楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

ああ言えば…

2017-04-26 21:03:00 | Sisterのねごと


ああ言えばこう言う…

何か言うと必ず「でもねぇ~」と返してきて、
その内容が無理のある弁解や屁理屈にしか
聞こえないという人、時々見かけます。

自分で気づいてなくても、人は誰でも大なり小なり、
ああ言えばこう言うという対処で
難関を乗り切ろうとする傾向があるものです。

話を聞いている間にすでに、
どのように「こう言う」かで
頭がいっぱいになることもあります。

そんなとき、相手の話をまじめに聴いているとは言えません。
「聴いてくださる」神というのは、
「こう言う」を敢えて放棄した神さまなのかも知れません。



一喜一憂…

2017-04-21 21:46:00 | Sisterのねごと


全体が見えていないのに、目先のことが一つうまくいくと、
あるいはうまくいかないと、残りの全てが見えないまま、
一喜一憂してしまうことがあります。

少し距離を置くと、冷静に把握できる場合があります。

所詮、わたしたちが個人として複雑な物事を
全て見通せるなどあり得ないということを
まずは認識し、細かい出来事や他者の口に
振り回されることなく、
人にではなく神さまに聴く心で、
大地にしっかり足をつけて立っていたいものですね。

自分には見えていないことがある、
考えが及ばないことがあると認めるのは、
謙虚さを求められる信仰の行いではないでしょうか。



食を考えるとき

2017-04-20 18:39:00 | Sisterのねごと


危険な食品(添加物)に注意しましょう! という話になると、

「大げさなんだよ。」

「そんなこと言い出したら食べるものがなくなる。
今の時代、何を食べても何かが入ってるんだから。」

「国が認めているのだし、どうせ人はいつかは死ぬんだから、
そんなに神経質になることはない。」

「子どもや若い人は気をつけた方がいいけど、
自分たちの歳ではもうそんな心配は要らないから、
好きなものを食べる。」

等々、否定的あるいは及び腰の反応を
耳にすることがあります。

子どもたちの食は大人が守るものです。
その大人世代がきちんと問題を見据えて考えないと、
結局は子どもも巻き添えを食らって、
いつの間にか口にしていて、その危険性を
知らされないままということになりますね。

食は命の基本的な部分です。
体内に何を取り込むか・取り込まないかが、
そのまま命に反映されます。

大切な人の命を守ること、地球の未来、
子どもの将来などと語る時、
完璧にはできないにしても、少なくとも意識し、
思い出す限りは注意するというのは、
自分自身や子どもを含めて人類を守る
ということだと思います。

霊的にも同じことではないでしょうか。
心の中に何を取り込むかで、
心が健康か神さまに背を向けていくことになるかが
決まっていくような…





ご復活おめでとうございます

2017-04-15 11:07:00 | Sisterのねごと


「この夜~♪」と歌う夜半の式ももうすぐ。
今年はご復活のお祝いも桜色の中です。

ちょっと早いですが、おめでとうございます! 
人類のそして個人の歴史の中で
あらゆる罪と闇のとらわれから
解放していただいたことを、
年ごとに祝いながら、
さらに浄化されていけますように願いながら。



散る花びらのように

2017-04-11 17:36:00 | Sisterのねごと


花と散るなどという表現がありますが、
潔さのほどは別として、
雨に打たれ風に吹かれて、
空を覆うような満開の花も
やがて大地に吸収されていきますね。

足下を彩る花びら、
ついさっきまでは枝の先で… 

いつ、どんなところに置かれても、
いただいたいのちを最後まで全うできること、
それ自体が恵みでもあるし、
またそれまで生きてきたことを
証ししてくれるものなのでしょうね。

花びらの上を歩きながら、ふと思いました。