アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

蝉の声が岩に染み入った山寺

2008年10月17日 | Weblog
  蝉の声が岩に染み入った山寺

 10月12日。山形県をドライブする。どこへ行くか?もちろん「宝珠山立石寺」、通称「山寺」。どうして、お寺なんぞへ行きたいんだ?いつから敬虔な仏教徒になったんだって?家の宗教は仏教には違いないのですが、10月12日は、我が俳句の師匠である、松尾芭蕉の命日だからです。芭蕉の命日と、山寺とどういう関係があるか?芭蕉が、「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだのが、山寺ですから。
 というわけで、JR福島駅西口のホテルを出発。飯坂ICから東北自動車道へ。村田JCTで山形道へ乗り換え、山形北ICで降りる。地道を15分ほど走ると、もう山寺到着。JRも通っている。JR仙山線山寺駅下車、徒歩7~8分で山寺です。

 山寺は、慈覚大師が開山。それだけでありがたくなってしまいます。慈覚大師というと、山寺のほか、瑞巌寺(松島)、中尊寺(平泉)、毛越寺(平泉)、円通寺(青森県恐山)…を開山した、比叡山で最澄に次ぐ高僧ですから。自慢ですが、私は以上の5つのお寺の全てをお参り済みです。ですから煩悩が落ちており、人の悪口など言わないのです。慈覚大師は、実は痔が悪く、「痔核大師」と名乗ろうかと迷った時代があった。などの、でっち上げ話も創作しません。上品ですから。

 さて、鎌倉時代に建てられた山門で、300円の入場料を支払って登山開始。お寺なのに何で登山なんだって?山寺は、その名の通り、山全体がお寺。
 一番高いところに、大仏殿がある奥の院という寺があるが、そこまでの石段は、誰が数えたか千十五段。傾斜も急なので、健康な大人が休みなしで登っても30~40分かかります。一段一段登るごとに煩悩が落ちていく…その通りだと思います。

 すれ違う人々は、異口同音、「膝が笑って…」と、言いながら下りてきます。私は60年生きてきて、膝が笑うのを見たことがありません。
 可哀想なのは、子どもたち。無理矢理登らされる。親たちは、「もう少しだから」と、騙す。良くないですよ。「アイス買ってやるから」う~ん!感心しないなあ。中には、「頑張ればこんにゃく買ってやるぞ!」なんだその励まし方?門前町で、「力こんにゃく」という名で、ピンポン球大のこんにゃくの煮たものを売っていたのです。子どもですから、あれ買って!これ買って!普段見向きもしない玉こんにゃくでも、露店で売っていると魅力的なのでしょう。「もう、もう、いやだー」と、泣いていた子は肥満児でした。

 さて、私はというと、以前(11年前)は、体力に自信もあり、いとも簡単に上り下りしたのですが、今回は病人としての登山。さっぱり近づかない頂上を見上げるたび、くじけそうになりましたが、そこは見栄っ張り。見栄だけで登り切りました。下りの方がきついという声が聞こえていましたが、それは若い人の話。私の齢になると、地球の引力を応用するのが上手になっているため、下りは大変楽です。「老獪」のなせる技です。こう言うあたりがあまのじゃく。 どう見ても、後期高齢者と思われる方々も登っておられました。大変心配しました。煩悩を落とす前に、命を落とすんじゃないかと。幸いにも、私が山にいる間、救急車のピーポーピーポーは聞こえませんでした。いくら、救急車でも、千十五段の階段を上って来られません。もちろん自動車用のバイパスなどありません。救急患者はどうやって下ろすか?担架に縛り付けて人力で下ろすしかありませんね。

 頂上付近で心和むものを発見しました。
1 週刊ポスト
2 郵便ポスト
3 俳句ポスト
4 赤ちゃんポスト
 さて、どれでしょう。正解はこの文章の最後に。

 山寺は、その登っていく道すがらに寺やらゆかりの場所やらがあります。建物の数は、およそ40。大ざっぱですが…山門→根本中堂→姥堂→せみ塚(松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を呼んだ)→弥陀洞→仁王門→納経堂→開山堂→華蔵院→三重の塔(高さ約1m。低ッ!)→五大堂(展望できる)→如法堂→中性院→大仏殿・奥の院…。
 それぞれのお寺にお坊さんがおられ(当たり前か)、猫の額ほどの土地を有効活用して野菜を作っているお坊さんもおられました。鎌倉時代には、1,000名を超す修業僧がおられたそうです。慈覚大師の山寺開山のコンセプトは、「明るく正しい人を養成する道場」だったとか…。

 10月12日に、入場料を払って山寺へ登った人は、売店のおばちゃんの発表では、およそ2万人。ピークは、紅葉が見事な11月上旬で、昨年の記録は、11月3日の5万人だそうです。「300円×5万人」、なかなかの売り上げですなあ。

 「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」この句、見事です。今は、お参りの長蛇の列で、「喧噪や千切れ途切れの蝉の声」ってところでしょうか(上手いなあ~この句。私の作品です。季語も一つきちんと入っています。体言止めにしてあります)。
 蝉の句は、私の鑑賞では、芭蕉の句ベストテンに入ります。一番は、「蚤虱馬の尿する枕かな(のみしらみうまのしとするまくらかな)」です。なぜその句が芭蕉の一番か?奥の細道で馬小屋に泊まった芭蕉。蚤と虱に悩まされ、さらに枕元で馬が小便をする。しぶきが顔にかかってくる。汚い句だって?とんでもない。馬小屋で寝ている自分を、別のカメラから見ているのです。苦境にある自分を、冷静に見て笑っているのです。おもしろがっています。マゾヒストではありません。これこそが、芭蕉の俳句作法なのです。蚤虱の句はその典型です。なお、これはあくまで還暦パパの評論です。高名な評論家のパクリではありません。還暦パパ論をパクッて、けちょんけちょんにやられても一切の責任は負えません。私的には、大いに自信がありますけどね!

 山寺への途中、法定速度厳守で私が口ずさんでいた歌は、「山寺の和尚さん」。知らない人が多いでしょうが…歌詞は次の通り

 山寺の和尚さんが
 毬(まり)は蹴りたし 毬はなし
 猫をかん袋に 押し込んで
 ポンとけりゃ ニャンとなく
 ニャンがニャンとなく ヨイヨイ

 山寺の狸さん
 太鼓打ちたし 太鼓なし
 そこでお腹(なか)を チョイと出して
 ポンと打ちゃ ポンと鳴る
 ポンがポンと鳴る ヨイヨイ

 てっきり、宝珠山立石寺つまり、山形の山寺の和尚さんの歌かと思ったら…通称山寺は、千葉、京都、福岡…あちこちにあることが分かりました。猫を紙の袋(かん袋)へ入れて蹴って遊んだのはどこの和尚さんか?立石寺の和尚さんではなかったです。
 この歌の和尚さんは、福岡の大生寺の和尚さんのようです。宮崎の寺へ修業に行き、厳しさのあまり禅病(いわゆるひとつのノイローゼというか精神障害)に罹患。その狂態の様を、「猫を紙袋に押し込んで蹴って遊んだ」と、表現されてしまった。その後、大生寺に戻り、6年の修業のち禅病を克服。すさまじい話ですが、結果が良かったので安心。歌詞から、「動物虐待だ」などと早計な批判はできませんね。二番の狸の方は、メタボリックシンドロームへの警鐘だった…んなわけないか。

 クイズの正解は、2の郵便ポストです。ポスト所在地は、「郵便番号999-3301 山形市山寺4456-3 中性院」1日1回の集配です。「集配?集は、ポストがあるぐらいだから分かるが、配達もあるのか?」先述の通り、麓から千段も上の寺に住んでいる坊さんがおられるのです。集配は、「日本郵便山形支店」と、ポストに書いてありました。しっかりメモしてくる私って一体?このように、日常にある非日常が大好きなんです。99人が、「嘘だ」と感じても、実際は本当というのは痛快です。
 おそらく、日本郵便山形支店では、山登りに強い職員をセレクトして、山寺の担当者にしているでしょう。毎日、山寺往復では、いくら「力こんにゃく」を食べても疲労困憊ですよ。ポストへの投函は、きっと、特別な消印を捺してくれるのでしょう。確認していませんが。そのことを知っている人なら郵便物を持って登って投函しますね。郵政民営化後のサービスなのか、以前からそこにポストがあったのかは不明です。

 山寺、下山後の晴れ晴れした気分は何か?どっぷり汗をかいたからです。人は心のどこかで、腹の周囲の脂肪がストレスになっているのです。山寺を制覇した成就感、達成感、効力感はそのストレスを雲散霧消にしてくれるのです。
 慈覚大師の山寺開山の理念、「一段一段登るごとに、欲望や汚れを消滅し明るく正しい人間なろうとする所」…私は、前から明るく正しかったので、特に変化はなかったですけど。