「国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族も差別を受けた」として家族らが国に損害賠償を求めた訴訟。安倍晋三首相が、国の責任を認め、計約3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ、控訴しないと表明した。(2019年7月9日)
筆舌に尽くしがたい経験をした家族のご苦労。控訴しないとしたことはよかったです。
ハンセン病、私が子どもの頃は、「らい病」と呼ばれておりまして、「身体の変形を引き起こし障害が残る」怖ろしい病気と教えられておりました。「らい病患者」の写真を見せられ、「感染したくないものだ」と思っておりました。治療法が確立された現代では、完治する病気となっていますがね。
らい病は、「患者との接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するもの」。こ、これって、新型コロナウイルスと同じじゃないか?そんな訳で、今更ながら「らい病」を思い出したんですがね。
らい病といえば、「パピヨンでしょう」。意味が解らんって?映画のパピヨンなんですがね。(映画パピヨン1973年製作)
アンリ・シャリエール(無実の罪で13年間の刑務所生活を強いられた)の実話に基づく小説を、スティーブ・マックィーン、ダスティン・ホフマンの2大スターで映画化したもの。
ケチな金庫破りで捕まった男。その男は胸に蝶の刺青を入れていることから「パピヨン(蝶)」とあだ名されていた。パピヨンは仲間の裏切りで、幾つもの罪を着せられた末に終身刑の判決を受ける。この刑を受けた人間は、祖国フランスを追放される上に南米ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働が科せられるのだった…。パピヨンは脱獄を決意…。
このようなあらすじ。「実に、おもしろいです」。私が、「過去に観た最も印象深い映画は?」と、問われたら、真っ先に、「パピヨン」と言います。2番目は、「奇跡の詩」です。3番目以降は、たくさんあるので順位をつけるのは難しいですね。
パピヨンの、どこがそれほど印象的だったか?
逃亡中のパピヨンが、らい病患者の村に逃げ込んだ。らい病の村へは、さすがの追っ手も入ってこられない。しかし、村長の許しがなければ、一時的とはいえ、「らいの村」で過ごすことは出来なかった。村から追い出されると、追っ手に捕まってしまう。
村長は、もちろんらい病患者。パピヨンは村長の前でひざまずき、「かくまって」と、懇願した。村長は、茶碗の液体を飲み、その飲み残しをパピヨンに無言で渡した。
「らい病患者の私が、口をつけて飲み残したもの。これを飲めば、おまえに、『らい病』が伝染するぞ。さあ、これが飲めるか?飲めないか?それによって、おまえがここにいるのを許すか、はたまた追い出すかを決める」
村長は、このように考えていたと私は受け取りました。そして、自分(私)ならどうするか?瞬時に判断を迫られたような気持ちになりました。
飲めば「らい病」が、飲まなければ「監獄」が待っている。さあ、どうする?ぬくぬくと映画館の客席にいた私は、決断できずにおりました。
パピヨンは、飲みました。いや、最後の一滴まで飲み干したのです。
私の頭に、1トンの鉄の板が落ちてきました。村長が飲んだ茶碗のものを飲むとか、追っ手に捕まるかという問題ではなかったのです。「らい病に対し、差別、偏見があるのかないのか」という問題だったのです。
村長の病状は、同じ茶碗で飲んだ人へらい病を感染させないものだった。村長は、当然そのことを知っていたからパピヨンに、「飲め」と。
パピヨンの覚悟を確かめるために、飲ませようとした。村長を信頼すれば、「飲む」わけで…決断を放棄した私は、村長をらい病を感染させかねない人と思ったゲス野郎だった。人を信じることが出来ない自分。暫く落ち込みました。
そんなわけで、パピヨンは、凄い映画です。あれから、何年も経っているのに…らい病の村長と同じ茶碗で飲むシーンは忘れられません。
今の私は、らい病の人が口をつけて飲んだペットボトルの飲料を、口をつけて飲むことができぃ…ます。成長しなきゃあね。
パピヨン、おもしろい映画です。そう思う人は、私だけではなかったらしく、昨年秋、リメイク版が劇場公開されました。私もリメイク版を観たいのですが、映画館がある町までJR往復で4,650円かかるので…。
筆舌に尽くしがたい経験をした家族のご苦労。控訴しないとしたことはよかったです。
ハンセン病、私が子どもの頃は、「らい病」と呼ばれておりまして、「身体の変形を引き起こし障害が残る」怖ろしい病気と教えられておりました。「らい病患者」の写真を見せられ、「感染したくないものだ」と思っておりました。治療法が確立された現代では、完治する病気となっていますがね。
らい病は、「患者との接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するもの」。こ、これって、新型コロナウイルスと同じじゃないか?そんな訳で、今更ながら「らい病」を思い出したんですがね。
らい病といえば、「パピヨンでしょう」。意味が解らんって?映画のパピヨンなんですがね。(映画パピヨン1973年製作)
アンリ・シャリエール(無実の罪で13年間の刑務所生活を強いられた)の実話に基づく小説を、スティーブ・マックィーン、ダスティン・ホフマンの2大スターで映画化したもの。
ケチな金庫破りで捕まった男。その男は胸に蝶の刺青を入れていることから「パピヨン(蝶)」とあだ名されていた。パピヨンは仲間の裏切りで、幾つもの罪を着せられた末に終身刑の判決を受ける。この刑を受けた人間は、祖国フランスを追放される上に南米ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働が科せられるのだった…。パピヨンは脱獄を決意…。
このようなあらすじ。「実に、おもしろいです」。私が、「過去に観た最も印象深い映画は?」と、問われたら、真っ先に、「パピヨン」と言います。2番目は、「奇跡の詩」です。3番目以降は、たくさんあるので順位をつけるのは難しいですね。
パピヨンの、どこがそれほど印象的だったか?
逃亡中のパピヨンが、らい病患者の村に逃げ込んだ。らい病の村へは、さすがの追っ手も入ってこられない。しかし、村長の許しがなければ、一時的とはいえ、「らいの村」で過ごすことは出来なかった。村から追い出されると、追っ手に捕まってしまう。
村長は、もちろんらい病患者。パピヨンは村長の前でひざまずき、「かくまって」と、懇願した。村長は、茶碗の液体を飲み、その飲み残しをパピヨンに無言で渡した。
「らい病患者の私が、口をつけて飲み残したもの。これを飲めば、おまえに、『らい病』が伝染するぞ。さあ、これが飲めるか?飲めないか?それによって、おまえがここにいるのを許すか、はたまた追い出すかを決める」
村長は、このように考えていたと私は受け取りました。そして、自分(私)ならどうするか?瞬時に判断を迫られたような気持ちになりました。
飲めば「らい病」が、飲まなければ「監獄」が待っている。さあ、どうする?ぬくぬくと映画館の客席にいた私は、決断できずにおりました。
パピヨンは、飲みました。いや、最後の一滴まで飲み干したのです。
私の頭に、1トンの鉄の板が落ちてきました。村長が飲んだ茶碗のものを飲むとか、追っ手に捕まるかという問題ではなかったのです。「らい病に対し、差別、偏見があるのかないのか」という問題だったのです。
村長の病状は、同じ茶碗で飲んだ人へらい病を感染させないものだった。村長は、当然そのことを知っていたからパピヨンに、「飲め」と。
パピヨンの覚悟を確かめるために、飲ませようとした。村長を信頼すれば、「飲む」わけで…決断を放棄した私は、村長をらい病を感染させかねない人と思ったゲス野郎だった。人を信じることが出来ない自分。暫く落ち込みました。
そんなわけで、パピヨンは、凄い映画です。あれから、何年も経っているのに…らい病の村長と同じ茶碗で飲むシーンは忘れられません。
今の私は、らい病の人が口をつけて飲んだペットボトルの飲料を、口をつけて飲むことができぃ…ます。成長しなきゃあね。
パピヨン、おもしろい映画です。そう思う人は、私だけではなかったらしく、昨年秋、リメイク版が劇場公開されました。私もリメイク版を観たいのですが、映画館がある町までJR往復で4,650円かかるので…。