楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

怒りがいつも…

2021-02-27 21:25:00 | Sisterのねごと


怒りを恒常的に内に秘めて生きていると、
それがどうしても人間関係の中に漏れ出してきて、
些細なことにでも自分の感情が抑えられなくなる
ことがあります。

本当に怒りをぶつけたいのは、
実は今目の前にある人や出来事にではなく、
ずっと昔の痛みの記憶にたいしてなのでしょう。

そこをこそ神さまの愛に取らしていただければ、
心が楽になっていくのかも知れません…

聖ベルナデッタの祝日

2021-02-18 20:40:00 | Sisterのねごと


聖ベルナデッタの祝日である今日、
地上での使命を終えて天の国に帰った1人ののシスターの
納骨の式が行われました。

塵に返る、骨になる… 

何だかんだ言っても、所詮、人は皆、
地上で短い時間を刻むだけのはかないもの。

奢り高ぶらず、謙虚に
この一瞬を生きれますようにと、祈りつつ。

灰の水曜日に

2021-02-17 20:03:00 | Sisterのねごと


カトリック教会では灰の水曜日。
キリストの受難と復活を想い回心を促される
四旬節の始まりです。

塵から生まれたのだから塵に返るという
シンボルの「灰」を額にしるされるのが毎年の典礼。

今年はコロナで少々違っても、この季節が来ると、
慣れた生活の場で何サマのように振る舞っているのかと
自らを戒めるよい機会になります。

毎日何年も繰り返している習慣化した行為、
あるいは顔馴染みの人との出会いでも、
一度として同じことはないはずなのに。

毎度の繰り返しに思える中にいつも新鮮さを
忘れないように…という回心も、要るなあと感じた今日でした。

風の電話のように

2021-02-15 20:48:00 | Sisterのねごと


今回の地震は幸い犠牲者が出ずにすみました。
幸いなことです。

10年を迎えようとするあの日のことを思い出すと、
風の電話のことも一緒に思い浮かべています。

3.11でもう手が届かないところに行ってしまった
大切な人たちに本当の気持ちを話せる、
電話線がどことも繋がっていない電話ボックスです。

時々、あの人だったらこんな時どうするだろうとか、
考えを聞いてみたいと真剣に思うことがありませんか。

あるいは、特に用もないけれど、
誰かともう一度会って話してみたいと思ったことは。

死という生け垣のような障壁を、
ふとした拍子に越えられるのではないかという
イメージが湧いてきたり…

そんなことはあるわけないのでしょうが、
死は縁起でもない避けるべきものではなく、
生死を超えた世界に本当の「死」が
あるのではないかしらと、時折、
両手を合わせながら思い巡らしたくなります。

ルルドの聖母の記念日

2021-02-11 09:59:00 | Sisterのねごと


今日はルルドの聖母の記念日、そして、世界病者の日。

日本でも以前から奇跡の泉や巡礼地として
紹介されてきたルルドでの聖母のご出現エピソードと、
村の少女ベルナデッタが掘り出したという泉の水の奇跡…

聖ベルナデッタの記念日は、
今日とは別に1週間後の18日に設定されています。

18日は、ベルナデッタが「あれ」と呼んでいた、
洞窟に立つまだ名も知れぬ美しい女性が
「お願いですが、ここへ15日間、続けてきてくださいませんか」と、
とても丁寧に頼んだ日です。

病弱で学校にも満足に通えていない
つつましい家庭の小娘だったベルナデッタは、
初めてこのような丁寧な言葉遣いで接してもらったのでした。