楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

一年の終わりに…

2018-12-31 16:55:00 | Sisterのねごと


「あっという間に」という表現が
毎年ぴったりに思える大晦日。

今年もやっぱり、あっという間に
今日を迎えてしまいました。
今年一年、ホームページの更新も怠慢なまま…
それでもこのブログを読んでくださった
皆さま、感謝です!

あっという間に日々が過ぎるのは、
元気な証拠かも知れません。
そこそこ充実して生きていると
いうことなのかも知れません。
と最近よく思います。

病や闘病に毎瞬苦しんでいる方々にとって、
あるいは病のために命の期限が
区切られているような方にとって、
来年の年の瀬が来るか来ないか
わからないという方にとって、
また戦火の中を身を伏せながら
生き延びる人々にとって、
あっという間にスイスイと終わってしまう
1年などないのかも知れません。

そんなことを思うと、今年最後の今日、
この一日を言い尽くせない思いで
過ごしている方々のために祈らずにはいられません…

聖家族をお祝いする今日…

2018-12-30 17:48:00 | Sisterのねごと


聖家族をお祝いする主日の今日、
『毎日の読書』には聖パウロ6世教皇が
ナザレで行われた説教の抜粋が載っています。

その中に「ナザレの生活から得られる教訓の一つ」、
第1番目として、次のような勧めがありました。

在位期間の1963年から1978年の昭和時代まっただ中で、
すでにこの世は騒音や喧騒に溢れていたと。
いつの時代もわたしたちの心をざわつかせ、
集中できない状態にするモノがあるのですね。

「まず、それは沈黙です。この大切な、
欠かしてはならない精神の状態、
沈黙をもう一度評価し直したいものです。

わたしたちは落ち着きがなく、
神経をいらだたせる現代生活の中にあって、
ひっきりなしの騒音、喧騒、叫びに
取り囲まれています。

心を潜め、内面に留まること、
心に浮かぶ正しい衝動に気づく敏感さ、
真の指導者たちの教えを聞く心構え、
また準備、研究、黙想、個人的な内的生活
、隠れたところで神だけが見ておられる
祈りの必要と価値を、
ナザレの生活から学び取りましょう。」

フランスシスコ教皇の祈り

2018-12-28 20:54:00 | Sisterのねごと


仕事納めの今日。寒さは一段と年の瀬を強調しています。

手にした印刷物に教皇さまの祈りのことばを見つけました。

「ベツレヘムの幼子よ。
あなたからの贈り物に喜び、
心を動かされているわたしたちが、
あなたの泣き声によって無関心から目覚め、
苦しむ人々に向けて目を開くことできますように。

あなたの優しさによってわたしたちが、
自分自身の感性を呼び覚まし、
自分たちの町、歴史、人生を訪れるすべての人々のうちに
あなたを見いだすよう招かれていることを
自覚するよう励まされますように。

あなたの革新的な優しさによって、
人々の希望と友愛の担い手となるという招きを
わたしたちが自覚することができますように。」

(2017年降誕祭ミサ説教より)

幼子の泣き声を耳にして、
平和呆け的無関心からわたしたちの魂を
救い出していただけますようにとの祈りを込めて。

風の息吹

2018-12-26 17:07:00 | Sisterのねごと


「風がどこから吹いてくるのか、人は誰も知らない」
という聖歌の通り、
時間も空間も超えた次元で、
人智を越えたところから
一人ひとりの心に吹いてくる神の息吹が、
この冬、救い主のご降誕を記念したわたしたちの心に、
また新たに救いへの希望の灯を
ともしてくださいますようにと、願いながら。

※写真はアフリカのご降誕場面

キリスト者の「怠り」

2018-12-21 20:52:00 | Sisterのねごと


先月、このような話を聞きました。

ミサの中の回心の祈りで
「わたしは思い、言葉、行い、怠りによって
罪を犯しました」と唱えるが、
「怠り」というのは
神に耳を傾けるというつとめを怠ったという意味です、と。

神のことばを聴くことはオススメではなく
「つとめ」なのですね。

これからも福音に耳を傾けて
自分の言動を糺していくよう、
わたしたちは皆招かれているのです。

救い主の誕生をお祝いする日が
もう目の前に来ている今宵、
自分勝手な狭い考えにとらわれずに、
福音のメッセージを今一度心して聴くように、
心をあらためたいと願います。