アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

原発やめて、水力・風力・波力・ソーラー・バイオ発電へ

2011年04月01日 | Weblog
 「とめる」「ひやす」「とじこめる」…これらの言葉、虚しくなってしまいました。「とめる」で止まってしまって、なかなか冷やせない…。日本の原発は震災によって制御不能に陥ってしまった。「崩壊熱の発生をとめられず、冷却水を循環させられず、放射能を建屋内にとじこめることもできない状態」
 原発の安全性?随分聞かされてきたが…実際に、危機に瀕しているのだから安全なわけがない。

 ここは、フロイトに登場して頂くところですが、たまにはニクラス・ルーマン(ドイツの社会学者)に登場していただこうと…
 ルーマンは、「危険」の対義語は、「安全」ではないという考え方。では、危険の反対は何かというと、「リスク」だという。リスクは…危険、損害(損傷)の恐れという意味と思っていたが…「危険」の反対が「危険」か?
 ルーマンは、「危険は天災」、「リスクは人災」だから、危険の対義語はリスクなんだと。結局フロイトと全く同じことを言っている。「科学技術はリスクを生み出すもの」だということ。
 原発がなければ、放射線の恐怖に日本国民の多くが怯えるような結果にはならなかった。地震や津波という天災を原子炉事故を伴う災害に変えたのは、原子力利用技術を採用したから。日本社会が原発を作った結果として地震と津波は人災化した。

 1960年に、福島県議会が東京電力に原子力発電所用地の提供を申し出たのです。そして、大熊町、双葉町議会が原発誘致の決議をしています。ちょうど50年前、求めて誘致した原発なのです。だから放射線を我慢しろということではありません。時代と、政府と、自分たちが選んだ議員さんが決めたもので…。
 1960年代は、「原発を誘致できれば、繁栄する」といわれておりました。私の知っている町も原発誘致に手を挙げて…結局ダメでした。ただ、話が逸れますが、「出来レース」でしたね。はじめから、本命を決めておいて、民主的(?)に原発の町を決めてますよというポーズを見せるために、手を挙げさせる…。こういうのってホント腹が立ちますよ。人生を長くやっていると、こういう目に遭わされることが…私も何度かありました。ピエロですよ。

 閑話休題。関西電力の美浜原発でトラブルが続出。これでは原発が作りにくくなる…そこで当時の田中角栄首相は、「電源立地助成制度」を作った。要するにカネを送り込んで、「原発を誘致すると地域が栄えるヨー!」しかし、放射線が怖くない人はいない。こうした地元振興の助成政策でも原発用地の取得は困難となった。なぜなら、美浜原発のトラブルは、なんとか覆い隠せても、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故を見せつけられると、原発は危険なものという認識になってしまった。だから、既に原発があるところで、増炉や使用済み燃料の保存を行うしかなくなった。福島第一原発の敷地内に6機の炉が立ち並んでいる所以。福島第二原発もある。

 これからの電力の問題ですが…原発をどうする?国民が判断することになるのですが、「原発」は続けられることになるのでしょう…。
 私は、原発はもう放棄すべきと思います。久々ですが、ハインリッヒの法則ですよ。発生確率で、一度災害があったということは、紙一重で災害にならなかった未遂の災害が、29回あった。軽微な災害は300回あった。福島原発の二の舞は、もうたくさんです。
 では、日本の電力をどうする?火力発電は、CO2がどうのこうので不可能。とどのつまりは、水力発電、太陽発電、風力発電、波力発電、バイオ発電…です。クリーンかつ放射線漏れの心配がない。

 津波からの復興について、「被災したところに住んではいけません。新しい街は、今回安全だったところに建設しなければなりません」。純朴そうな学者さんがNHKでおっしゃっていました。この学者さん、その発言のあとNHKで観ることがありません。国民の反感を買ったようです。私は、この学者さんは正しいと思いますよ。この度と同じかそれ以上の津波が必ず来ます。いつ来るか?1か月後かも知れないし、1年後かもしれない。100年後かも200年後かもしれない。いつであれ、来るからには備えなければならない。ということは、今回被災した場所に住んではいけないということになる。「元気を出して、同じ場所に住もう!」‥…言葉が力強く、心を打つ。しかし、また同じ被害に遭ったとき、そう言った人たちは、「元気を出して、またまた同じ所に住もう!」と、言うのか?
 原発についても、このことと同じ。危険を回避し、リスクを「無」にしなければなりません。