楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

心のしなやかさ

2016-07-30 21:09:00 | Sisterのねごと


久しぶりにフラダンスを見る機会がありました。

腕が肩の高さまで上がっていて、関節の数は皆同じなのに、
ゆらゆらと波のように揺れています。

空手のように敏速ではっきりした動きもできるし、
こうしてやわらかに揺れることもできます。

剛と柔とでも表現するのか、
人間の体は実にしなやかな側面を持っているのですね。

心のほうも同じく、ブレないところと優しくゆるやかなところを
場面に合わせて使いあわせれば、
もっと聖霊の風通りがよいのかもなどと思いながら。



死して何を…

2016-07-29 22:29:00 | Sisterのねごと


「死して何を残すか」とはよく聞くことばです。

仏教での年忌法要は、一周忌、三周忌と続いていき、
四十九年で終わる仕組みになっているそうです。

日本では教会の信徒の方がこの時の刻み方で
追悼ミサや偲ぶ会を企画することも少なくないとか。

亡くなったその瞬間から「死者」に
組み分けされてしまうのではなく、
時間の経過と共に少しずつ間隔を空けながら、
わたしたちの心の中で共に生き続けているのは、
送る側と送られる側の双方にとってお恵みですね。

今回の悲惨な事件やテロで突然
生者の群から切り離されてしまった方々も、
生前近しかった人々の傍で、その存在の中で、
生き続け、励まし、道を指してくださることでしょう。

あらためて永遠の安息を祈り、
引き続き生者であるわたしたちを
守り助けてくださいと願います。



祈り…

2016-07-26 20:17:00 | Sisterのねごと


心身の病気の人、障がいを持つ人、
幼い子どもやお年寄り、その他にも、
外からは見えなくても痛みや苦しみに日々
向き合って生きている人はたくさんいます。

今朝のニュースを聞いて、
今宵、あらためて犠牲になった方々のために祈ります。

また、フランスでは教会立てこもりの末、
人質の一人が亡くなり、
もう一人重体のかたがいるとか。

あらゆる悪の力に祈りの力で向き合うために、
ご一緒に祈りましょう。




今を生きるということ

2016-07-23 22:14:00 | Sisterのねごと


この季節、
先祖がゆかりの深い生者の元に還ってくるお盆や、
多くの人命が損なわれた戦争の記憶、
暑さを冷たい冷気で吹き飛ばそうという
お化け屋敷的感覚など、
わたしたちの日常に死がより身近に
感じられるように思えます。

今日読んだ雑誌に養老猛氏のこんな文章が載っていました。
氏の死生観がそれなりに表現されていました。

「死を想うなら生きそびれないようにすべきであろう。
現代人の一番の危うさは、生きそびれることである。

情報とはすなわち過去である。
出来事が情報化された時点がすでに過去である。
それに浸ることは、過去を生きることに他ならない。

せっかく生きているんだから、死ぬことなんか考えて、
時間を無駄にしないほうがいい。
死ぬことのすべてを意識的に明らかにして、
デジタル化し、他の人や後世に伝える。
生きているというのは、そういうことか、
そんな暇があったら、わたしは(趣味の)虫の標本を作る。
虫を見ていると思う。
まさしく神は詳細に宿る。それを実感する。」

死について祈り、考え、よい死の準備をするのは大切です。

同時に、先々のことは神さまにお委ねして、
今の自分ができること・委ねられていることを一生懸命すること…
それが本当の死の準備なのかも知れません。



人と人を結ぶ

2016-07-22 22:02:00 | Sisterのねごと


すぐに人の批判をする人は、
その方に直接諭してあげる勇気がなければ、
そういう“ご趣味”だと思って、
距離を置いておつきあいするほうがいいと思いますよ。

と、人間関係に悩む方に時々言うことがあります。

貶(けな)すことによってその人の評価を下げ、
自分の優位を主張したいのでしょうか。

そういう人は、激しい、あるいは巧みな言葉遣いで、
くるっと反対を向いたら、誰かのことを
“わたし”に訴えているのと同じ口調で、
今度は“わたし”のことを別の人の前で
貶していたりするものです。

人と人を結ぶのが福音。
人と人の関わりを断っていくのが悪の力。
前者に生きたいですね。