黄砂が来ています。
普通の布目など平気で通り抜けていくこうした微塵は、
目に見えないだけに怖いです。
コロナで慣れたマスク選びと同じで、
目に見えないものをどこまで防げるか…
わたしたちの悪からの誘惑対策と通ずるところありです。
目に見えなくて、日常の中でいつの間にかスルスルと
体内に侵入してくる、それをどう防御するか!?
“神的”マスク、それは謙虚に自分を省みる姿勢でしょうか…
復活の主に助けを祈りつつ。
黄砂が来ています。
普通の布目など平気で通り抜けていくこうした微塵は、
目に見えないだけに怖いです。
コロナで慣れたマスク選びと同じで、
目に見えないものをどこまで防げるか…
わたしたちの悪からの誘惑対策と通ずるところありです。
目に見えなくて、日常の中でいつの間にかスルスルと
体内に侵入してくる、それをどう防御するか!?
“神的”マスク、それは謙虚に自分を省みる姿勢でしょうか…
復活の主に助けを祈りつつ。
主のご復活、おめでとうございます。
今日はイースターです。
長いコロナ禍での年月の後、教会では
ようやくいつつものようにこの日を祝えました。
久しぶりに教会に来たという方などが、互いに遠くから手を振って迎えたり、
隣や前後の席に着くと抱き合ったり手を握ったりで、
まるで遠方に旅に出ていたみたいでした。
確かにこの3年ほどの間、皆それぞれ旅に出ていたのですね。
それまで当たり前のように思っていた繋がりを断たれ、
それぞれの生きる場でひとり旅を続けていたのでした…
復活の主が人々を再び結びつけてくださるということを、
とても強く感じました。
教会とは、いえ、信じる人が集う場はどこでも、
互いに受け入れ、聴き合う場です。
世界中、どこの誰(どの国)が攻めてくるかもと、
互いに疑心暗鬼になってきたようなこの1年。
信頼し愛し合うはずの21世紀の人類は、
また歴史を逆戻りしているような…
今年のイースター(復活祭)は明日です。
今宵、そして明日、
イエス・キリストが十字架上での死から
復活されたことを記念する式が、全ての教会で行われます。
世界と自分の心のなかの平和を祈りながら。