聖フランシスコの祝日、おめでとうございます。
そのお名前を洗礼名・堅信名や修道名に
いただいている方々のため、お祈りいたします。
裸で父親の元を去るぐらいの清貧を貫く姿勢は、
物を持たないだけでなく、地位や名誉にも無縁の
「名なき貧しい者」として生涯を生きるという
強い願いだったのでしょう。
わたしを筆頭にしての話ですが、世の凡人は、
大きなことから些細なことに至るまで、
ことばや人の目に触れる行いでは注意していても、
心のどこかで、周りの人々に一目置いてもらいたい、
評価されたい、成功したい等々、
自分の“立ち位置”が気になることがあります。
はっきり目に見える物的清貧はもちろんのこと、
目に見えない内面の清貧、謙遜という徳を、
フランシスコの記念日にあらためて、めぐみとして願いたいです。