
しばらく前から、人生は学びだということを
あらためて考える機会がありました。
堅い話に入るみたいですが、
西欧修道制度の礎を築いた聖ベネディクトは、
その『戒律』の中で、修道院というのは愛の学び舎、
「主に仕えるための学校(序45)」などと表現しています。
修道院を「教会」とか「家庭」などと
読み直せばよいかと思うのですが、
失敗を重ね、成功をおごらず、
互いに助け合い補い合いながら、日々練習しながら、
愛を学んでいく場ということでしょうか。
愛は一生、学びながらの練習ですね。
死ぬまで「これで百パーセントうまく愛せた」と
いうことにはならないでしょう。
何度失敗しても、懲りずにまた練習する、
それが愛し愛されるキリストの証しびととしての道、
主への道…ということでしょうか。
