「違いがわかる人」というキャッチコピーのコーヒーの宣伝が昔からありますが、「(人の)痛みがわかる」というのは神さまのキャッチコピーでしょうか。いろいろな意味で苦しみを抱えている人の気持ちがわかる… 簡単なことではないようで、実はきっと、真に愛に満ちていたら難しくないのでしょう。
困ったことに、こんな文章を書いているわたし自身が人の痛みをわかっているのかと問われれば、断片的にしか感じていないのではないかと疑いを持ってしまいます。最高に人々の「痛みがわかる」主キリストに倣って、わたし自身日々回心していきたいと願います。
そしてこの世界全体がその方向に向いていきますようにと、祈ります。今、世界中で痛んでいる人々にそっと寄り添われる主に、わたしも、わたしたちも、ついていけますようにという祈りと、祈り合いのうちに。