楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

謙遜ということ

2015-03-31 20:49:00 | Sisterのねごと


「なによりも謙遜であることが、神のスタイルです。神がご自分の身を低くされるのは、民と共に歩むためであり、彼らの不誠実を忍耐されるためです。/....../ 復活祭へとつながるこの聖週間、わたしたちはイエスのこの謙遜の道を行きましょう。そうしてこそ、この一週間はわたしたちにとっても「聖なる」ものとなるでしょう。」(教皇フランシスコ、枝の主日の説教より)



謙遜は、ここまで出来れば大丈夫というゴールのない、どこまでも続いていく神への道、人として完成される道ですね。今年のご復活を前に、何万分の1ミリでも前に進めますように、願います。

こだまでしょうか

2015-03-28 21:24:00 | Sisterのねごと


詩って不思議ですね。
シンプルなことばで、存在の深みまで入ってきます。

明日から聖週間。主の受難と復活に向けての特別な日々を、
神さまから新しい命へと脱皮しなさいと招かれている時間として、
回心の祈りのうちに過ごすことが出来ますように。


「こだまでしょうか」 金子みすゞ

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと、
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと、
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。

※下の写真は、修善寺寒桜。




「心」の詩

2015-03-26 17:37:00 | Sisterのねごと


9歳の時に罹った病気のために、目と耳以外のすべての機能を奪われてしまった「瞬きの詩人」水野源三。自分の体をほんの少しも動かせないため、置かれた場所でその日一日を過ごしていたのでしょう。自らの内面への視線、そしてそこを通してしか出会えない神様への眼差し… 瞬きで字を拾ってもらいながら、そのままが信仰の詩でした。

「心はふしぎな所」

心はふしぎな所
信じるべきをうたがい
愛するべきを憎み
のぞむべきを落胆し
喜ぶべきを悲しみ
心はふしぎな所
いったん主の御手にふれるならば
見たりきいたり
ふれたりしなくても
信じ愛しのぞみ
喜ぶことができる

主は僕(しもべ)となられて

2015-03-25 09:55:00 | Sisterのねごと


神のお告げの祭日。

今日の『毎日の読書』で、今の四旬節と響き合うことばに目が留まりました。
日々、少しずつ回心し、福音を信じる道へと進みたいものです。

「主は、人間性の弱さを共にされたからといって、
わたしたちと罪を共にされたわけではありません。
主は、罪に汚れることなくしもべのかたちをとられました。
/....(略)..../
神のかたちをもつ者として人間を造られた同じ主が、
しもべのかたちをとって人間となられたのです。」

(聖レオ1世教皇の手紙)

「みんなをすきに」

2015-03-24 10:01:00 | Sisterのねごと


「みんなをすきに」 金子みすゞ


わたしはすきになりたいな、
何でもかんでもみいんな。

ねぎも、トマトも、おさかなも、
のこらずすきになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
かあさまがおつくりになつたもの。

わたしはすきになりたいな、
だれでもかれでもみいんな。

お医者さんでも、からすでも、
のこらずすきになりたいな。

世界のものはみイんな、
神さまがおつくりになったもの。