プリプリが好きだった兄貴。
2004年?6月に肺がんで亡くなった。
その多分3年前。
私が横浜に住んでいた時、突然兄貴から電話があった。
実は会社の健診で肺に影があると言われ、
精密検査をした結果、
肺がんだったというような内容だった。
コンコン咳をしながらも、
明るく連絡してきた兄貴。
「俺はさあ、なんとなく治るような気がするんだ」
そう言っていた兄貴。
翌週、病院へお見舞いに行くと、
その時点では本当に元気で明るかった。
実は灰がもう真っ白?がんのステージは4?
末期に近かった。
それでもがんに打ち勝つと言いきった兄貴。
当時流行っていたイレッサを使い、
副作用で何人も亡くなる人を尻目に、
兄貴にはこれが劇的に効き、一時期は本当に良くなり、
会社にも復帰できたのに・・・・
その後、再発。
脳、背骨、肝臓その他へ転移。
最後はモルヒネのお世話になりながら旅立った。
それでも、気持でがんに負けなかった兄貴は私の誇りであり、
朦朧とした意識の中でも、
家族の事や私やお袋の心配をしていた兄貴。
私もそうありたいと思っている。
2004年?6月に肺がんで亡くなった。
その多分3年前。
私が横浜に住んでいた時、突然兄貴から電話があった。
実は会社の健診で肺に影があると言われ、
精密検査をした結果、
肺がんだったというような内容だった。
コンコン咳をしながらも、
明るく連絡してきた兄貴。
「俺はさあ、なんとなく治るような気がするんだ」
そう言っていた兄貴。
翌週、病院へお見舞いに行くと、
その時点では本当に元気で明るかった。
実は灰がもう真っ白?がんのステージは4?
末期に近かった。
それでもがんに打ち勝つと言いきった兄貴。
当時流行っていたイレッサを使い、
副作用で何人も亡くなる人を尻目に、
兄貴にはこれが劇的に効き、一時期は本当に良くなり、
会社にも復帰できたのに・・・・
その後、再発。
脳、背骨、肝臓その他へ転移。
最後はモルヒネのお世話になりながら旅立った。
それでも、気持でがんに負けなかった兄貴は私の誇りであり、
朦朧とした意識の中でも、
家族の事や私やお袋の心配をしていた兄貴。
私もそうありたいと思っている。