「四旬節になる度に“回心せよ!”とうるさいんだよねぇ、教会は。せっかくの春なのに、暗い気持ちになる」と話してくれた人がいます。特に今年など、暦の関係上イースターが遅いので、桜が咲いても「神に立ち戻れ」!?
申し訳ないと思ったり謝罪したりすると、自分の人格が否定されるような気分になる人がいるようです。回心するからこそ、人格は高められ、周囲からは謙遜な人だ見られると思うのですが。
自らを低くする人は神さまによって高められる。それを見込んで「回心します」というのでは立ち戻ったことにはならないかも知れませんが、生活をあらためるには有効でしょうね(笑)
回心するように招かれているのはめぐみです。自分がまだ未熟な存在で、まだまだ伸びしろがいっぱいあるということです。