楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

赦し合いを模索する季節

2013-11-30 20:22:00 | Sisterのねごと


先週のカトリック新聞でしたかに、人には赦しを願う務めというのは生涯あるのだという、ローマ教皇のメッセージが載っていました。

クリスチャンになったからといって人間の本性、弱さが、消えてしまうというわけではないので、過ちを犯したと自覚したら赦しを願う必要があり、そのためには一生懸命に祈る必要があるというのです。

このような祈りは、自分の弱さや罪への傾きを認め、赦しを願うことに向かうだけの勇気を得るための、自分自身との戦いです。一言言えば新しい関わりが開けるのに、それがなかなか口に出てこないのは、いろいろな言い訳や口実で自分の目をくらませているからかも知れません。



待降節は悔い改めて主を待ち望むための時間ですが、回心するとはとりもなおさず赦しを請うことなのでしょうね。神さまと、そして具体的に心覚えのある一人ひとりに… そんなことを思う待降節直前のひとときです。

そして明日から12月24日のイヴの夜まで、カトリック教会では待降節という、心をあらためて救い主を待つ季節が始まります。

わたしたち思い悩む弱き人間を、愛の火にて照らし給えと祈りつつ…



もうあと1ヶ月

2013-11-26 20:10:00 | Sisterのねごと






毎年同じことばを書くような気がする11月の終わり。

1月にはあれほど長い時間のように思えた1年が、もうすぐ終わりに近づいています。

川の水が流れていくように、時間は、日々は、年月は、無常に流れていくということを、チラリと垣間見せてくれる季節です。

この1年、皆さまは成長したと感じていますか。人間、いくつになっても伸びていくものです。それを信じなくなったら、老いの足音に負けているのではないでしょうか。そんな気がするこの頃です。

実は変わりたくないかも…の自分

2013-11-21 09:57:00 | Sisterのねごと


しばらく前まで「いつまで暑さが続くのでしょう」と話していたら、もう11月の末、24日は「王であるキリスト」。そして今日は聖マリアの奉献の記念日。来週から待降節が始まります。

毎年の暮れ、新たな典礼暦を迎え、本当に悔い改めて福音を受け入れたいのかしらと自分に問うことがあります(汗)。

回心するというのは、「変わる」「変えられることを受け入れる」こと。毎日のちょっとした習慣やクセでさえなかなか変えられないのに、ものの見方・感じ方という土台の部分を変えるのは大変なことです。魂の労力を惜しんで、いつまでも「従来通り」でいるほうが楽です。

この霊的怠慢からこそ解放されて、少しずつ赦されること・変えられることの喜びを受け入れていけますように。


平和でいられるように…

2013-11-15 15:49:00 | Sisterのねごと
保育園の前を通りかかったとき、真っ赤な消防車が止まっているのが目に入りました。園庭に並んだ園児たち、消防隊の方を前に楽しそうに声を立てて笑いっていました。

園長先生らしき人が子どもたちを静かにさせて、話しました。「さあ、今から○○先生が火を消してみせますからね。うまく消せるかなぁ? うまく消せたら拍手しましょうね~!」
火を消せたら拍手!? 日本って平和ですね、ほんとに。

平和呆けにならないように、真剣な目で世界を観ながら、地上におけるすべての人同士と自然との平和共存を願わずにはいられない、肌寒い朝でした。



秋の午後、街路樹の下で

2013-11-07 20:18:00 | Sisterのねごと


今年は暑い気候が長く続いて、秋がグッと短縮された感がありますね。もう冬の足音がすぐそこまで… 都内も木々の葉が次第に色づき始めています。

と、上の方ばかり見て歩いていましたら、その下で、冷たい石の上に横になっている方を見かけました。

幸い晴天でしたが、それでもじっとしていたら寒さで体が震えそうです。眼を閉じていて、眠っているようにも見えました。夜はどうしているのでしょう。

野宿が厳しくなるこれからの季節、さまざまな事情で星空を仰ぐこととなった孤独な人々を、主よ、どうぞ今宵お守りくださいますようにと祈ります。同じ人間として、哀しみの中にある人、希望を見失ってしまった人のことを、忘れないで過ごせますように。