甲子園で慶應高校は久しぶりに勝利を勝ち取った。どうやら10年ぶりの甲子園での勝利のようだ。甲子園の大会では、試合終了後、勝利チームの校歌が流される。私は今日まで知らなかったが、大学の塾歌と高校の校歌が同じだった。当たり前?一部の方?多くの方?が慶應の校歌は応援歌である「若き血」だと思っていらっしゃるが、実は慶應義塾塾歌というものがある。(富田正文作詞、信時潔作曲/昭15)私個人的には、若き血より塾歌の方が好きである。
野球はほとんど見ないのだが、
たまたまタイミングもあったので、
慶應高校対中越高校の試合を途中から観戦した。
慶応高校は兄貴の母校であり、
私も自分が通った大学の付属高校であり、
小学校の同級生にも、
確か、2・3人がこの高校に進学した。
だから愛着もあるし、何かにつけ気になる高校である。
下に貼り付けたニュースを見てもらうと少し判ると思うが、
最近何かと話題となる、
スポーツ界における悪しき習わしと言うか、
昔からの前時代的、体制。
選手の自主性は認めず、
監督やコーチ、上級生の言うことは絶対。
逆らう事の許されない、体質。
それが、少なくとも排除されている慶應高校野球部。
そういう高校が、甲子園で勝ち上がってくれれば、
少しは指導者の考え方や、
何より選手や父兄や、学校自体に変化が現れるのでは?
少し期待している。
慶応高校も優勝できなければ、
どこかで負けることになるけれど、
古い考えの人たちは、
その時、だから優勝できないんだ!
と、留飲を下げるのだろうか?
権力を握った人は、その権力を手放したくないらしく、
変化を嫌うし、何より、勝利至上主義を前面に出し、
勝つために何をしてもいい?
あるいは、選手の自主性に委ねることに恐怖を感じている?
選手の将来を願うふりをする人もいるが、
結局は今の(自分の)結果だけを求める。
どこかで変わって欲しいのだが。
実は、先日のソフトテニスのあるペアは、
最後のマッチポイントで、
本当はアウトボールをインと判定され、
負けてしまった。
悔しかったと思う。
でも、そこで、それを言い訳にしなかった。
それが私の誇りである。
10年ぶりVの慶応、異色の監督が毎試合掲げた四字熟語
朝日新聞デジタル 山口裕起 2018年7月30日19時39分
(30日、高校野球北神奈川大会決勝 慶応7―5桐光学園)
第2回大会で全国制覇した慶応が、激戦区の北神奈川を制して節目の100回大会の甲子園出場を決めた。「エンジョイ・ベースボール」を掲げて自主性を重んじる伝統校は、練習の大半を自主練習にあてている。自ら考えて練習し、実践することが野球を楽しむことにつながるからだ。
この日も試合中、打席に立った打者は仲間に相手投手の球質などをすぐに報告。「変化球が浮いてきたぞ」「初球を狙え」などと選手同士で声をかけ合い、控えメンバーもベンチから相手の癖を探そうと目をこらす。自分たちで工夫しながら勝利をたぐり寄せていった。
2015年に就任した森林貴彦監督は、その様子をベンチで頼もしそうに見つめていた。先発し、八回途中から右翼の守備に回っていたエースの生井惇己に再登板できるか確認した際には「いや、もう無理です」との返答があったという。
「ふつうなら、投げますと言う場面だろうけど、うちらしくていいじゃないですか」。そう笑い飛ばしながら、続けた。「生井は自分が投げない方が勝てると思ったのでしょう。選手たちがそれぞれ考えながらやってくれるので、僕は何もしていない。謙虚とかではなく、本当に」
そんな監督だが、大会中は試合ごとに、四字熟語で試合のテーマを選手たちに送っていた。「夏前に『意思統一』と言ったら響いたので、大会中も1試合に一つできるんじゃないかと思いまして」。東海大相模との準決勝の前には「不撓不屈」のテーマを掲げ、この日の決勝は「初志貫徹」。「野球を始めたころの志や甲子園への憧れを最後まで貫いてプレーしてほしい」との思いからだった。
主将の下山悠介は言う。「監督はすごく僕らのことを見てくれている。熱い人」。慶応幼稚舎で小学4年の担任をしながら監督を務める異色の指揮官に率いられ、チームは10年ぶりの夏の甲子園に臨む。(山口裕起)
慶應義塾・塾歌 ー 慶應義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱団
野球はほとんど見ないのだが、
たまたまタイミングもあったので、
慶應高校対中越高校の試合を途中から観戦した。
慶応高校は兄貴の母校であり、
私も自分が通った大学の付属高校であり、
小学校の同級生にも、
確か、2・3人がこの高校に進学した。
だから愛着もあるし、何かにつけ気になる高校である。
下に貼り付けたニュースを見てもらうと少し判ると思うが、
最近何かと話題となる、
スポーツ界における悪しき習わしと言うか、
昔からの前時代的、体制。
選手の自主性は認めず、
監督やコーチ、上級生の言うことは絶対。
逆らう事の許されない、体質。
それが、少なくとも排除されている慶應高校野球部。
そういう高校が、甲子園で勝ち上がってくれれば、
少しは指導者の考え方や、
何より選手や父兄や、学校自体に変化が現れるのでは?
少し期待している。
慶応高校も優勝できなければ、
どこかで負けることになるけれど、
古い考えの人たちは、
その時、だから優勝できないんだ!
と、留飲を下げるのだろうか?
権力を握った人は、その権力を手放したくないらしく、
変化を嫌うし、何より、勝利至上主義を前面に出し、
勝つために何をしてもいい?
あるいは、選手の自主性に委ねることに恐怖を感じている?
選手の将来を願うふりをする人もいるが、
結局は今の(自分の)結果だけを求める。
どこかで変わって欲しいのだが。
実は、先日のソフトテニスのあるペアは、
最後のマッチポイントで、
本当はアウトボールをインと判定され、
負けてしまった。
悔しかったと思う。
でも、そこで、それを言い訳にしなかった。
それが私の誇りである。
10年ぶりVの慶応、異色の監督が毎試合掲げた四字熟語
朝日新聞デジタル 山口裕起 2018年7月30日19時39分
(30日、高校野球北神奈川大会決勝 慶応7―5桐光学園)
第2回大会で全国制覇した慶応が、激戦区の北神奈川を制して節目の100回大会の甲子園出場を決めた。「エンジョイ・ベースボール」を掲げて自主性を重んじる伝統校は、練習の大半を自主練習にあてている。自ら考えて練習し、実践することが野球を楽しむことにつながるからだ。
この日も試合中、打席に立った打者は仲間に相手投手の球質などをすぐに報告。「変化球が浮いてきたぞ」「初球を狙え」などと選手同士で声をかけ合い、控えメンバーもベンチから相手の癖を探そうと目をこらす。自分たちで工夫しながら勝利をたぐり寄せていった。
2015年に就任した森林貴彦監督は、その様子をベンチで頼もしそうに見つめていた。先発し、八回途中から右翼の守備に回っていたエースの生井惇己に再登板できるか確認した際には「いや、もう無理です」との返答があったという。
「ふつうなら、投げますと言う場面だろうけど、うちらしくていいじゃないですか」。そう笑い飛ばしながら、続けた。「生井は自分が投げない方が勝てると思ったのでしょう。選手たちがそれぞれ考えながらやってくれるので、僕は何もしていない。謙虚とかではなく、本当に」
そんな監督だが、大会中は試合ごとに、四字熟語で試合のテーマを選手たちに送っていた。「夏前に『意思統一』と言ったら響いたので、大会中も1試合に一つできるんじゃないかと思いまして」。東海大相模との準決勝の前には「不撓不屈」のテーマを掲げ、この日の決勝は「初志貫徹」。「野球を始めたころの志や甲子園への憧れを最後まで貫いてプレーしてほしい」との思いからだった。
主将の下山悠介は言う。「監督はすごく僕らのことを見てくれている。熱い人」。慶応幼稚舎で小学4年の担任をしながら監督を務める異色の指揮官に率いられ、チームは10年ぶりの夏の甲子園に臨む。(山口裕起)
慶應義塾・塾歌 ー 慶應義塾ワグネル・ソサイエティー男声合唱団