極限を知る人は、強く穏やか
「登山」とは、無縁な生い立ちであり…生まれが、山の中なので、登る必要がなかった。現在も別次元の人が行うものと考えています。「趣味は登山です」という似非登山家が多いのも気になるんです。傍観者ではありますが、「一度か二度、単なる山歩きをして、趣味は登山と言ってほしくない。登山はアクセサリーじゃないんだぞ」と思っています。それが通るのであれば、山菜採りの爺さまも婆さまも皆、登山家ですから。
9月中旬に、クマに襲われた人のマスコミ報道がありました。
17日午前7時30分ごろ、奥多摩湖北側の倉戸山への登山道で、ジョギングを終えて帰宅途中の男性がクマに襲われ、近くの民家に助けを求た。民家にいた女性が119番通報。その後ヘリにて青梅市内の病院に搬送された。
警視庁青梅署によると、男性は近くに住む登山家の山野井泰史さん(43)で、山野井さんは顔面骨折と右上腕筋を断裂する重傷を負った。
そのときは、ツキノワグマだから重傷で済んだんだろうな。ヒグマなら、終わってるな。親類に「山野井姓」がいる。珍しい姓だが、どうやらが、東京都の奥多摩町にも山野井姓がいるんだなあ。…ぐらいにしか考えていませんでした。クマと山野井…で、記憶していたのですが…
10月20日、NHKテレビで「白夜の大岩壁」の再放送を見ていたら、主人公は、クマに襲われた山野井さんと彼の奥様でした。その道では、日本一有名な御夫妻だという。山野井泰史さんは、世界屈指のクライマーと評価されている…。道理で、山野井さんの名を出して、クマに襲われたニュースを入念に報道していたわけが分かりました。
…「白夜の大岩壁」の撮影は、クマに襲われる1か月前のことでした。
「白夜の大岩壁」は、山野井泰史・妙子さんのクライマー夫妻が、今年8月、グリーンランドにある、高さ1,300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだドキュメンタリー。NHKのカメラも同行。ほぼ垂直にそそり立つ岩を登り始めて1週間ちょっとで頂上に達したのですが、いやはや常に事故と隣り合わせ。死と隣り合わせと言った方が適当かとも。
白夜のため、太陽が沈むことがないが、睡眠は必要。岩場に寝られそうな場所を見つけて寝るのですが、寝返りをうてば、1,000m落下する。寝相の悪い人は、登山は止めた方が良い。そういう問題じゃないのですが…。頂上は、平らでしたが、幅40cmぐらいか?半歩間違えば、1,300m落下ですよ…。
山野井さん夫妻、「心穏やか」なんです。43歳の夫と、少し年上の妻。その若さでどうして、これほど穏やかなのか!
「心穏やか」を表す例として…
還暦パパ世代に、沢木耕太郎というノンフィクション作家がおります。「深夜特急」の香港のくだりなど、ほぼ同時期に旅行しているものですから、私の体験をどうして沢木耕太郎さんが知っているのかと勘違いしたり…今も本棚に鎮座しています。
その沢木さんが、山野井さん夫妻のことを書こうと取材しているときのことだそうです。
ある登山(ギャチュンカン)で下山途中、奥様の妙子さんが、雪崩に遭い宙づりになった。夫と自分をつなぐロープが切れそうになっていることに気づいた!そのときの気持ち…
「もうだめだと思った」のではなく、「まいったなと思った」のだそう。その言葉で、沢木さんは、山野井夫妻を描くノンフィクション小説を、「過剰にドラマチックに盛り上げるのは、御夫妻にふさわしくないと思った」とのこと。
その状況で、「まいったなあ」は、芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕かな(のみしらみうまのしとするまくらかな)」と、同じ。0.1秒後に死ぬかもしれないのに、この落ち着き。
2002年秋、山野井さん夫妻はヒマラヤのギャチュンカン(7,952m)に登頂。下山途中、雪崩に襲われた。(以下の記述は、真相とはピッタリ一致するものではないかもしれないが、おおむね事実と思います。恐れ多いので、冗談交じりでは書けません)
宙づりになった妙子さんを、泰史さんが救助に向かう。猛吹雪かつ極寒。何も見えない。ハーケンを打ち込む岩の僅かな隙間をどうやって探すか?手探りで探すしかない。手袋をはめていたのでは、探れない。しかし、手袋を外すと、たちまち凍傷になってしまう。泰史さんは、命をかけても妙子さんを救助したかった。自分の凍傷は頭になかった。右手の小指を出し、岩の裂け目を探った。ほどなく右手小指は感覚を失った。次に、左手小指。次に右手薬指。左手薬指・・・。泰史さんの指は、妙子さんを救うという大役を果たしながら、凍っていきました。
二人は、奇跡的に生還した。凍傷で、泰史さんは10本。妙子さんは18本の手足の指を失った・・・。
夫妻は、このあと、ギャチュンカンに残した自分たちの荷物を回収しに行きました。遭難の時に回収できずに帰国してしまったから…登山家のマナーかもしれませんが、生死をさまよった山、手足の指を失った山へ、ゴミ拾いに行った!
我が家の前に、自宅から持ってきた「猫の砂(糞尿入り)」等のゴミを捨てる人たち、散歩の犬に糞をさせてそそくさと去っていく人たち、そんな環境にいるものですから…真の登山家の行動には、神々しささえ感じます。
二人合わせて、40本あるはずの手足の指が、12本。クライマーとして致命的なダメージ。しかし、二人は当然のことのように、残された身体機能を鍛え続け、クライミングへの夢を捨てなかった。
それから5年、前述の「白夜の大岩壁」グリーンランドにある1,300mの「オルカ」を征服したのです。
その後、クマに襲われてしまった。
右腕は筋肉を損傷し20針ほど縫合。顔は眉間の上から鼻にかけ70針。
「生きている熊に触れられるなんて・・・感動、言葉が適切ではないと思いますが、貴重な体験をしたような気がします(泰史さんが実際にこう書いている)」…どんな状況下でも心穏やかなんです。クマに殺されかけても、「貴重な体験」・・・。
さらに、山野井泰史さんは言う。
「『登りたいから登る』執念でも未練でも意地でもない。それでも・・・時々考えてしまう。人はいつか下に向かって降りなければならないのか」
「登山」とは、無縁な生い立ちであり…生まれが、山の中なので、登る必要がなかった。現在も別次元の人が行うものと考えています。「趣味は登山です」という似非登山家が多いのも気になるんです。傍観者ではありますが、「一度か二度、単なる山歩きをして、趣味は登山と言ってほしくない。登山はアクセサリーじゃないんだぞ」と思っています。それが通るのであれば、山菜採りの爺さまも婆さまも皆、登山家ですから。
9月中旬に、クマに襲われた人のマスコミ報道がありました。
17日午前7時30分ごろ、奥多摩湖北側の倉戸山への登山道で、ジョギングを終えて帰宅途中の男性がクマに襲われ、近くの民家に助けを求た。民家にいた女性が119番通報。その後ヘリにて青梅市内の病院に搬送された。
警視庁青梅署によると、男性は近くに住む登山家の山野井泰史さん(43)で、山野井さんは顔面骨折と右上腕筋を断裂する重傷を負った。
そのときは、ツキノワグマだから重傷で済んだんだろうな。ヒグマなら、終わってるな。親類に「山野井姓」がいる。珍しい姓だが、どうやらが、東京都の奥多摩町にも山野井姓がいるんだなあ。…ぐらいにしか考えていませんでした。クマと山野井…で、記憶していたのですが…
10月20日、NHKテレビで「白夜の大岩壁」の再放送を見ていたら、主人公は、クマに襲われた山野井さんと彼の奥様でした。その道では、日本一有名な御夫妻だという。山野井泰史さんは、世界屈指のクライマーと評価されている…。道理で、山野井さんの名を出して、クマに襲われたニュースを入念に報道していたわけが分かりました。
…「白夜の大岩壁」の撮影は、クマに襲われる1か月前のことでした。
「白夜の大岩壁」は、山野井泰史・妙子さんのクライマー夫妻が、今年8月、グリーンランドにある、高さ1,300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだドキュメンタリー。NHKのカメラも同行。ほぼ垂直にそそり立つ岩を登り始めて1週間ちょっとで頂上に達したのですが、いやはや常に事故と隣り合わせ。死と隣り合わせと言った方が適当かとも。
白夜のため、太陽が沈むことがないが、睡眠は必要。岩場に寝られそうな場所を見つけて寝るのですが、寝返りをうてば、1,000m落下する。寝相の悪い人は、登山は止めた方が良い。そういう問題じゃないのですが…。頂上は、平らでしたが、幅40cmぐらいか?半歩間違えば、1,300m落下ですよ…。
山野井さん夫妻、「心穏やか」なんです。43歳の夫と、少し年上の妻。その若さでどうして、これほど穏やかなのか!
「心穏やか」を表す例として…
還暦パパ世代に、沢木耕太郎というノンフィクション作家がおります。「深夜特急」の香港のくだりなど、ほぼ同時期に旅行しているものですから、私の体験をどうして沢木耕太郎さんが知っているのかと勘違いしたり…今も本棚に鎮座しています。
その沢木さんが、山野井さん夫妻のことを書こうと取材しているときのことだそうです。
ある登山(ギャチュンカン)で下山途中、奥様の妙子さんが、雪崩に遭い宙づりになった。夫と自分をつなぐロープが切れそうになっていることに気づいた!そのときの気持ち…
「もうだめだと思った」のではなく、「まいったなと思った」のだそう。その言葉で、沢木さんは、山野井夫妻を描くノンフィクション小説を、「過剰にドラマチックに盛り上げるのは、御夫妻にふさわしくないと思った」とのこと。
その状況で、「まいったなあ」は、芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕かな(のみしらみうまのしとするまくらかな)」と、同じ。0.1秒後に死ぬかもしれないのに、この落ち着き。
2002年秋、山野井さん夫妻はヒマラヤのギャチュンカン(7,952m)に登頂。下山途中、雪崩に襲われた。(以下の記述は、真相とはピッタリ一致するものではないかもしれないが、おおむね事実と思います。恐れ多いので、冗談交じりでは書けません)
宙づりになった妙子さんを、泰史さんが救助に向かう。猛吹雪かつ極寒。何も見えない。ハーケンを打ち込む岩の僅かな隙間をどうやって探すか?手探りで探すしかない。手袋をはめていたのでは、探れない。しかし、手袋を外すと、たちまち凍傷になってしまう。泰史さんは、命をかけても妙子さんを救助したかった。自分の凍傷は頭になかった。右手の小指を出し、岩の裂け目を探った。ほどなく右手小指は感覚を失った。次に、左手小指。次に右手薬指。左手薬指・・・。泰史さんの指は、妙子さんを救うという大役を果たしながら、凍っていきました。
二人は、奇跡的に生還した。凍傷で、泰史さんは10本。妙子さんは18本の手足の指を失った・・・。
夫妻は、このあと、ギャチュンカンに残した自分たちの荷物を回収しに行きました。遭難の時に回収できずに帰国してしまったから…登山家のマナーかもしれませんが、生死をさまよった山、手足の指を失った山へ、ゴミ拾いに行った!
我が家の前に、自宅から持ってきた「猫の砂(糞尿入り)」等のゴミを捨てる人たち、散歩の犬に糞をさせてそそくさと去っていく人たち、そんな環境にいるものですから…真の登山家の行動には、神々しささえ感じます。
二人合わせて、40本あるはずの手足の指が、12本。クライマーとして致命的なダメージ。しかし、二人は当然のことのように、残された身体機能を鍛え続け、クライミングへの夢を捨てなかった。
それから5年、前述の「白夜の大岩壁」グリーンランドにある1,300mの「オルカ」を征服したのです。
その後、クマに襲われてしまった。
右腕は筋肉を損傷し20針ほど縫合。顔は眉間の上から鼻にかけ70針。
「生きている熊に触れられるなんて・・・感動、言葉が適切ではないと思いますが、貴重な体験をしたような気がします(泰史さんが実際にこう書いている)」…どんな状況下でも心穏やかなんです。クマに殺されかけても、「貴重な体験」・・・。
さらに、山野井泰史さんは言う。
「『登りたいから登る』執念でも未練でも意地でもない。それでも・・・時々考えてしまう。人はいつか下に向かって降りなければならないのか」