楽の音にあわせて

ブログは折々にアップしていきます。主にはSNS投稿の記事の掲載となります。

春真っ盛りの四旬節

2014-03-28 10:43:00 | Sisterのねごと


「四旬節になる度に“回心せよ!”とうるさいんだよねぇ、教会は。せっかくの春なのに、暗い気持ちになる」と話してくれた人がいます。特に今年など、暦の関係上イースターが遅いので、桜が咲いても「神に立ち戻れ」!?

申し訳ないと思ったり謝罪したりすると、自分の人格が否定されるような気分になる人がいるようです。回心するからこそ、人格は高められ、周囲からは謙遜な人だ見られると思うのですが。

自らを低くする人は神さまによって高められる。それを見込んで「回心します」というのでは立ち戻ったことにはならないかも知れませんが、生活をあらためるには有効でしょうね(笑)

回心するように招かれているのはめぐみです。自分がまだ未熟な存在で、まだまだ伸びしろがいっぱいあるということです。




年度末

2014-03-21 12:38:00 | Sisterのねごと


忙しいということばは「心」を「亡ぼす」と書くなどと、昔からよくいわれます。だからやたら「忙しい!」を口にしないのが美徳のように。時々この禁を破りたい誘惑にさらされますが。

年度末も大詰めの3月最終週を目前に、連休でも気持ちが休めない方があるかと思います。

たった一日の違いなのに、31日の翌日には新しい気持ちで新年度! 目の前に開く扉、後ろで静かに閉まる扉がありますね。


迷子になる

2014-03-16 16:04:00 | Sisterのねごと


今日、スーパーで久し振りに迷子を見かけました。

就学前の女の子がおぼつかない足取りで駐輪中の女性の後ろを歩いていたので、叱られたのかなと思って見ていました。お母さんと間違えていたのでしょうか、振り返った女性を見て、いきなり顔が崩れました。

火が付いたように泣くとはこんなことを言うんだなという、典型的な絶叫状態。周囲にいた人が一斉に注目。子どもはますます大声を出します。目が合いました。その表情は、世の中にこれ以上残酷なことがあるもんかといった顔つき。泣きながら怒っています。

すぐに警備のおじさんが飛んできて、「迷子だ! 迷子、迷子ぉぉぉ~っ!」とすぐに子どもの手を掴みました。

迷子になって泣きわめいた幼い頃の思い出が脳裏を過(よ)ぎりました。大人になると、別の意味で道に迷ってもなかなか認めなくなりますね。

福音の道に呼び戻してもらう四旬節、迷子になったとほんとに感じているのかさえ怪しいものだと、我が身を振り返って笑ってしまいました。「幼子のようにならなければ…」ですね。

親に根ざしているはずの根が浮いてしまわないように。




ローマ教皇就任1年が過ぎて

2014-03-15 11:11:00 | Sisterのねごと
就任1年を迎えたフランシスコ教皇のユニークなことば。厳密に言うと、ユニークな表現での福音のことば、です。

いずれもナザレイエスを忘れないで、いつもともにいたいという願いから出ています。世の中から忘れられた人々の気持ちを慮(おもんばか)り、人間である弱さを主にさらけ出せる信頼を生きていくために…

下のリンクからカトリック新聞の関連記事に飛べます。
→ ローマ教皇フランシスコ、印象的な七つのことば