アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

謝る必要などないぞ 神田高校

2008年10月29日 | Weblog
  どうして謝るのだ!

 神奈川県立神田高校(平塚市)が、合格圏内の成績であっても、服装、態度の悪い子を不合格としていた。立派、立派!そのように、正しい高校があったということがうれしい。

 神奈川県教委へ密告があり、そのことが発覚すると、校長が謝ってしまった!
「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという気持ちがあった。大変申し訳ない」
 …なんで謝るの!?合否の判定は、校長の権限でしょう。謝る必要なんてないのです。「合否圏内の成績?それがどうした。『つめが長い』『胸のボタンが開いている』『まゆをそっている』…そのような子は本校には不要と判断したから落とした。校長に与えられている権限だ。つべこべぬかすな?」と、言ってほしかった。

 県教委は、合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装、態度などが悪く不合格となった生徒については、入学希望があれば入学させるのだそう・・・。入学許可について、県教委が校長よりも権限を持っているとは驚き。校長へ指導は出来ても、校長を超えて入学者にまで口出しする・・・そんなことをやっているから、神奈川の教育はダメなんだ。全国学力テストでも、47都道府県中32位ですよ。今後、ますます、ダメに拍車がかかりますよ! 

 この度の問題で神奈川県立高校は、ある程度の成績があれば、「服装がだらしなくても、態度が悪くても、合格させなければならない」ことになりました。県教委は、一部の偏った考えの教職員からは、「偉いぞ県教委!」と、評価されるでしょう。しかし、そのツケを負うのは誰?国民ですよ!国民!なんでそんなに飛躍するんだって?普通に考えれば分かることです。

 今後中学校では、服装や態度の指導が困難になります。…注意しても、「そんなの関係ねーだろ、こら!」となりますから。おまけに、「今まで、教員の力ではなく、乱れた服装や、不良っぽい態度では高校に落ちるぞという脅しで生徒指導してきただろ!こら!脅しの材料がなくなったら、脅しの生徒指導に頼ってきた教員なんて、鳥なき里のかかしだ。つまり何の役にも立たない。」もう、やりたい放題。
 高校でも、そういう連中を指導しなければならない。大変ですよ。しかし、彼らは3年間続きません。ではどうなる?
 結局、社会問題を起こします。まともに働かないのに金がほしい。刑事も起こすし、民事も起こす。そのツケを払うのは、国民です。事件が少なければ国が潤うのです。学力は国力です。もちろん、学力の中に「服装や態度」も入ります。

 では、服装や態度で、バンバン落とせばいいのか?いいでしょう!今だって受け皿があるのだから。この度の件で受け皿が消えてしまうことはありません。受け皿となった高校は、その高校の考えに従って教育すればよいのです。

 神田高校の校長が謝ってしまった。完全な間違いです。服装や態度が悪い生徒の中学校の校長は、高校の校長以上に謝らなければならないのですよ。罪はこちらのほうが大きいかもしれません。ないと信じますが、中学校長が、世論の尻馬に乗って、「とんでもない高校だ!見かけで前途ある子どもたちの人生を変えるとは」などと言ったとしたら、犬に食われるか鮫に食われた方がいい。それが無理なら、とっとと辞めろ。

 『つめが長い』『胸のボタンが開いている』『まゆをそっている』そんな生徒に、強制的改善指導なしで高校へ出願に行かせる。進路選択の自由だろうって?選択は自由かもしれませんが、合格は自由ではないですよ。本当にその子のことを考えて、合格させたいのであれば、指導しなさいよ。
○ つめを切ろ。ただ深づめにすると、巻きづめになるから、切りすぎないように。
○ ボタンは、上まできちんとしめろ。そのためのボタンだ。外すためのボタンではない。
○ まゆを剃った?生えそろってから出願しろ。うーん!時間がないので、私がマジックインクで描いてやる。
○ 髪の毛染めた?元の色に染め直して、出願に行け。
○ 耳たぶに穴開けた?アフリカの高校を受験しろ。しょうがない、それはごまかせ。
 このように、一人一人をよく見て、指導し従わせる。それこそが「愛」でしょう!

 「そういう指導は校長の職務の範疇ではない。生徒指導部と学年団に任せてある」・・・あのね、学校の問題は全て校長の責任。校務分掌は、膨大な仕事量なので分業を教職員にお願いしているだけ。責任が校長にあることについては、何の変わりもない。それを、「任せてますから」と責任回避。悪いのは誰?生徒指導部の先生か?
「生徒が嫌がるから指導しない」という教員。教員失格です。生徒の御機嫌をうかがい、「話の分かる、いい先生」と思われていると思い込む。実際は、「愚かな奴」と思われているのも知らず。ちやほやの結果生徒が不幸になっても、「それは生徒が嫌がったから、生徒の責任であって自分は関係ねえー」というんだべなあ。立派な教員だこと。

 中学生の、高校受験。中学校教職員にとって、我が子を嫁に出すようなモノでしょう。出来る限りのことをして送り出す。学習成績は急には伸びないが、「見かけ」は、付け焼き刃でも何とかなる。押さえつけても、きちんとさせなければ。もっとも、日常的に指導が行き届いておれば、出願時に付け焼き刃的指導をするなど無用ですがね。