楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

この一年に感謝!

2012-12-31 09:29:00 | Sisterのねごと


生きていくというのは、まるで吊り橋を渡っているみたいなものだと思います。揺れるのが当たり前。吊っているロープが切れないことを信じて、また揺れの激しさに体が放り出されてしまわないように注意して、一歩ずつ前に進んで行きます。



こんな近代的な橋だったら、車で颯爽と通過できて申し分ないのですけれど。でも面白くないでしょうね。「毎日」という時間の積み重ねには、想定外のこと、あまり嬉しくないこと、ガッカリすることや腹が立つことなど、哀しいこと、楽しくないこともたくさん散りばめられています。そんな一喜一憂的な時間の織りなす「橋」を渡って行くのですね。

2012年という長い吊り橋を渡りきろうとしている今日、それら全ての記憶を今一度こころの中で受け止め直して、それでも「ありがとう」と言ってみたいですね。

さっきFacebook(Facebook)に書き込んだのと同じことばを、こちらにも書きたいと思います。

「ありがとう」ということばで、この一年も締めくくりたいものです。
「ありがとう!」ネットを介して出会えた皆さま、ずっと前から知っている皆さま、全ての出会い、全てのことに感謝! 

そして、「ごめんなさい」も付けたいですね。できなかったこと、足りなかったこと、人を傷つけたこと…ごめんなさい! くだらないジョークも、意味不明な文章も、ブレた写真も、入力ミスのままほったらかしているホームページも、お詫び!

来年もどうぞよろしく! そしてよい大晦日の1日でありますように!



未知への憧憬…信長無念

2012-12-30 13:22:00 | ホームページ関係


天下統一後、織田信長が少数の手勢を伴って都に滞在中、家臣・明智光秀の謀反に遭い自刃するという出来事は1582年のことです。1415年に建立された本能寺は、その時はまだ四条のあたりにありました。今でも本能寺跡として碑が建っています。



信長亡き後天下を制した豊臣秀吉は、本能寺を現在の位置に移すように命じます。お寺は法華宗本門流本山のお寺として、その後も栄えます。現在は寺町御池下ルにあり、和の趣味を持つ人なら聞いたことがあるかも知れない「鳩居堂」の斜め向かいに門が見えます。



門をくぐって進むと、奥のほうがグンと広がったお寺になっています。観光客がたくさん往き交うアーケードの下からちょっと外れると、静かな境内が広がっているというわけです。



右奥には信長廟があります。そのすぐ脇に小道が開いていて、そこからは河原町通りへと出られます。



何でも新しいものに関心を示し、異国への憧憬旺盛であった信長公らしく、すぐ後ろにはビル群が。河原町に寺町、観光客が大勢訪れる、目新しいグッズがたくさんのお店が並ぶロケーションというのは、信長公としては大満足なのではないでしょうか。



しかも廟のすぐ右横から河原町通りに出ると、そのお向かいにはカトリック京都司教区のカテドラルが建っています。“キリシタン”宗門とはいつまでも縁の深い天下の覇者は、今頃どんな気持ちでこの地に眠っているのでしょうね。歴史のロマンを感じます。

謀反がなければ、日本の歴史はかなり変わっていたでしょうね。切支丹はどうなっていたでしょう。その後の日本の宗教地図が変わっていたかも知れません。歴史というのは神秘です。本能寺の境内に踏み入れると、いつもそんなことを考えてしまいます。


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Hon-no-ji temple, Kyoto

Facebookの公開範囲変更について

2012-12-30 13:14:00 | ホームページ関係
◆◆お知らせ◆◆

Facebookはずっと全面的に一般公開を貫いていましたが、設定の手違いやいろいろ思うところもあって、しばらく前から公開範囲を限らせていただいています。「友だち」申請をいだくことなしに自由にご覧いただいていた方には申し訳ないのですが、何卒ご了承ください。

宝塔時周辺を歩く

2012-12-28 11:00:00 | ホームページ関係


本部修道院の門を出てしばらく行くと、日蓮宗のお寺・宝塔寺があります。かつてはこの辺り一帯は民家の間に水田が広がっていましたが、今は戸建てやマンションなどの集合住宅が目立つようになりました。近くに学校がたくさんあるので、下宿している人も多いのでしょう。

宝塔寺の境内を右横から入るようなかたちになります。修練者だった頃はこのあたりを日常的に散策していました。見慣れた道です。



仁王門。京都に入る七つの道を守るために建立されたお寺の一つだとか。899年に極楽寺として藤原氏によって建てられたのが基になっています。



総門へ降りていく長い坂道。参道です。下に参道付近のマップを示します。なだらかな石段を挟んで、小さなお寺が並んでいます。今まで目に留まらなかったお寺もいくつかありました。



鎌倉時代に日像上人が日蓮宗を広めるために京の都で活動し、宝塔寺で宣教活動を繰り広げていたところを、他宗からの批判が相次ぎ、流罪になります。その際お寺の名前が変えられますが、後に再び「宝塔寺」に戻りました。



この下をくぐって、ハイキングコースに出ます。この道を辿らなくても行けますが。鎮守社である七面宮が登っていったところにあります。



七面山という小高い山が後ろに控えていて、ちょっとした散策にはもってこいなのです。伏見・深草の隠れた散歩道のひとつ、本部で黙想会があるときには、聖書のことばを思い巡らしながらこんな小径を歩むこともままあります。

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Ho-to-ji temple, near our Mother=house in Fushimi, Kyoto