
これは富士山の五合目で雲に覆われたときの写真です。上を見ても下を見ても、何も見えません。

すぐ目の前のもの以外は、少しでも遠くのものは、まるでそこに存在していないような… 空間が霧色に切り取られてしまっているように感じられます。
ホームページにも、このテーマではこれまでからいろいろ書いてきた気がします。霧、靄(もや)、霞(かすみ)、雲。わたしたちの視界を覆い、見たいものも見えなくしてしまうカーテンのような、ベールのような。

サンテグジュペリもたしか、本当に見たいものは隠れているという意味のことを書いていました。こころの目でしか見えないものがある、と。真理を「観る」ためには、レースのカーテンを開けるしかないのでしょうか。
このカーテン、目の前にあるはずなのに見えないという風景にかかっているのか、自分の目そのものにかかっているのか…

霧や靄に隠されて、あるいは雲の向こうに、山や自然はいつも姿を変えずに存在し続けているのに、それが見えたり見えなかったり、あるいは一部分だけ見えたりする… いつも変わらない全体像は「観る」しかないのでしょう。
「今日は見えないけれど、そこに必ずあるはずだ」と主に信頼して歩む日々でありたいものです。
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Mount Fuji