楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

渚にて

2013-02-24 13:40:00 | ホームページ関係
先日葛西臨海公園を散歩しました。久し振りにガラス張りの展望ルームから大観覧車のほうを眺めると、なんと、スカイツリーがかぶって見えていました。展望ルームの端っこまで移動して見てみましたが、そこから撮った写真がこれです。スカイツリー建設の話が持ち上がるずっと前にできた公園ですから、ちょっと残念ですが仕方ないですね。




(ゲートブリッジ 橋へと続く道路がよくわかります。)







とても気温の低い午後でしたが、潮風が強い中を海辺を歩くというのは、なかなか楽しかったです。東京湾は「湾」ですから、向こう岸が見えます。これが太平洋や日本海にそのまま開けている海だったら、もっと波が荒いのかも知れません。以前房総半島の外房を訪ねたことを思い出しました。

それにしても渚というのは、海でもない、陸でもない、両方の緩衝材のような役割を持っています。国際宇宙ステーションに長期間滞在している日本人宇宙飛行士が「宇宙の渚」と題して、宇宙そのものでもない、しかし地球でもない、両者のあいだに介在する地球の大気圏の神秘をテレビで紹介していました。それを観てから「渚」という存在が気になっていました。

自分という存在の渚、命の渚…そんな渚もあるのでしょうか。


(公園の少し向こうに東京ディズニーリゾートが見えています。)

心の“生活習慣病”

2013-02-21 11:52:00 | Sisterのねごと
Facebookで先ほどシェアさせていただいた言葉を紹介します。これは毎朝日野原重明先生から届くメッセージの一つなのですが、とても気に入りましたので。

生活習慣病、成人病… どの医療機関に行っても目に入るこれらの病名、霊的にも言えますね。霊的生活習慣病、霊的成人病… 

おとなになって、手を抜くことや自分の信条に反する考えにも妥協する習慣がついてしまったという疾患でしょうか。子どもの頃の澄んだこころの目を、おとなになって忘れてしまったという病気でしょうか。霊的健康に立ち戻れと、神さまの声がしますね。



おはようございます。日野原重明です。
「鳥は飛び方を変えることはできない。
   しかし人間はいつからでも生き方を変えられる。」

☆心も身体も習慣がつくる☆
幸せな人生は、自分を良くしたいという気持ちから始まります。自分を大切にするために、ぜひ良い習慣を身につけてください。人間はいつからでも生き方=生活習慣を変えられます。しかし、自分を変えることができるのは、自分しかありません。

クレド--弱い者の信仰宣言

2013-02-20 22:12:00 | Sisterのねごと
[[youtube:X-64PVnIABM]]

南北戦争の時代の兵士であったとされるグリフィンの祈りとして知られているこの詩は、今では多くの人が一度は耳にし、心動かされたことがあると思います。題名もこの曲は「クレド---弱い者の信仰宣言」となっていますが、ある病人の祈りだとか、ある兵士の祈りなど、いくつかあります。

今日紹介するのは古木シスターの作曲で、ご本人が歌ってらっしゃいます。この歌を初めて聴いたのは合唱用のアレンジででした。普通の人間としてはあまりわが身に起こってほしくないような歌詞が続きますが、わたしに従う人は皆こう生きるんですよと、神さまから語りかけられたように感じられて、涙がこぼれました。それ以来、何か心安らかでないとき、この歌を聴き、詩を思い返しています。とてもいい黙想になります。神のみ旨は人間の知恵を遙かに超えていますね。

自分がよかれと思って望んだこと全てを神さまはお取りになり、その代わり本当の豊かさ、真の強さ、神さまのもとへの立ち帰りの機会を与えてくださいます。四旬節が始まった今、あらためてこの詩を思い出しています。今日一日の祈りとして…

歌詞は以下に掲載します。


成功を収めるために 神に力を願ったのに
弱くなってしまった 謙遜を学ぶように
偉大なことをするために 神に健康を願ったのに
病気になってしまった 神の心に叶うように
わたしの願いは何一つ 叶えられなかったけれど
希望した全てのことを わたしは受けた

幸せになるために 神に富を願ったのに
貧しくなってしまった 生きる厳しさ知るように
弱い人を助けるために 神に権威を願ったのに
無力になってしまった 神に頼ることを学ぶように
神はわたしに必要なこと 何もかも知っておられる
希望した全てのことを わたしは受けた

人に尊敬されるため 神に手柄を願ったのに
ただ失敗に終わった 思い上がらないように
聖なる人になるために 神に徳を願ったのに
罪の醜さに泣いた 神の愛の深さ悟るために
わたしの姿は変わらない 弱く何もできないけれど
喜びに満ちあふれて わたしは歌う

あれはダメ…切ってしまう関係

2013-02-19 19:56:00 | Sisterのねごと
正義を貫くのはとてもいいことですが、「あの人はダメ」「あんな考え方ではダメ」というふうに、自分の考え方の物差しに合わない人や考えなどをバッサバッサと切り捨てていくような傾向が、どうしても自分の中にあります。そんなこと、感じませんか。

あんなばかげたことを言って。あんな薄っぺらい考え方で。あんな偉そうな口をきいて。あんないい加減な人。あんな夢みたいなことを考えて。あんな難しい話をもちかけて。あんなつまらないことにこだわって。…などなど、神の義と言うよりは自分の考えや傾向に合うか合わないかで、本人の耳には入らないところで一方的に「あんなことではダメ」と決めてしまうという傾向、よく観ると自分の中にもたくさんあります。

「罪なき者よ、石持て打て。」 一体どんな権限でそんな裁きを下せるんでしょう。我ながら恥ずかしくなります。この「あんな」にとりつかれると、寄り添うということばさえ色あせてしまいます。



この写真はとある修道院の祭壇です。しばらく眺めていると、脚というか支えているところに、イエスの横顔が静かに浮かび上がってきます。わたしたちの視線よりずっとした下のほうでじっと見ていてくださるこの方のもとに、立ち返るようにと呼びかけられている四旬節、目に見えるものの中に見え隠れしながら寄り添っていてくださるイエスに本気で信頼して、「こんなわたしで本当にごめんなさい」と、自分のいたらなさをも全て差し出したいと願いながら。

冬の憂うつ感

2013-02-17 08:53:00 | Sisterのねごと
寒い季節に入ってから個人的に聞くお話に、「最近うつっぽい」というのがあります。朝から何もする気がなくて、ダラダラして半日過ごして、お昼過ぎにようやく「さあ、仕方ないから…」という気になるのだとか。

今朝ある記事を読んでいて、最近、冬期うつというのがあることがわかっていると知りました。日照時間が短く曇天が多いという季節的な気象環境が影響しているそうです。

寝過ぎるぐらいの時間をお布団の中で過ごして、炭水化物や甘いものが無性に食べたくなるのも、特徴とのことです。

お天気のよい日はできるだけ外に出て太陽の光をいっぱい浴びるといいですね。明るいところにいると、こころの奥まで照らしてもらえる気分になります。時間のメリハリを付けるためにも有効ですし。体内時計も陽光で働くと言います。

1月に出会った方は、疲れを感じるのでお正月は横になっていたけれど、家族から「いつまで怠けてるつもりだ」と言われているようで…と、うかうか休んでいられないつらさを話していました。

自分のほんとの気持ちに耳を傾けるのは、時に、容易なことではありません。でも一番大切なのは“幸せな気持ちのわたし”のはず。

ちょっと気分的に疲れているかなと感じたら、あまり無理に気持ちを奮い立たせないで、ゆったりした気持ちで過ごすことが大切ですね。自分にやさしく…