徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

ふきのとう やさしさとして思い出として

2009-05-10 23:41:32 | 本・映画・音楽
懐かしのメロディシリーズ
大好きだった「ふきのとう」とは本当は言えないか。
この「やさしさとして思い出として」しか知らないから。
さらに、なぜこの曲が好きだったかも、
今となっては思い出せない。




ふきのとう
出典:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より

・1972年 北海学園大学にて山木康世と細坪基佳らがマッド・スライド・スリムを結成。
・1972年 山木康世と細坪基佳の二人でふきのとうの前身である、メロディーを結成。
・1972年 NHK札幌放送局TV出演、ふきのとうと名乗る。
・1973年 コンテストに多数出場し、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテストにて
 ♪夕暮れの街 で北海道大会入賞。1974年に♪白い冬 でデビュー。
 以後 ♪初夏 ♪風来坊 ♪思い出通り雨 ♪流星ワルツ ♪春雷
 ♪やさしさとして想い出として などがヒット。
・全国コンサートツアーをコンスタントに続け、1978年には年間250本のコンサートを行った。
・二人共に作詞・作曲をしリードボーカルもとるが、
 シングルでは山木が作った歌を細坪が歌うパターンが多い。
 特徴的なのはそのハーモニーで、細坪が歌う高音の主旋律に、
 山木が6度下の低音のハーモニーをつけるというもの。
 声質も似てはおらず音階に開きがあるので、かなり不思議なハーモニーに聞こえるが、
 これは本来3度上になるはずのハーモニーを1オクターブ下げたもので、間違いではない。
 このようなハモりになった理由は、両者の声域の違い(細坪は極端に高く、山木は低い)
 によるものと思われる。
 これは、他のグループには見られないふきのとう独自のスタイルになっていた。
・1970年-80年代は、「フォークソング」と「ニューミュージック」が混在していた時期。
 その中で「ふきのとう」は、数少ない「情景派」として着実に成長を遂げる。
 山木が曲を作り、細坪が歌い上げ、山木がハーモニーで味付けをするというのは、
 解散まで(特に山木が)こだわったデュオとしてのスタイルだ。
・♪白い冬 以降、ヒットが出ないことで一時は解散の危機がささやかれ、
 アルバム「水車」の頃には遂に♪美しく燃えて という曲がシングルカット
 (細坪作曲の曲を細坪が歌いシングルカットされた)。
 しかし細坪は後日、音楽雑誌のインタビューで当時を
 「山木さんの方がいい曲を書いていると納得した」と語り、解散の危機を脱する。
 「いい曲を作り、いいレコードを作り、それを聞いてくれる人のところで歌いたい」
 という彼らの思いはそこで再び結束を増し、
 ♪風来坊 ♪春雷という大ヒット曲を生むまでに至る。
・イントロが流れるだけで、リスナーを曲の世界に引きずり込んでしまう細坪。
 それに対して仕事や散歩の合間にちょっとしたいいことがあったときに
 ついつい口に出てしまう山木の楽曲は、アルバム制作を重ねる中で進化と融合を繰り返し、
 ♪風来坊 ♪想い出通り雨 ♪人生・春・横断 がグループの大きなピークとなった。
  
そうか、
これを読むまで、ふきのとうがポプコン関係と忘れていました。
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もとまろ サルビアの花

2009-05-10 15:26:29 | 本・映画・音楽
コッキーポップつながりでもう1曲。
初めてお小遣いで買ったレコードの話は前に書いたが。
2枚目はこの「サルビアの花」だった気がする。
とにかく、私の青春は、
オールジャパンポップス20とコッキーポップだった。
基本的にバラード系が好きな私。
この曲も大好きだった。

この曲はジャックス(早川義夫さんを中心としたバンドだった)の早川さんが作った曲である。

もとまろは青山学院大と短大に在学中の3人の女子大生のグループで、この作品は1971年のヤマハポプコンの第3回作曲コンクールに入賞しているそうだ。さらにこの作品がヒットしたときにはすでにこのグループは解散していたとのことらしい。

http://www.youtube.com/watch?v=sHKsx8C_AEs
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懐かしのウィッシュ (DAIGOではありません)

2009-05-10 14:20:46 | 本・映画・音楽
先日も少しふれたコッキーポップネタ。
中学生時代に私の心のよりどころだった、ラジオ番組。
コッキーポップはメジャーな人もそうでない人も、
玉石混合だったが、とにかく素敵な歌を流してくれた。
その中の二人組ウィッシュ。
もう知っている人はごくわずか。
いつの間にかいなくなってしまった。
二人組の個人の名前も知らなかったが、
今日、二人が姉妹だったことを知った。
一人の方のHPも見つけた。

プロフィールを見れば、

沢れい子プロフィール 

1950年 福岡生まれ 両親の影響を受けて幼少の頃より音楽に親しむ。西南学院大学入学後、福岡で幅広く活動していたアマチュアグループ「フォークメイツ」に参加。チューリップ・海援隊などと親交を深める。
この頃、母・妹と共にTV番組「家族そろって歌合戦」に出場。九州大会優勝、全国大会2位となる。
1971年 妹幸子とデュオ「Wish」を結成しオリジナルソングを創りはじめ数々のコンテストに出場。この頃、吉田拓郎からプロへの誘いがあるが断り、ヤマハの主催するライトミュージックコンテスト、ポピュラーミュージックコンテストの入賞を機に上京。
1972年 自作曲「御案内」でワーナーパイオニアからデビュー。TV、ラジオに出演する傍らコンサート活動を行い4枚のシングルと2枚のLPをリリース後解散。
妹幸子の帰福後、一人東京に残りラジオのパーソナリティー、司会、ボイストレーナーなどの仕事を始める。
1975年 結婚、一男一女の母となりその後夫の転勤に伴い浜松移転、英語教師を職業とするが、名古屋へ転勤後再びボーカル講師として活動をはじめる。
現在、ヤマハPMSボーカル、ゴスペル、アカペラ講師として約150名の生徒を指導する傍ら年一回のクリスマスライブなどコンサート活動も続ける。

YOU TUBEにも当時の私が大好きだった曲。
「私が昔好きだった人」があるが、
貼り付けが無効となっているのでご披露できないのが残念。

しょうがないのでURLだけ貼りますが・・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=9oyRyd3y7m4

ついでにもう一つ好きだった曲。

愛色の季節。
マイナーな曲だから知らない人の方が多いとは思うが。

http://www.youtube.com/watch?v=ULi0a-GHED8
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タツタの身長

2009-05-10 13:54:45 | 私・家族・我が家・親戚
先月、中学進学とともに、
期初の身体測定があったようだ。
タツタは162㎝位と聞いた気がする。

私は現在  171㎝?
奥さまは  163㎝?
ツインNは 159㎝?
ツインAは 162㎝?

記憶で書いているので違うかも。
ちなみに私は中学2年の時に167㎝あった。
なぜ覚えているかと言うと、
私の走り高跳びの生涯自己最高記録を中2の時に出したが、
それが176㎝。
自分の頭上9センチを超えた記録だったから。
多分今年中にタツタに背は越されるのではないだろうか?
親としては嬉しい瞬間であり、
待ち望んでいるのだが。
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