アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

津波で流された地域跡に町を復活させるのは…

2011年04月06日 | Weblog
 東日本大震災から、もうすぐ1か月になろうとしています。これまでに三陸を襲った大地震・大津波は…
 869年(貞観11年) 貞観地震(じょうがん)・・・犠牲者1,000人以上。
 1896年(明治29年)明治三陸地震・・・犠牲者22,000人。
 1933年(昭和8年) 昭和三陸地震・・・犠牲者1,522人。
 2011年(平成23年)東日本大震災・・・犠牲者は30,000人以上か?

 貞観地震と明治三陸地震までの間隔は、1027年間。
 明治三陸地震から昭和三陸地震までの間隔は、37年間。
 昭和三陸地震から、東日本大震災までの間隔は、78年間。
 
 三陸は、この度の東日本大震災の前に(分かっている範囲でも)三度の大地震、大津波に遭っている。教訓は生かされなかったのか?信頼できると思われる学者さんによると、「三陸地方には、津波の教訓を石に彫り込んだ石碑がたくさんある」と。それらの石碑の一つの写真を見たが、難しい文章のあとに、「…ここより下の土地に家を建ててはならない」と彫ってある。
 石碑はたくさんあるそうなので、貞観のものなのか明治のものなのかは分からないが、はっきりしているのは、先人が「家を建ててはならない」とした土地に、いつのころからなのか数十万人が住んでいたということ。
 
 津波の被害を受ける場所にどうして住んでいたのか?
 1 海で生計を立てているので、海のそばに住むのが便利だから。
 2 津波が来ても、自分たちは安全だろうという根拠のない思いこみが…。
 3 思いこみはやがて確信へと変わる。
 4 住み始めた頃は不安もあったが、その不安は年々薄れていった。 
 5 30年経ったら、不安は一掃されてしまう(30年というのは、学者さんが研究に基づいて出している数字。私が、「勘」で導き出した数字ではありません)

 被災者や被災自治体の中には、「復興するんだ!津波で流された地域に町を復活させるんだ」という決意も。また同じ場所に町をつくるというのか…。私は、復興はぜひ遂げてほしいと思います。しかし、この度、津波の被害を受けなかったところに町をつくってほしい。そうしなければ、今の辛い思いを子孫にもさせることになってしまいます。教訓を生かそうよ。

 貞観地震の記録…恥ずかしながら、読めない漢字もあります。9世紀の日本では、このような漢字が使われていた。漢字の長所…読めなくても意味が分かるところ。
 1142年前の貞観地震の津波の様子…なんと、この度の津波と同じです。字面で感じてください。
陸奥国地大震動。流光如晝隠映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里。浩々不辧其涯俟矣。原野道路。惣為滄溟。乗船不湟。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。