学歴?辞書から削除していいです
「京大卒のエリートが希望する職種先から内定をもらえないのは社会や大学に問題がある」と、京都大学の女子学生が、ブログで論陣を張ったのだそうだ。いいんじゃないでしょうか。ブログで思いの丈を書く。「内心の自由」と同じに扱って良いと思います。あるはずがない「自由」が、少しだけあるのが、ブログなるもの。特定できる人を誹謗中傷しなければ、ノータリン(脳足りん)なことを書いてもいいんじゃないかな。有名人については、誹謗中傷も「税」ってことで了解していただきましょう。
この京大女子学生のブログに噛みついた人がおられて・・・
「京大生ということでしか自分の優秀さを証明できないと思い込んでいる。本当に優秀なら社会のせいにせず、自分で解決したらいい・・・社会がよりバカに優しくなってくれることを望むけれども、バカであることに褒美を出す社会はダメだ。この二つを取り違えるのは、社会にとって致命的にバカな過ち」
ちなみにこのブログには、「バカ」が16回出て来たそう…。いいです、いいです。バカぐらい何百回使ってもいいのがブログ。
しかし、これで終わらなかった…。
女子大生は、この反論に敏感に反応。高学歴でも「没落」するのは社会の問題が大きいという論で押した。まあ、いつまでもやっていればいいです。
そもそも、女子大生も、バカを16回使った人も、2ちゃんねるで論争に参加した人も、「京大卒業=高学歴」というところを、スタート地点にしている。京大卒って、高学歴なんですか?「高学歴って何?」とか、「この時代に求められている学歴とは?」をスタート地点にすれば良かった。
「学歴」は、その人の卒業・修了・退学した学校の経歴である学校歴。低学歴も、中学歴も、高学歴もないのです。京大は、偏差値という観点から考えると、優秀ですが「優秀=高学歴」ではないのです。(話の途中ですが、私は偏差値支持者です。偏差値=悪みたいな考えが蔓延し、このところさっぱり聞かれなくなってしまいました)
「高学歴などないのです」と、私が言ったところで、分かりにくいし、賛同者が僅少でしょう。実際に、「高学歴」という言葉が存在し、一人歩きしているので、しょうがないから、還暦パパ的に意味を特定します。
1 高学歴とは、四年制の大学を、五年以上かけて卒業すること…四で済むところが五以上ですから、確かに「高い」です。
2 高学歴とは、二つ以上の大学を卒業するか、大学院の修士課程以上を修了または卒業すること。
これで、「4年間で京大卒業≠高学歴」がはっきりしました。くだんの女子大生が高学歴の仲間入りする手だては、留年するしかありません。
京大に入学した人は、「受験戦争の勝者」であることは認めます。良く勉強して立派だと思います。その御褒美として、希望の会社へはいることが出来る・・・それはありません。会社にも都合ってモノがありますから。
アメリカの場合はどうか?学歴と言う考え方そのものがないです。40歳、50歳の現役大学生が普通にいますから…。勤務を終えて、夕方の講義を受ける…普通です。学歴はエンドレス状態。勉強したいから、大学へ行く。年齢なんて関係ない。いい会社へ入る手形を得るための大学ではないです。高学歴…博士を高学歴とするならば、高学歴者過剰。公立の小学校中学校の校長先生で、博士は珍しくないです。高学歴だと希望の会社へ入れるか?入れないですね。入れないどころか、専門を生かす仕事に就けず、酒屋でビールの箱を運んでいる博士もおりました。「オーバードクター」というやつですね。
従兄弟が、地方国立大卒業で、国家公務員上級職(当時)に合格。大蔵省主計局(現在は財務省)に入りました。一族の誇りでした。家の廊下から玄関にかけて、ゴルフクラブのセットがずらりと並んでいました。手つかずの新品。超高級品ばかり。すべて贈り物。「運転免許を取ってください。車をプレゼントさせていただきます」と、言われている…と困惑していました。彼の口から何度か聞きました。「東大出身でないとダメダ…」そして、奥様と一人娘を残して自殺してしまいました。
そのころ(20数年前)から、日本も、「どこの大学を出たかではなく、何ができるかだ」と、いわれはじめました。それでも、実際は大きな変化が無いままでした。ブランドはブランド。首都圏私大は、明確にランクづけされている。早慶上智ICU~MARCH~日東駒専~大東亜帝国…そして、それが変化する。知ったかぶりで、「MARCH」というと、「SCRAM」に変わってるよと言われる…。MARCHは、明治、青学、立教、中央、法政。現在は、SCRAMに変わっている。頭文字のSは、成蹊大学。Hが無くなってしまった。群雄割拠といおうか、下克上といおうか、学歴問題とは別に、おもしろい!気になるのは、私大生の20%が、中学生以下の国語力という報道…そんなザマだから…「京大の学生が、自分たちはエリ-ト。その他大勢とは、はっきり違う」と、言い出すのも当然…。
京大の女学生には、「エリートじゃないなあ」と、叱られるかもしれないが、日本の首相は、学歴も学閥も関係ない。つまり東大一辺倒ではないので…いいですよ。高等小学校卒業の首相もおられた。安倍元首相は、成蹊大学。現在の、麻生首相は、学習院大学。
この流れは、波及していくというかすでに波及している。
京大の女学生が、就職に関して、「高学歴者に恩恵があるべき」と言うことは、「(彼女が言うところの)高学歴者に恩恵がない時代」になったということ。
日東駒専も京都大学も関係なくなりつつある。ようやく本格的に、どこの大学を出たかではなく、何ができるかの時代になってきた!かな?
「京大卒のエリートが希望する職種先から内定をもらえないのは社会や大学に問題がある」と、京都大学の女子学生が、ブログで論陣を張ったのだそうだ。いいんじゃないでしょうか。ブログで思いの丈を書く。「内心の自由」と同じに扱って良いと思います。あるはずがない「自由」が、少しだけあるのが、ブログなるもの。特定できる人を誹謗中傷しなければ、ノータリン(脳足りん)なことを書いてもいいんじゃないかな。有名人については、誹謗中傷も「税」ってことで了解していただきましょう。
この京大女子学生のブログに噛みついた人がおられて・・・
「京大生ということでしか自分の優秀さを証明できないと思い込んでいる。本当に優秀なら社会のせいにせず、自分で解決したらいい・・・社会がよりバカに優しくなってくれることを望むけれども、バカであることに褒美を出す社会はダメだ。この二つを取り違えるのは、社会にとって致命的にバカな過ち」
ちなみにこのブログには、「バカ」が16回出て来たそう…。いいです、いいです。バカぐらい何百回使ってもいいのがブログ。
しかし、これで終わらなかった…。
女子大生は、この反論に敏感に反応。高学歴でも「没落」するのは社会の問題が大きいという論で押した。まあ、いつまでもやっていればいいです。
そもそも、女子大生も、バカを16回使った人も、2ちゃんねるで論争に参加した人も、「京大卒業=高学歴」というところを、スタート地点にしている。京大卒って、高学歴なんですか?「高学歴って何?」とか、「この時代に求められている学歴とは?」をスタート地点にすれば良かった。
「学歴」は、その人の卒業・修了・退学した学校の経歴である学校歴。低学歴も、中学歴も、高学歴もないのです。京大は、偏差値という観点から考えると、優秀ですが「優秀=高学歴」ではないのです。(話の途中ですが、私は偏差値支持者です。偏差値=悪みたいな考えが蔓延し、このところさっぱり聞かれなくなってしまいました)
「高学歴などないのです」と、私が言ったところで、分かりにくいし、賛同者が僅少でしょう。実際に、「高学歴」という言葉が存在し、一人歩きしているので、しょうがないから、還暦パパ的に意味を特定します。
1 高学歴とは、四年制の大学を、五年以上かけて卒業すること…四で済むところが五以上ですから、確かに「高い」です。
2 高学歴とは、二つ以上の大学を卒業するか、大学院の修士課程以上を修了または卒業すること。
これで、「4年間で京大卒業≠高学歴」がはっきりしました。くだんの女子大生が高学歴の仲間入りする手だては、留年するしかありません。
京大に入学した人は、「受験戦争の勝者」であることは認めます。良く勉強して立派だと思います。その御褒美として、希望の会社へはいることが出来る・・・それはありません。会社にも都合ってモノがありますから。
アメリカの場合はどうか?学歴と言う考え方そのものがないです。40歳、50歳の現役大学生が普通にいますから…。勤務を終えて、夕方の講義を受ける…普通です。学歴はエンドレス状態。勉強したいから、大学へ行く。年齢なんて関係ない。いい会社へ入る手形を得るための大学ではないです。高学歴…博士を高学歴とするならば、高学歴者過剰。公立の小学校中学校の校長先生で、博士は珍しくないです。高学歴だと希望の会社へ入れるか?入れないですね。入れないどころか、専門を生かす仕事に就けず、酒屋でビールの箱を運んでいる博士もおりました。「オーバードクター」というやつですね。
従兄弟が、地方国立大卒業で、国家公務員上級職(当時)に合格。大蔵省主計局(現在は財務省)に入りました。一族の誇りでした。家の廊下から玄関にかけて、ゴルフクラブのセットがずらりと並んでいました。手つかずの新品。超高級品ばかり。すべて贈り物。「運転免許を取ってください。車をプレゼントさせていただきます」と、言われている…と困惑していました。彼の口から何度か聞きました。「東大出身でないとダメダ…」そして、奥様と一人娘を残して自殺してしまいました。
そのころ(20数年前)から、日本も、「どこの大学を出たかではなく、何ができるかだ」と、いわれはじめました。それでも、実際は大きな変化が無いままでした。ブランドはブランド。首都圏私大は、明確にランクづけされている。早慶上智ICU~MARCH~日東駒専~大東亜帝国…そして、それが変化する。知ったかぶりで、「MARCH」というと、「SCRAM」に変わってるよと言われる…。MARCHは、明治、青学、立教、中央、法政。現在は、SCRAMに変わっている。頭文字のSは、成蹊大学。Hが無くなってしまった。群雄割拠といおうか、下克上といおうか、学歴問題とは別に、おもしろい!気になるのは、私大生の20%が、中学生以下の国語力という報道…そんなザマだから…「京大の学生が、自分たちはエリ-ト。その他大勢とは、はっきり違う」と、言い出すのも当然…。
京大の女学生には、「エリートじゃないなあ」と、叱られるかもしれないが、日本の首相は、学歴も学閥も関係ない。つまり東大一辺倒ではないので…いいですよ。高等小学校卒業の首相もおられた。安倍元首相は、成蹊大学。現在の、麻生首相は、学習院大学。
この流れは、波及していくというかすでに波及している。
京大の女学生が、就職に関して、「高学歴者に恩恵があるべき」と言うことは、「(彼女が言うところの)高学歴者に恩恵がない時代」になったということ。
日東駒専も京都大学も関係なくなりつつある。ようやく本格的に、どこの大学を出たかではなく、何ができるかの時代になってきた!かな?