アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

とんとんとんからりと隣組

2008年10月08日 | Weblog
  とんとんとんからりと隣組

 日本には、「近所づきあい」というものがありました。その様子は、「隣組」という歌の歌詞にあるとおりです。歌詞と対比した、この半年の私の近所づきあいは…
<一番>
 とんとんとんからりと隣組
 格子を開ければ顔なじみ
 廻して頂戴 回覧板
 知らせられたり知らせたり
○ 半年経っても顔なじみじゃない
○ 回覧板はあるが、顔を合わせずに受け渡し
 ○ 知らせたことも知らされたこともなし
<二番>
 とんとんとんからりと隣組
 あれこれ面倒味噌醤油
 御飯の炊き方垣根越し
 教えられたり教えたり
 ○ 味噌醤油の貸し借りなし
 ○ 御飯は、炊飯器が…
 ○ 教えられたことも教えたこともなし
<三番>
 とんとんとんからりと隣組
 地震や雷 火事どろぼう
 互いに役立つ用心棒
 助けられたり助けたり
 ○ 地震・雷はあったが、被害なし
 ○ 火事・どろぼう…なし
 ○ 近所の高齢者世帯に用心棒は望めない。弱そうだから。高齢者世帯のほかは、昼間無人世帯、用心棒?不在のため望めません
 ○ 助けたことも、助けられたこともありません

 私が新参者で、近所に馴染めないのではありません。近所の高齢者は、ゴミ出し以外引きこもっているし、ほかは夫婦共働き。18歳未満の子どもは、近所には居ない。私一人で近所づきあいすればいいって?無理無理。一日中、ゴーストタウン状態。静かです。僅かな動きは、郵便配達のお兄さんの、赤いスーパーカブのエンジン音、宅配便のトラックのエンジン音、ゴミ収集車のエンジン音…ぐらいのものです。

 「近所づきあいは、不要になった」・・・厳密には、生活に追われて近所と疎遠になってきて、気づいたらそのことが別に不自由ではなくなった。近所へ、「知らせることも、知らされることもない」「教えることも、教えられることもない」「助けが必要なこともない」近所が、漢字の通り、「距離的に、近い所」になった。

 日本は、「竹と紙の文化」。ヒソヒソ話しも、近所へ筒抜け。家族生活の体裁はとっていても、近所と暮らしているようなもの。このことから、「世間体(せけんてい)」という言葉が生まれた。この世間は、当然「御近所」を指している。「近所迷惑」という言葉もある。「世間様に恥ずかしくないよう…」これが日本人の心の底にあった。近所に「御」をつけたり、世間に「様」をつけて、大切にしてきた。
 西洋(この言い方も、埃をかぶっている?)は、「石の文化」であり、「個が守られてきた」だから、世間体という言葉は、ないのです。日本も、住宅事情、生活形態の変化から、「個が守られる(?)」ようになってきた。従って、近所づきあいは消えてきている。

 欧米には、近所づきあいはないのか?「ない」というのが正しいです。味噌醤油の貸し借り…考えられないです。家の内部への干渉は、一切なし。
 但し、外部へは干渉します。主なものは、「芝の手入れが悪い」これを、直接当該家庭へ言うのではなく、町へ言います。直接言って、お互い嫌な気持ちにならないようにするわけです。「街の美観」これは、住民にとって重大な要素なのです。汚れた街へは、犯罪が入り込む→治安が悪くなる→安心して住めない→移り住む人がいなくなる→家の価格が下がる→悪事をはたらく輩が住み始める→元々住んでいた人たちが逃げ出さなければならなくなる…

 欧米の近所の人との挨拶はオーバーアクションです。何事が起こったかと思うほど、満面の笑み、盛大に両手を挙げて声を出し、「あなたに会えて良かったです!」という気持ちを表現します。この挨拶、近所の住人が、「信用できるか否かの確認」で、きわめて重要。盛大な挨拶が出来なければ、「注意を要する隣人」となります。日本でこの盛大方式の挨拶をしたら、逆に、「隣人は、変質者」となるでしょう。

 日本の近所づきあい…消えて行くにまかせて良いのか?「世間体」を喪失した層から、弊害が多発していることは事実です。身勝手な犯罪を起こしている犯人たち…「生きていくのが嫌になった。巻き添えで死ぬ奴のこと?そんなの考えない」

 京都の一部に、隣組が残っているところがある。「区 ― 元学区 ― (ブロック) ― 町内会 ― 隣組(数軒単位)」というコミュニティ組織になっている。しかし、便宜上存在しているにすぎない状況にあるという。京都でも、そうなってしまっているのです。

 隣組を語るとき注意しなければならないのは、戦時中、隣組強化法によって、「団結や地方自治の進行を促し、戦争に関わる作業への住民の動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った」ので…「隣組だってぇ?子どもを戦場へ送り出す気か」と、言われかねないということですね。また、隣組には、非国民的言動の監視(思想統制)という目的もありましたから。

 冒頭の「隣組の歌詞」のような近所づきあい。是非はともかく、その心は残したい。無差別殺人、身勝手な行為から人々の命を奪う事件…間違いなく減ります。
 隣組の歌詞の四番は、「何軒あろうと一所帯 こころは一つの屋根の月」と、なっています。