アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ナマハゲカンゲイ~なまはげ歓迎~

2020年03月11日 | Weblog
 国公立大学入試の合格発表が行われました。
 COVID-19の感染拡大防止のため、東大や京大の合格発表の学内掲示が中止になったという。これには驚きました。今なお、合格発表の学内掲示が続いていたとは!もう何十年も前になくなっていたと思っていました。合格発表は、インターネットだとばかり…。
 1970年代頃は、大学の入学試験の合否を電報で知らせることが流行していました。今では、「電報」を小学生に説明しても、首をかしげられます。「メールでいいじゃん?」と。
 合格電報、字数が増えるとお金がかかるので、大学にとって色々考えたのですが、有名なのは、合格の場合は「サクラサク」、不合格の場合は「サクラチル」。
 「それ、いいじゃん?」ということで、全国の大学は創意工夫し、「合格電報の独自の電文」を考案しました。

「クジラシオフク」
「イセエビタイリョウ」
「テンピョウノイラカカガヤク」
「オチャカオル」
「エルムハマネク」
 さて、これらの合格の電文、大学名は解りますか?おもしろ半分で取りあげられた時期がありましたから、知る人ぞ知る。

「クジラシオフク」・・・鯨が獲れるところだから和歌山大学でしょうって?ウーンサクラチルですねえ。正解は、高知大学でした。
「イセエビタイリョウ」・・・イセエビ漁獲高日本一は、いすみ市。よって、千葉大学だろうって?残念、サクラチルです!千葉大学って、千葉港があるので確かに海は近いが…イセエビは無理。正解は、三重大学。イセエビの漁獲高とは関係なくイセエビは、「伊勢海老」なもんで。
「テンピョウノイラカカガヤク」・・・「天平の甍」は、井上靖。井上靖は北海道の生まれだから…北海道大学か?それとも井上靖の出身大学の京都大学か?その回答、どちらもサクラチルゥ。「天平の甍」は、奈良でしょ!正解は、奈良教育大学。奈良教育大学には、「ダイブツヨロコブ オメデトウ(大仏喜ぶ おめでとう)」もありました。
「オチャカオル」・・・静岡大学!サクラチルゥ-。お茶の水女子大学でした。お茶の水女子大学の場合、補欠合格の電文もあって、「カオリマタヨシ(香り又良し)」。考案者は、頭がいい人だなあと感心します。おもしろがり屋ですね。
「エルムハマネク」・・・これは難解。エルムは「ハルニレ」。北海道大学が、エルムの森にあるということで、「エルム=北海道大学」みたいになっています。なお、北海道大学不合格の電文は、「ツガルカイキョウ ナミタカシ(津軽海峡 波高し)」今の時代、青函連絡船で北海道へやってくる受験生はいませんがね。だって、もう、運行していませんから。
 なぬ?「津軽海峡冬景色」も、いいんじゃないかて?そ、それは石川さゆりさんの許可が必要。

 笑えるのは秋田大学、「ナマハゲカンゲイ(なまはげ歓迎)」
 大阪大学歯学部もおもしろい。「ニュウシ ハエル(乳歯生える)」
 寂しすぎる不合格電文は、鳥取大学の「サキュウニユウヒシズム(砂丘に夕日沈
む)」。鹿児島大学の「サクラジマフハツ(桜島不発)」
 東京大学はさすがに韻を踏んでいる。合格は、「アカモンヒラク(赤門開く)」。不合格は、「イチョウチル(イチョウ散る)」

 キリがないので、もうおしまい。嗚呼、久しぶりに笑った笑った。
 なぬ?今日のこの文章、自分一人で楽しんで、何の主張も自慢も入っていないって?アハハ、密かに自慢を盛り込んであります。「イセエビ漁獲高日本一は、いすみ市」ということを、知っているってこと。あと、いすみ市は、「平成の大合併(2005年)で誕生した市。名前に平仮名を用いた市町村はいすみ市が初。「いすみ」って、どうゆう意味かって? 三町が合併したのですが、合併前の町に、「(夷隅郡)夷隅町(いすみちょう)」があったので…。
 実は、息子が4月から、「いすみ市民」になります。きっと、イセエビを食べさせてくれるでしょう。

自分を自慢できる力=生きる力

2020年03月10日 | Weblog
  35秒ほどの動画が、スマホに送られてきました。黒いタンクトップを着た、8歳の孫「快くん」がMCで、撮影者は、ママ(快くんと妹の杏ちゃんのママ)。
 動画の様子は…
 「おじいちゃんがくれた『風力歩行ロボット』、とうとう(組み立てが)完成しました。(動画→ウチワで懸命に扇いで、ロボットを歩かせている)おじいちゃんありがとう!」
 1月10日に1,160グラムで生まれ、2,500グラムに成長して退院した杏ちゃんに会いに行ったことは、数日前のブログに書きました。その時、杏ちゃんの兄の快くんに、お土産として、「風力歩行 ロボット 組み立てキット プラモデル」をプレゼント。 
 ※ オランダのキネティックアーティストで、物理学者のテオ・ヤンセンさんが製作した、風力で動く「ストランドビースト」の模型。2010年には日本で最初の「テオ・ヤンセン展」。昨年も日本各地で、ストランドビーストを歩かせております。で、私とテオ・ヤンセンさんには、深い縁がありまして、 生まれた、「年も月も日も」、全く同じなのです。これ、自慢のレパートリーにくわえたいけど、田舎在住なので「テオ・ヤンセン」を知る人が皆無。これじゃあ、自慢にならない。

 さてさて1月10日、快くんは、早速、「ストランドビーストの模型組み立て」を始めました。これが、なかなか手強い。数工程ほどでギブアップ。見ていた私自身「日本語で書かれた組み立て方の手順の意味がよく分からない(翻訳が下手)」。「これは、小学2年生には無理だったなぁ。私でも無理なんだからぁ…」と、箱に仕舞うのを手伝いました。そんな事をすっかり忘れていた、3月4日。
 「おじいちゃんがくれた『風力歩行ロボット』とうとう完成させたよ・・・!!」の動画が送られてきたわけ!およそ50日間にわたり、快くんは「組み立て続けた!」…動画の中で、ストランドビーストは、確かに歩いていた!これには、私も唖然、茫然でした。動画の中の快くんは、「成就感、達成感、満足感、効力感、自己有用感、自己肯定感」に浸った、素晴らしい表情を見せてくれました。実に、いい顔でした。太陽は、自分のために昇るんだ!そんな表情でした。

 ここまでが、前置きです。前置き長っ!
 N市で筑波大学名誉教授の方の講演があり、その夜、その名誉教授を囲んで「懇親会」がありました。参会者は50人ほど。余興がありまして、司会者が、「指名された人は、舞台に上がって『自慢話』をするように」と。
 なぬ?アンティークマンはいつも自慢ばかりしているから、ネタに事欠かないだろうって?あ、あのね、「年寄りの三種の神器」って、知ってますか? ①愚痴、②自慢、③説教の三つです。私は、「年寄りだぁ」と言われたくないので、自慢はしないようにしておりますからっ!

 で、懇親会終了後司会者に、「なぜ、自慢話なんですか?」と、質問しました。すると、明解な答えが返ってきました。
 N市の小中学生は、「子どもの幸福度の平均は、10点満点で7~8点」。これはいいのですが、「逆境を乗り越える力の平均点は、100点満点で60~70点」「自己評価・自己肯定感の平均は、30点満点で、13~16点」である。
 「主体性に欠ける」「指示待ち」「自分に自信がない」「自分はダメな子」…。このあたりを何とかしようと、学校(学級)によっては、朝の会で、「私の自慢コーナー」を設け、「自分の自慢を発表する」など、堂々と自慢できる子どもの育成に取り組んでいる。よって、大人の懇親会でも自慢してもらおうということで余興に取り入れたのだと。

 無理矢理考えた自慢であっても、その自慢をみんなの前で発表して拍手を受ける。この経験をした子は、「成就感・達成感・満足感・効力感・自己有用感、自己肯定感」に浸り、自分が好きになります。自分に自信がもてます。是非、「自慢発表」の試みを発展・展開させていただきたいものです。

 なぬ?結論はもう解ったから書かなくてもいいって?そうはいきません。
 快くんです。自分で50日間にわたって、ストランドビーストを作り上げた。動画を送ってくれたあと、電話もくれたのですが、「もの凄い自信になった」ことが、受話器から溢れ出ておりました。自分の努力で堂々と自慢できることを成し遂げた。自慢の孫です。おっと、自慢してしまいました。

敵か味方かの吟味

2020年03月09日 | Weblog
  1週間後には東京で桜が咲くそうです。行ってみたい桜の名所は多々あります。「白石川堤 一目千本桜」など、魅力的です。宮城県大河原町なのですが、「千本の桜が一目で見渡せる所」。
 今年も桜の時期に「やってくれる」と思うのですが…一目千本桜の大河原町の児童が花見客と対話し、自作の「栞」をプレゼントする。児童は、特別支援学級の児童たち。ただぁ、今年の場合、新型コロナウイルスという難敵が現れているので無理かなあ。

 児童たちは、初対面の花見客に憶さずに声をかける。花見客も、にこやかに応える。これって、千本桜を凌ぐ美しい風景ですよね。社会は、「こうでなければ」と思います。見知らぬ人へでも、暮らしの範囲の地域内(早い話が縄張り内)では、挨拶をする。

 私は、プール通い13年目に突入。週6日、1日1時間ほどのアクアウオーキング。1レーンだけのウオーキングコースですから、当然毎日見る顔がほぼ固定しております。殆どが女性です。その昔はピチピチギャルだったのでしょうが、今は、ピチピチおば様。「ピチピチではないだろう。シワシワの間違いじゃないか」って?いえいえ、水着姿がボンレスハムのようにぃ…ピッチピチ!

 私の信条は、「挨拶は、自分の方から、元気よく」です。親しくない人、年下の人へも、こちらから先に挨拶します。大河原町の児童と同じです。
 しかし、プールでは、こちらからは挨拶をしないようにしています。なぜなら、13年前この町に移り住みまして、プール通いを始めました…。プールのウオーキングコースで、すれ違う人(9割が女性、平均年令70歳ってとこかな)へ、にこやかに挨拶をしたところ、「知らない人なのに、挨拶してくる変な人」「親しげで気味が悪い」等の評価が耳に入りました。「この民度の低さは、なんなんだぁ!?」そんなふうに思われるなら、このプールでは自分からは挨拶をしないのが得策。それ以来、知らない人に対し、こちらから挨拶はしないようにしてきました。アクアウオーキング中は、わざわざ仏頂面をキープ。
 だけど、挨拶をしない暮らし…これは、つまらないです。寂しいものです。

 「挨拶は、自分の方から、元気よく」をモットーとしてきたきっかけは、米国暮らしのとき、(生活圏を歩くと)全く知らない人が、微笑み付で「こんにちは!」。ニューヨク市の五番街で、すれ違う人がいちいち挨拶してくれるということは有りませんので、念のため。生活圏じゃないですから。
 知らない人に挨拶されて気づいたのは、挨拶は、「敵なのか、味方なのかの確認」「私はあなたに敵意はありませんよ。味方ですよ!という意思表示」だということ。
ですから、見知らぬ人同士こそ、挨拶をするべきだと思います。

 私の経験上、印象に残っている「素晴らしい挨拶」ベスト3
1 阿蘇中学校の生徒さん・・・千葉県八千代市にも阿蘇中学校がありますが、こ の阿蘇中学校は、熊本県阿蘇市の阿蘇中学校です。見知らぬ旅人の私に、「今日 は!」の嵐です。それが、ごくごく自然に出てくる。感動しましたよ。
2 駒大苫小牧高校野球部・・・現在、NYヤンキーズにいる「マー君」が高校3 年の時、駒大苫小牧高校野球部の練習を観に行きました。100名以上もいる野 球部員の2割ほどが、わざわざ私に挨拶に来てくれました。他の見学者の所へは 行かないのになぜ?スーツを来て、セビルローのネクタイをしていたので、「プ ロ野球球団の関係者」だと勘違いされた様子。そうだよねぇ、練習の見物にスー ツを着て行く人ってぇ…あまりいないかも。
3 大河原小学校の特別支援学級の子・・・実際に観てはおりませんが、さぞ素晴 らしい挨拶なのだろうなと想像できます。

 他の人の挨拶に感心していないで、プールでも、「挨拶は自分の方から元気よく」を再開すればいいだろうって?13年前のピッチピチと顔ぶれも変わっているからぁ…挨拶を再開しようかな。

「ノー原稿」でプロポーズ

2020年03月08日 | Weblog
トヨタ自動車の豊田章男社長、自らCMにも出演しておられる。ウエズリー(ボストン郊外)の大学でMBAを取得したのは知っていましたが、「国際C級ライセンス」を持っていたとは!文武両道のお坊ちゃま…。御本人は、「お坊ちゃまじゃないっ!超お坊ちゃま!」と。超お坊ちゃまは、「人に上下の区別をつけず、興味を持ったら相手の生まれや地位にかかわらずに心を開いて接します」とのこと。これって、福沢諭吉の「学問のススメ」の冒頭部分。そういえば、豊田章男社長は、福沢諭吉が創立した慶應義塾大学の出身でした。

 ハゲにも色々ありまして、私の場合は正面から見ると、「黒髪で七三分け」の普通のオジサン。後ろから見ると頭頂部付近に直径15センチメートルほどの円形の不毛地帯がある。詐欺だなあと思います。前から見たら普通の髪、後ろは白光りするほどのハゲ。詐欺だぁ。
 ソフトバンクの孫正義社長の場合は、正面から見ると「ハゲ上がって」います。良く言うと、「額が広い」。後ろから見ると、普通のオジサン。詐欺じゃないですねこれ。孫社長は、ご自身の広い額、早い話がハゲについて名言を吐いています。
 「髪が、私のスピードに追いつけないのです」
 これ、素晴らしいです。業界のトップを突っ走っているので、その速さに髪がついて行けず前髪が後退していく…!自虐を入れないのがいいです。

 故盛田昭夫さん(ソニーの創立者の一人)は、ノー原稿でスピーチをするのが常だったそう。米国でも、通訳をつけずに、英語でスピーチしていた。そこで米人記者が尋ねた、
 「どうしてあなたはノー原稿で、すばらしく情熱的な話ができるのか?」
 その時、盛田さんは、記者が結婚していることを確認してから、
 「きみは、プロポーズしたとき原稿を見ながらしたかぁ?人の心を打つためには、原稿を読んじゃあだめだろう」
 これは、おおいに納得するいい話です。私は脳の萎縮で暗記が出来ないから、ノー原稿は無理。必然的に「原稿読み上げ派」です。「人の心を打たない」んだよねぇ、私の話は。

 私には名言の持ち合わせはないのですが、座右の銘はあります。
 「生きてるだけで儲けもの」・・・ウ~ン、夢がないかな
 「裸にて生まれてきたに何不足」・・・ウ~ン、欲がないね
 「だめで元々」・・・夢も希望もない。あきらめの負け惜しみ
 なぬ?こんな座右の銘なら、「超老人だろう」って?後退ばかりで…髪を置き去りにして前進するスピードがないって?
 はいはい、なんでこのような座右の銘にしているか?答えは、「短いフレーズだから」。短いと、ノー原稿で言えるもんでぇ…。

学校休業でも食事は休業させないで

2020年03月07日 | Weblog
日本中の90%の小中高校が休業しております。それに伴い問題点が噴出しています。急な話なので、問題だらけは当然。
 で、その問題の中に、「子どもたちの食事」が。「学校が休みなので、給食がない。子どもの食事をどうしたらいいの?」という保護者。テレビのコメンテーターの「子どもたちの食事の専門家(そういう専門家がおられたとは!)」は、「学校給食だけがまともな食事という子がたくさんおります。学校がお休みということは、食事がとれないということを意味しているのですよっ!(←だからなんなんだ?何を言おうとしているのかは不明ですが、日頃子どもにまともなものを食べさせていない保護者が少なくないということだけは伝わる)」

 朝食を食べさせてもらえない子の話を聴く度、落合恵子さんの、「スプーン一杯の幸せ」を思いだします。
 「コロナウイルス関連の食事問題から、わんずまざー保育園のスプーン1杯の副食」を思い出したんじゃないのかって?確かに、確かに。「わんずまざー保育園」の時も、「あっ、落合恵子さんだな」と、思いましたけどね。あのときは、日本中の、60~70歳の人たちは、こぞって「スプーン一杯」を、思い出したのではないでしょうか。それほど落合恵子は凄い影響力を持っていたって事でしょうねえ。

 今日の本題に入る前に・・・3年前の話ですが、「わんずまざー保育園」は、ひどかったねぇ!
 「定員水増し+ありえない食事」姫路市が認めた正規定員46人とは別に22人を内緒で受け入れていた。その22人については、一人あたり、「月額2万~4万円の利用料を徴収」していた。その丸儲け分は、誰の懐に入ったの?
 給食は…約70人の園児に提供しなければならないのに、「30~40人分」しか作らなかった。だから、園児によっては、副食が、「スプーン一杯分ほどのカレー」だった。いくら保育園児でも、「スプーン一杯」は、ないでしょう!これを虐待といわずになんという!

 本題に入ります。相変わらず前置きが長い。「おぎゃー」と、生まれた人間は、やがて土に還って行くのですが、乳幼児時代の1番の「欲」は、「食欲」です。なぬ?「愛情を得たいという欲もあるだろう」って?
 あ、あのね、そういう面倒なことは言わないでっ!
 マズローの欲求の5段階の3番目に、「愛情欲求」がありますが、私は1番目のことを言いたいのです。よってマズローさんも、1番目は、「生理的欲求(早い話が、食欲)」としていますから、ここはクリティカルを、「抑えて、抑えて」。
 齢を重ねると、この欲求というモノが片っ端から減退していきます。そして、最後に残る欲求が、子どもに還って「食欲」なのです。それって、自分のことだろうって?は、話しの腰を折らないでっ!

 老人の場合、「自己責任で食べるでしょうから、かまわなくていい」。しかし、赤ちゃんから小学校中学年ぐらいまでは、「保護者が責任を持って沢山食べさせましょうよ!」。これ、ホントォ、お願いしますよ。これが本日の結論ですが、私がここでお願いしても、改善されるはずがないことぐらい解ってますけどね。
 3歳の子の朝食が、プリッツ1本は少ないでしょう!
 小2の子が、昨晩の夕食と、今朝の朝食が抜きってのもおかしいでしょう!2食連続抜きですよ!
 小5の子が、チョコレートをひとかけら食べて登校ってのもおかしいでしょう! 朝食代わりにアメ1個もおかしいでしょう!これら、私が聴取した実際の話なのですよ。
 保育園の昼食の副食が「スプーン一杯だけの分量のカレー」…言語道断。園児達は、スプーンがすり減るほど舐めていたと思いますよ。
 混ぜっ返すようですが、落合恵子さんの作品に、「匙をくわえた天使たち(匙をスプーンと読ませる)」がありました。

 なぬ?落合さんはどうして若いうちから、作品のタイトルに「スプーン一杯や匙をくわえた…」を使ったのかって?
 推測ですが、有名私大を卒業していますから金銭的には問題ない家庭で育ったようです。しかし、環境面が複雑だったようです。寂しい思いをされたことがあったのではないでしょうか。(落合さんは、帯広畜産大学を志望していました。環境面で色々ありまして、結局、明治大学文学部英文学科に)
 …その原風景にあったのが、「スプーン(匙)」だった…。(←推測にもなっていない)

 校長先生のお話とか、PTA会長のお話には、決まって、「朝ご飯をしっかり食べましょう」というくだりがあります。その言葉を聴いて「そんなこといわないでよ。我が家では朝ご飯を食べられないんだよぉ」と、悲しむ子がいるのです。
 朝食、幼少の子にとって、保護者が用意してくれなきゃ、食べたくても食べられないんですよ・・・!子どもには食事を・・・。

赤ちゃんは善悪を見抜く

2020年03月06日 | Weblog
 5人目の孫である杏ちゃんがもうすぐ5か月となります。(女の子。2019年10月23日 聖隷浜松病院で生まれました)。
 体重が1,160グラム。新生児の平均体重は、「2,980グラム」ですから、杏ちゃんは三分の一ってこと。しかし、私どもの心配をよそに、杏ちゃんは、78日間、保育器の中でそれはそれは頑張りました。体重が2,500グラムを超えたので、1月9日に退院。
 退院翌日の1月10日、はるばる杏ちゃんに会いに行きました。生後2か月半なのに、杏ちゃんは笑ってくれました。
 なぬ?顔面の筋肉の収縮で、笑ったように見えただけだって?そんな、育児書にあるようなことを言わないでください。2か月半でも、笑います!
 根拠ですかぁ?…書名などは覚えておりませんが、数年前に読んだ本に、「赤ちゃんは我々が予想した以上に主体的であり、感覚・記憶・理解・推測など多くの能力を持って生まれてくることが明らかになった」と、書いてありました。私は、この研究結果に「やはり!」と。大いに頷きました。
 野生の動物って、産み落とされたらすぐに立ち上がりますよね。ヒトの赤ちゃんは、立ち上がるまでに1年近くもかかる。ここだけを比較したら、野生の方がヒトより優れているぅ…ともいえる。私としましては、ヒトのほうが優れているはず…どこが?何が?自問自答しておりました。そこへ持ってきての、「感覚・記憶・理解・推測など多くの能力を持って生まれてきている」我が意を得たり!肯首しきり!

 杏ちゃんは、1,160グラムながら、保育器の中で鼻から栄養を送られながら考えていました。「嗚呼、早くここから出たいなあ」「あっ!ママが授乳に来てくれた」「夜は、私一人でここで寝るのね寂しいなあ」「朝になったら、またママ来てくれるね、きっと」「今日は、パパも来てくれた」「お兄ちゃんは、来ないなあ?あっそうか!感染予防のため、子どもはこの部屋に入ることが禁止されているんだ(←これは、多分考えなかったと思う)」・・・すべて見通していたはずです。

 1月10日、初対面の杏ちゃんは私を見て…「あれっ?ほかのオジサンとは何か違うものを感じる。私のおじいちゃんなんだな。おじいちゃんに会えて嬉しいな。ニコッ」と、いうわけで、笑ってくれたのです。利他的行為です。奥さんは行かなかったのかって?もちろんカミサンも行きました。カミサンにも、「ニコッ!」でした。生まれてすぐに利他性を発揮してくれる。

 えっ?2,500グラムが笑うなんて信じない?では次の事は信じますかな?
◎アンシンジラブルその1:赤ちゃんは困っている人を助けようとする
◎アンシンジラブルその2:赤ちゃんは、人の行為の善悪を判断できる
 これら2例とも実験で証明されている、本当のことです。
 人を助けようとするほうは、ドイツのライプツィヒに、マックス・プランク進化人類学研究所という世界的に有名な研究所があるのですが、その研究所の実験で証明されています。この研究所の所長さんは、マイケル・トマセロ博士。トマセロ博士は、認知心理学者。米国出身。
 善悪の判断のほうは、イェール大学のポール・ブルーム教授(発達心理学・社会的推論・道徳心理学の世界的権威)が証明しています。

 まだ信じないって?マイケル・トマセロ博士やポール・ブルーム教授について調べてみてください。どのような実験をしたかが解るので否応なしに信じると思いますがね。目から大皿のようなウロコが、バンバン落ちますよ。

 困っている人を助けようとする。善悪の判断を正しく出来る… 献身的 ・ 自己犠牲 ・ 自分の利益を顧みない ・ 他人を重視する …一つにまとめて 「利他的」と、しますか。
 全ての赤ちゃんは、「利他性」を持っています。こう書くと、「ハッ!そういえば…」と、気づかれる方もおられるでしょう。子育て経験者なら、誰しもが感じたことがあるのではないでしょうか。「困っている人がいたら助ける」「行為の善悪が解る」そういう力を持っている。この利他性、その欠片も見せることなどないまま生涯を終える人だっておられる。マスクを転売したり、アルコール消毒液を盗んだり…。日本人として情けなくなるほど「犯罪者」が続々。そういう人たちだって、赤ちゃんの時には利他性をもっていたのに…。善悪の判断が出来ていたのに…。
 (成長しながら)利他性を花開かせることができるか否かは、家庭であり、社会全体。玉は、磨かなければ光らない。
 杏ちゃんの場合、1,160グラムからの出発。杏ちゃんの3倍近い、2,980グラムが平均の同期生たち。杏ちゃんは、同期生の後塵を拝しながらのスタート。苦労しているだけに、利他性を大いに発揮しながら生きてくれるでしょう。


命の尊厳、駄菓子に負ける

2020年03月04日 | Weblog
入院で同室の徳田さん。仕切りのカーテン越しに、いやでも耳に入ってくる声と音。暗澹たる気持ちになります。
 年の頃は、75~80歳。私はそう見たが、看護師さんに生年月日を尋ねられると、「昭和39年・・・」と!看護師は、「57歳ですね」と念を押しました。この二人、漫才のつもりか!と思いました。実年齢よりも20歳も老けて見えるなんて?
 どこが悪くて入院しているかは不明ですが耳に入ってくる情報は…あのぉ、盗み聞きではありませんから念の為。聞こえるんだからしょうがない。
1 透析センターに入院していたが、なんらかの病気の治療で市立病  院の泌尿器科に転院。退院後は、透析センターへ戻る。
2 患部は不明だが、内出血が日々広がっている。
3 毎日足を洗ってもらい、両足小指の治療をしてもらっている。
4 「痛いぃ、痛いぃ」と呻くことがある。
5 水分は、1日500mlと決められている。
6 出された食事以外は、食べないように再三言われている。

 さてさて、どの辺が暗澹たる気持ちにさせられるか?
 「水」です。看護師の目がないときは、うまそうに水(コーヒー、ジュースの類いなのかもしれない)を飲む。500ml?いえいえ、1000ml超ですよっ!病気治療のための水分制限でしょ!守らないでどーすんの?自分の命を…。
 食べるものにも呆れます。
 間食の常習者であることを先刻ご承知の看護師さん:徳田さん、お菓子買ってきて食べないでねっ!
 徳田さん:はいっ! …これがまた立派な、いい返事なのです。
 看護師が出て行くやいなや、「ボリボリ」と食べ始める。

 私は、彼に注意すべきであろうか?
 「ごくごく、はぁーっ(何かを飲んでいる音)」の度にカーテンを開けて、「こらっ、徳田!おまえ、また飲んでるなっ。自分の命をなんだと思ってんだ!」と、怒鳴りつけたくなる。
 ボリボリと音がし出したので、トイレへ行くふりをしてカーテンの隙間から覗いてみたら、袋菓子のほかにヨーグルトとチーズもテーブルに載っていた。健康を気遣い、発酵食品も摂取するようにしていることがうかがえる。えっ?感心するところじゃないって?そうだね。

 {飲むな、食べるな」と、注意して逆恨みされ、就寝中に絞められちゃあたまらない。見かけは80歳近いが、実際は57歳。お菓子を食べているから力はありそう。彼の命は大切だが、私の命も大切。
 この期に及んで、生命の尊厳ということについての思いをめぐらす能力に欠けていた弱年どきの浅はかさを恥じています・・・。(←急に真面目だなって?本心です。この文、なかなかいいでしょう!)

お名前をどうぞ

2020年03月03日 | Weblog
 はからずも、蜂窩織炎(ほうかしきえん)で入院。
 どんな病気かって?皮膚とその下の脂肪膜の間に良くない菌(溶連菌、黄色ブドウ球菌、白癬菌など)が入って炎症を起こす。私の場合は、足の甲の上と、その上方(脛)にソフトボール大のレッドマンゴーを2個くっつけたような状態となり、激痛で歩行困難。熱は37度4分~7分。脹ら脛(ふくらはぎ)まで、パンパンに腫れていた。

 閑話休題、入院中、「本人確認」が繰り返されます。患者を取り違えちゃあ一大事。それは、わかる。だけど、かなり杜撰かつ滑稽。
 外来患者で、顔と名前が一致していないなら、「本人確認」は、もちろん必須。だけど、1週間以上も入院している患者に、「お名前をどうぞ」…これって、おかしいでしょっ!儀式かっ?

 食事の配膳の時、
看護師 :「斉藤さんお食事ですよーっ」
斎藤さん:「あっ、どうも」
看護師 :「斉藤さん!お名前をどうぞ」
斎藤さん:「斉藤です」
 滑稽でしょ!これ、本当の話ですよ。

 患者に名前を言わせるのは、「本人確認じゃなかった」んだぁ!?と、思ったことがありました。どんな会話があったかって…
看護師 :「徳田さん、お名前を言えますか?」
徳田さん:「と、徳田秀一」

 つまり…
① 「耳がきこえるか(難聴検査)」
② 「自分の名前をおぼえているか(認知症の検査)」
③ 「発声できるか(発声器官検査)」
 を調べるためのものであった…。んなわけないね。


極夜行

2020年03月03日 | Weblog
「極夜行」。タイトルをみて「なんなんだろう?」。内容が想像できませんでした。
 夜行列車の極みなのか?「極夜」という夜ってどんな夜?極夜があるのであれば、「極朝」も「極昼」もあるんじゃないか?でも、聞いたことがない。
 急な入院だったので、カミサンが自分が読みかけの本を手渡してくれたんですけどね。それが、「極夜行」。
 本の帯には、「・・・太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命がけで体感した探検家の記録」と。角幡唯介(かくはたゆうすけ)さんのノンフィクション小説。

 読後感ですか?「凄かった」につきます。まず、出てくる単語(固有名詞も含めて)が「難しい」ものばかり。長く生きてきて、一端のもののわかった大人のつもりでおりましたが、わかっているものがいかに狭小か、いや、いかに超狭小かを思い知らされました。

 最も印象に残っているのは、イヌイットが定住していた地域の最後の住人で、アイダーダック(毛綿鴨)と、呼ばれた男の話。(ラムッセンの本に載っているという)
 アイダーダックは、妻への執拗なハラスメントをする男から逃れるため、一家で、北の土地へ移住することにした。北極圏の北って?!これだけでも凄い。
 旅の途中でアイダーダック一家は、深刻な不猟、それに伴う飢餓に襲われた。1917年より前の話ですから、狩猟で食料を調達しながらの旅で、獲物がなければ飢え死にするしかない。当時のイヌイット社会では、飢餓が発生したときに最初に犠牲になるのは子どもたちだったという。
 アイダーダック夫妻は、まず愛する子どもたちを途中で通過する空き家に次々と閉じ込め…生きたまま置き去りにして、出られないよう岩で封鎖した。岩は巨大で子どもの力では動かせない。事実上の生き埋め。一人また一人と彼らは愛する我が子を生き埋めにしていった。もっともかわいがっていた最後の一人の子も、極限状態の飢餓のため橇(そり)から放り投げて殺害しなければならなかった。
 「もういい、もういい、もう聞きたくない」という声が聞こえるようですが、もう少しですから。
 夫妻は生き延び、わりと多くの人が楽しく幸せに暮らせる土地に到着した。その土地では、飢餓の恐怖とは無縁で暮らせるのだが、夫妻はさらに北を目指した。アウンナット(グリーンランド北西部のツンドラ地帯にある。海に面している)に到着した夫妻は、そこで修道院のような世間と隔絶された暮らしをしていた。
 何年か後、彼らを訪れた人によって、「死体」で、発見された。貯蔵庫には、十分な量の肉が残っていた。
 アイダーダック夫妻は、我が子を殺した罪業に懊悩(おうのう)し、その苦悶に耐えられず子どもたちのあとを追って餓死する道を選んだのであろうか。

 この話、いつまでも私の脳裏から消えないだろうなあ。「極限」に直面したとき人間は、どんな行動をとるのか…