巷では甲子園の高校野球真っ盛り。静岡県代表の静岡高校は残念ながら2日目に初戦で散った。
静高はもちろん素晴らしいチームであり、県予選を頑張ったから代表となったが、
しかし、甲子園で上位に行けるまでには至らなかった。
さて、私の中ではサッカーに比べて野球の地位は極めて低く、今年はまだ1試合も見ていない。
直前のなでしこジャパンのインパクトが強すぎたのもあるが。
さて、愛知代表に「至学館高校」がある。もともとは女子高。平成17年に共学となり今年甲子園初出場。
効果がJ-POP見たいと評判の高校。YOU TUBEから拾ってきた校歌がこれ。
ウィキペディアによれば、
1905年(明治38年):中京裁縫女学校として創立。
1914年(大正3年):中京裁縫女学校高等師範科を併設。
1921年(大正10年):中京高等女学校を併設。
1944年(昭和19年):中京裁縫女学校を中京実業学校に改称。
1947年(昭和22年):中京女子中学校(新制)を開設。
1948年(昭和23年):中京女子高等学校(新制)を開設。
1967年(昭和42年):中京女子高等学校に商業科を開設。
1977年(昭和52年):中京女子高等学校が現在地に移転。
1978年(昭和53年):中京女子大学附属高等学校に改称。中京女子中学校及び中京女子高等学校定時制廃止。
2005年(平成17年):中京女子大学附属高等学校をに改称。男女共学化。
2011年(平成23年):野球部が第93回全国高等学校野球選手権大会に愛知県代表として初出場
こんな校歌もいいんじゃないかというお話。
(歌詞)
一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ
一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった
海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた
夢を追い続けた そしてここまで来た でもどうしてかな 熱い涙が止まらない
うつむきかけた時 君の顔が見えた 差し出された白い腕が 翼に見えた
いろんなことを経験したね あんまり先を急がないでね
いろんな人に巡り会えたね そんな旅なら悪くはないさ
オリンポスの丘の上から 女神様の歌が聞こえた
夢を追い続ける もっと遠くへ行く でもどうしてかな いつもみんなにいて欲しい
一番星よりも夏の星座が好き 君がいれば夜を越えて銀河になれる
君がいれば夜を越えて銀河になれる 君がいれば夜を越えて銀河になれる
『夢追い人』(ゆめおいびと)[1]は、同高校の校歌である。作詞作曲は中日新聞論説委員の飯尾歩[2]。監修は至学館大学学長の谷岡郁子[3]。歌っているのは清本りつ子[4]。
校歌としては珍しくフォークソング調[5]・ポップ調[2]の旋律である。歌詞も「カシオペア」「オリンポス」といった横文字を交えた現代的な言葉遣いで[5]書かれており、歌詞中には「至学館」の校名が一切出てこない[2]。
本来は校歌として制作されたものではなく、飯尾が取材を通じて交流のあった女子レスリングの伊調姉妹(伊調千春・伊調馨)と吉田沙保里が、2004年のアテネオリンピックでメダルを獲得したことを祝して制作されたものだった。その後2005年、中京女子大学付属高等学校が共学化する際、校歌が良妻賢母を基調にした歌詞だったため、共学校にふさわしいものをと模索していたところ、先述の選手が至学館大学(中京女子大学)出身だったことなどが契機となり、この曲が高校関係者の目に留まり、同曲を校歌にすることを決めている[5]。
歌詞のベースは、銀メダルに終わり失意のうちにあった伊調千春を、同じくバレーボールでオリンピックを目指しながらも怪我で断念・引退せざるを得なくなった親友から励まされて、再びレスリングを始めることを決意するというエピソードから。飯尾は、周りで支えてくれる人の大切さを込めたかったと語っている[5]。
静高はもちろん素晴らしいチームであり、県予選を頑張ったから代表となったが、
しかし、甲子園で上位に行けるまでには至らなかった。
さて、私の中ではサッカーに比べて野球の地位は極めて低く、今年はまだ1試合も見ていない。
直前のなでしこジャパンのインパクトが強すぎたのもあるが。
さて、愛知代表に「至学館高校」がある。もともとは女子高。平成17年に共学となり今年甲子園初出場。
効果がJ-POP見たいと評判の高校。YOU TUBEから拾ってきた校歌がこれ。
ウィキペディアによれば、
1905年(明治38年):中京裁縫女学校として創立。
1914年(大正3年):中京裁縫女学校高等師範科を併設。
1921年(大正10年):中京高等女学校を併設。
1944年(昭和19年):中京裁縫女学校を中京実業学校に改称。
1947年(昭和22年):中京女子中学校(新制)を開設。
1948年(昭和23年):中京女子高等学校(新制)を開設。
1967年(昭和42年):中京女子高等学校に商業科を開設。
1977年(昭和52年):中京女子高等学校が現在地に移転。
1978年(昭和53年):中京女子大学附属高等学校に改称。中京女子中学校及び中京女子高等学校定時制廃止。
2005年(平成17年):中京女子大学附属高等学校をに改称。男女共学化。
2011年(平成23年):野球部が第93回全国高等学校野球選手権大会に愛知県代表として初出場
こんな校歌もいいんじゃないかというお話。
(歌詞)
一番高い所に登って 一番光る星を掴んだ
一番辛い道を選んで 一番強い心をまとった
海を渡る風が吹いた カシオペアが近くに見えた
夢を追い続けた そしてここまで来た でもどうしてかな 熱い涙が止まらない
うつむきかけた時 君の顔が見えた 差し出された白い腕が 翼に見えた
いろんなことを経験したね あんまり先を急がないでね
いろんな人に巡り会えたね そんな旅なら悪くはないさ
オリンポスの丘の上から 女神様の歌が聞こえた
夢を追い続ける もっと遠くへ行く でもどうしてかな いつもみんなにいて欲しい
一番星よりも夏の星座が好き 君がいれば夜を越えて銀河になれる
君がいれば夜を越えて銀河になれる 君がいれば夜を越えて銀河になれる
『夢追い人』(ゆめおいびと)[1]は、同高校の校歌である。作詞作曲は中日新聞論説委員の飯尾歩[2]。監修は至学館大学学長の谷岡郁子[3]。歌っているのは清本りつ子[4]。
校歌としては珍しくフォークソング調[5]・ポップ調[2]の旋律である。歌詞も「カシオペア」「オリンポス」といった横文字を交えた現代的な言葉遣いで[5]書かれており、歌詞中には「至学館」の校名が一切出てこない[2]。
本来は校歌として制作されたものではなく、飯尾が取材を通じて交流のあった女子レスリングの伊調姉妹(伊調千春・伊調馨)と吉田沙保里が、2004年のアテネオリンピックでメダルを獲得したことを祝して制作されたものだった。その後2005年、中京女子大学付属高等学校が共学化する際、校歌が良妻賢母を基調にした歌詞だったため、共学校にふさわしいものをと模索していたところ、先述の選手が至学館大学(中京女子大学)出身だったことなどが契機となり、この曲が高校関係者の目に留まり、同曲を校歌にすることを決めている[5]。
歌詞のベースは、銀メダルに終わり失意のうちにあった伊調千春を、同じくバレーボールでオリンピックを目指しながらも怪我で断念・引退せざるを得なくなった親友から励まされて、再びレスリングを始めることを決意するというエピソードから。飯尾は、周りで支えてくれる人の大切さを込めたかったと語っている[5]。