アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

現代になお新しい柳生家家訓

2010年05月30日 | Weblog
 山本一力の「峠越え」を読んでいた家人が、「小人は縁(えにし)に出合って、縁に気付かず、中人は縁に出合って、縁を活かさず、大人は袖触れ合うた縁をも活かすって、誰の言葉ー?」と叫んでいる。さらに、「孟子?孔子?」と続けている。「格言のようなもの=孟子様か孔子様」というステレオタイプ。
 心情を揺する格言のようなものを見ると、「武者小路実篤か、せんだみつお」だと思っている。おっと、せんだみつおは、心情には訴えませんね。あいだみつおでした。
 
 「縁…」は、孟子でも孔子でもなく、「柳生一族の家訓」。山本一力さんは、分かりやすく「小人、中人、大人」としているが、柳生家家訓では、「小才、中才、大才」となっている。

 柳生一族…初代藩主は、「宗矩(むねのり)」。「又右衛門」の方が通りがいいか。宗矩の父親は、「石舟斎」で長男が、「十兵衛(三厳)」そんなことは誰でも知ってるって?赤ちゃんは知らんだろう!(赤ちゃんは、この文章を読まないね)
 「子連れ狼」…これもすっかり古くなったか…。子供を乳母車に乗せて刺客をしながら旅をするお父さんのお話です。このお父さんの名前は、拝一刀(おがみいっとう)、子供は「大五郎」。一刀の奥さんは、「あざみ」で、柳生一族に殺された。
 子連れ狼では、一刀が柳生の「草」に襲撃される。
 「草(くさ)」は、柳生が全国に放ったスパイのこと。なぜ「草」か?全国に散らばり、ある者は百姓に、ある者は藩士に、はたまたある者は商人に…とその土地に根を生やして親子代々住む。だから、「草」。使命は、それぞれが在住する藩の様子を事細かに江戸の柳生家へ報告する。時には、その藩の要人の殺害も行った。簡単に言うと土着のスパイ。私の祖先は、「草川家」。柳生の「草」と関係があるのではないかとも考えた。しかし、かなり調べたが何も分からなかった。それもそのはず、「草」については、徳川家康から、「たとえ、徳川家が滅亡したとしても、秘匿せよ」との厳命があった。そのため、時の柳生の総帥以外は誰も知らなかった。草同士でも、お互いが草であることなど知らなかった。

 「縁(えにし)」に話を戻します。柳生家は徳川家の兵法指南役。つまり、武闘派?その柳生家の家訓…「殺られる前に殺れ!」なら大いに分かるが、「縁」とは…?

 「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」 
 バカ(小才)は、絶好のチャンスに巡り合っても、それと気づかない。並の人(中才)は、チャンスに気づいても、活かすことができない。しかし、BUT!学力がある人(大才)は、どんなに小さなチャンスでも、それを見逃さず、最大限に活かすことができる。

 柳生の剣は…「殺人剣」ではなく「活人剣」。「不義・不正・迷いなどを切り捨て、人を生かす正しい剣」この「人を生かす」というところが「縁」とつながるのでしょう。一人を殺しても多くの衆生を生かす…そのことから、「一殺多生の剣」ともいわれている。こじつけのようですが、「縁」が見えてきます。

 「活人」…と、いうことは、戦う相手との「縁」が問題。
 自分の良さを磨き、煩悩を振り払えるよう研鑽に励む。他人との袖すりあう一刹那の縁を生かし、自分も生き、相手も生かす…
 現代でも十二分に通用します…というか、現代こそ「刹那の縁」を生かさなければなりません。

 だったら柳生一族は、どうして大五郎の母さんを殺したんだ!?どうして、草に一刀を襲わせたんだ?縁を生かしてないじゃないかってかぁ?そ、そ、そりゃあ…創作だから、小池一夫さん(原作者)に聞かなきゃ分からない。
 ところで縁ですが、「どうして緑がエニシなの?」と、最後まで疑問に思っていたあなた!縁と緑は違いますから!
 それからですねぇ、「拝一刀」と「よろずや平四郎」、どっちが強いかという質問にもお答えできません。