楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

聖母のみ手に

2016-05-30 19:07:00 | Sisterのねごと


「しつけ」のためと山に置き去りにされたり、
家庭の中で陰湿に虐待を受けたり、
幼いいのちが危機にさらされています。

聖母の月である5月の終わりを迎える今、
祈りのうちに、あらためて
子どもたちを聖母のみ手に委ねます…



三点確保

2016-05-28 22:00:00 | Sisterのねごと


誰かの噂話を耳にするとすぐに口を挟んだり、
一方的な話だけそのまま鵜呑みにして、
どんなことが背後にあるのか確認することもなく、
噂されている人の反対サイドにつく人が時々あるようです。

「踊らされる」というのは、
こういうところから始まるのでしょうか。
結果的に信頼をなくしてしまいがちです。

山登りの基本とか言われる「三点確保」、
人間関係でも身につけたい術(すべ)です。

手足4本の3本まではいつも
必ず岩の突起や裂け目にかけていること。

動かすのはいつも一点だけで、
同時に複数の手足を移動させないこと。

どの岩に手を駆け足を置けば体が揺らがないか。
確かな関係を構築していくためには、
たまたま聞いた流言飛語に手足を置かず、
自ら確かめられる安全な岩に身を委ねたいですね。

そして三点のうちの一点は神さま、
巌として自分の中で決して揺らがない確信にこそ、
支えられていたいものです。

明日はキリストの聖体を祝う日。
いろいろお話を伺うことがある中で、
ふとこんなことを思いました。



見果てぬ夢

2016-05-25 19:12:00 | Sisterのねごと


人は生まれながらに運の良し悪しなど決まっていません。

何かになりたいとか何かをしたいという夢を持つというと、
仕事や職種、地位、暮らしの経済的豊かさなどを
連想する人が少なくないようですが、
本当の夢は、ある意味「見果てぬ夢」、
つまり究極は「自分になる」ことではないかと思います。

これだけは歳をとっても、病気を得ても、
仕事に失敗しても、破産しても、
どんな事態になっても絶対失うことのない、
実現していくべき夢ですね。



ところでセレンディピティという考え方を最近時々耳にします。
偶然ラッキーな発見をしたりそういう能力を
持っていることを指しますが、それは
たまたまそうなるのではなく、その土台として、
周囲に起こるさまざまな事象や自分が経てきた経験を観察し、
そこから学び取る学習意欲が大いに関係しているそうです。

生涯現役、生涯学び。
ますます「なりたい自分」になっていくのは、
まず「今」のこの瞬間からですね。

ほんとの夢

2016-05-23 19:41:00 | Sisterのねごと


「昔は…」とか「二十代の頃は…」と
振り返ってしまいがちな記憶のページ、
その後歳を重ね、四十、五十、六十、七十、八十…と進むにつれて、
身心の稼働域というのか、
何かになる・何かができるという可能性が
どんどん狭まっていくように感じるかも知れません。

選択肢も少なくなってきたりして。



でも、それは夢や希望が削がれていくということでは
ないように思います。むしろ、
限界が見えたかのような今こそ、
より現実的な、より実現しやすい夢や希望が、
そしてこれまで考えも及ばなかったような願いが、
少しずつ湧いてくるように思えます。

本当の強さというのは、
そういう夢や希望を追って生きることなのかもですね。

※暑くなってきたので、写真は富士山の白糸の滝