみえます。同じく、「民経記」寛喜3年(1231)10月巻の紙背文書中に、支子庄沙汰人 沙弥定西 言上状があり、同音の「きし」とよばれていたと考えられます。喜志の各村落は、遺跡の散布からして、おそらく原型は弥生時代またはそれ以前にあると考えられますが、「きし」の名前が出てくるのはこのあたりからです。平安・鎌倉期は「、「支子、岐子」が使われ、室町期以降は「岸村、喜志村」が文献では使用されてます。


 喜志 喜志新家地区の田んぼ  掛稲と近鉄電車

現在は自然乾燥するところは少なくなりました。下流部ですが、ここも粟ケ池からの用水が流れています。

 

 粟ケ池のコシアキトンボ

 夏場はアオコが発生し、水面が緑色になります。池が富栄養状態になっていると思われます。

シオカラトンボ、ムギワラトンボとともに、このコシアキトンボ、このあたりでよく見かけますが、黒っぽい体のなかで「腰」の2節が白く、色が抜けているように見えるので、コシアキトンボと言うそうです。

 

 美具久留御魂神社の横の溜池、上之池のアオサギ

 この上之池は羽曳野丘陵の東斜面にある溜池ですが、アオコが発生し、富栄養化が進んでいるようです。

深溝井路より標高の高い西側については、溜池灌漑になりますので、丘陵の東斜面の谷地に多く溜池(谷池)が作られています。

 

 (画像をクリックしますと、拡大します。)

「 粟ケ池より下流の灌漑水路」 粟ケ池共園の案内板より

井路(水路)を通して、喜志の各村の田んぼに灌漑用水がくまなく配られていることがよく解ります。

流入する河川はなく、人工の井路(水路)が1つだけ。しかし、流出する井路は6つ(樋は7つ)もあります。

なお、宮地区は粟ケ池からでなく深溝井路とその延長の井路から、平地区は、辰池・喜志新池方面から、喜志新家地区は粟ケ池と辰池・喜志新池の両方の井路から水を取り込んでいます。

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

 喜志地区は粟ケ池の水利で各集落が結びつき、喜志という大きなひとつの村にまとまっています。この形態を惣村と呼んでいます。

江戸中期のの村明細帳によると、2000石以上の近在にはないほど大きな村に成長し、村の庄屋さんが5人居られ、お寺が6ケ寺もあったことがわかります。

 ここをクリックすると、江戸中期の近在の村の状況を確認できます。

 ここをクリックすると、さらに説明します。

 

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

 等高線図から判断すれば、粟ケ池が構築される前は小さな河川がこのように流れていたと想像されます。

粟ケ池の堤防の東側が湾曲しているのは、この流れに対して直角に最初流れをせき止めたようで、堤防が傾斜に対しても直角になっているのがわかると思います。

そして、この流れは小さな流れであったようです。

粟ケ池の上流部(南側)の中野地区に東側に開口する浅い谷があり、上流部の水はここから東進して流れ、河岸段丘面から東進して、石川の氾濫原に下ります。

このため、上流部の水の流れの多くはこの谷のほうに流れ、粟ケ池の築造された堤防付近の流れは、地図のとおり上流の西側の流れしか取り込めていないのがわかります。

現在この付近は、1町(109m)ごとに条理制起因の井路(水路)の流れがあり、つまるところ粟ケ池に流入する自然の流れは全くなく、すべて深溝井路の用水に頼っているわけです。

粟ケ池は流入する自然の河川はなく、流入する用水は人工の深溝井路に頼っていること。そして、出ていく水路は喜志の各村々へ、この場合は、桜井、大深、木戸山、川面、喜志新家がそれに当たります。

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

現在の、粟ケ池南部(上流部)の中野地区の井路の流れを表します。条里地割に沿って井路がめぐり、粟ケ池南端では道路をはさんで流れが逆になっているところがあります。

この地図の流れを見ても、粟ケ池に流入する井路が、深溝井路以外にないことがわかります。

地図の左端に深溝井路があり北流しますが、それ以外の井路は最終的に東進していくことがおわかりになるかと思います。

 

 イトトンボの仲間 

 

 花がさきましたね! 2013.8.28.の写真

田んぼにはいろんな小動物がいます。

 

 ケリというチドリ科の鳥です。文字通り、「ケリッ」と鳴く鳥で、外敵が近付くと、鳴きながら激しく威嚇します。

 

 深溝井堰 富田林市錦織東1丁目

粟ケ池の4.8km上流部、石川の左岸より取水し、河岸段丘面と段丘崖の傾斜を巧みに利用しながら、周辺の田んぼを潤し、富田林市錦織より、甲田、毛人谷、新堂、中野に至り、粟ケ池に至ります。 

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

 荒前井堰 河内長野市向野町 

 粟ケ池の7.3km上流部、石川の左岸より取水し、掛樋で2か所小河川を越え、河岸段丘面と段丘崖の傾斜を巧みに利用しながら、周辺の田んぼを潤します。途中、富田林市宮甲田町で、錦織神社の横を通過して、井堰から4.8kmの甲田一丁目/常盤町で深溝井路と合流します。

錦織神社灯篭の中に「水郡(にごり)天王宮」と記銘されている灯篭があり、そのとおり荒前井路がすぐ横を流れます。

水に関わる神社として、錦織神社は水郡天王宮と呼ばれていた時期があります。神社は旧錦部(にしきべ)郡の産土神で、創建の時期は明らかではありませんが、本殿修理の際に平安時代中期の瓦が発見されています。

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

 

 (地図をクリックしますと、拡大します。)

ここをクリックすると、さらに説明します。

 

 最近あまり見かけなくなったトノサマガエル

 

 くちばしが黄色いので、ダイサギかチュウサギと思います。

 

 桜井地区の田んぼにあった「大槌町奇跡の復旧米」栽培田

東日本大震災で被災した岩手県大槌町のがれきの中で実っているのが見つかった「奇跡の復興米」...大槌町の住民の自宅跡で見つかった3株の穂から始まりました... 富田林市が大槌町に復興支援をしていたことから、昨年種もみが寄贈され150kgの収穫がありました。今年も喜志 桜井の田んぼで栽培されています。

 

 喜志地区をはじめ、富田林市の上流部で水利を同じくする中野、新堂、毛人谷(えびたに)、富田林地区、さらに市域を越えて下流部の羽曳野市尺度地区の産土神である美具久留御魂(みぐくるみたま)神社。下拝殿からは、鳥居越しに二上山が正面に見えます。

 

 鳥居の影が長く尾を引く神社の下拝殿。

 

 2014.4.6.6:00 鳥居越しに二上山から上る朝日

桜の季節、荘厳な一瞬。

 

2014.4.8.5:58 朝早くから参拝される方々

朝早くからの参拝の方が鳥居のところで立ち止まり、一礼されています。

この場所は、北緯34度32分、春分の日と秋分の日に太陽が通るラインで「太陽の道」と呼ばれています。ここ美具久留御魂神社や二上山、粟ケ池においても太陽の道のラインに当たり、この時期のなると、写真のように東西一直線に並んで見えるというわけですね。ただ残念ながら、神社の緯度は、北緯34度31分4秒なので、すこし南側にぶれているわけです。ですから、、春分の日と秋分の日よりすこしぶれて、4月6日ころと9月6日ころの年に2回だけ、神社の下拝殿から鳥居越しに二上山からの日の出が見られます。

実はみなさんよく御存じで、このころになると写真を撮るおおぜいの方が、ここに来られます。富田林市の有数の日の出スポットです。

「太陽の道」については、こちらをご覧ください。

 

来年の着工をめざし、かなり工事が進んでいる横断橋。外環との連結を目指します。(美原太子線)

 粟ケ池と美具久留御魂神社(喜志の宮)はいつの時代でも喜志地区の方々の絆になっているようです。

 

2015.7月25日 (HN:アブラコウモリH)

 


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