日本医師会のホームページに、年齢別?基本的な基礎代謝量が表になっています。数式としては基礎代謝基準値×該当年齢の平均体重らしく、私は66才なので、21.6×65キロで1400キロカロリーとなるようです。奥様は多分1110キロカロリー。この二つの数値は一般的な目安で、実際に測った数値ではありません。しっかり聞いていませんが、チョ▪ナンボウは先日どこかで測ってもらったようで、その数値は2200キロカロリーを越えていたようです。チョッとビックリでした。
今日もネタ切れなので、無理矢理「なでしこジャパン」の話題です。
先日、池田太監督の後任が決まりました。
確か12月12日に発表されているので、
ネットで紹介でもされていますし、
YOUTUBEでも色々な方が情報をUPして下さっています。
私がニールセン監督について新情報を持っているハズもなく、
情報と言うよりは感想や期待することを少し書きたいと思います。
なでしこジャパン(日本女子代表)監督にニルス・ニールセン氏が就任
なでしこジャパン新監督、ニルス・ニールセン氏はどんな人? デンマーク史上最高成績を達成、長谷川唯の所属クラブTDも経験
ニールセン監督を語る上で、
取り敢えずキャッチフレーズになっているのが、
「初めての外国人監督」ですね。
そもそも昔は女子サッカーすら無かった時代があり、
歴史も浅く、
日本女子サッカーにおける初の国際試合と言えば、
1977年のアジア女子選手権に、
FCジンナンの選手たちが「日本代表」として参加したのが最初の様です。
このFCジンナンと言うチームの事は今日初めて知りました。
1972年に誕生した日本の女子サッカーで初のクラブチーム。日本サッカー協会の女性事務局員が「週刊サッカーマガジン」誌上でのメンバー公募などにより呼びかけ、これを見た高校生や社会人などにより結成された。
そうです。
こんなチームが日本代表として出場したのですから驚きです。
ジンナンと言うと、すぐ東京都渋谷区神南を思い出しますが、
チーム名の由来も、正しく(まさしく)ここから取ったようで、
日本スポーツ協会(旧・日本体育協会)を始め、
日本の主なスポーツ競技団体が本部事務所を置く、
日本スポーツ界の総本山とも称された、
岸記念体育会館があったのがこの渋谷区神南。
この監督の元、1981年にイタリアと親善試合?を行い、
0-9で敗れ、これが日本代表の歴史で最大の点差での敗戦の様です。
その後、一時期?一瞬?1984年10月に、
中国遠征のために1981年以来3年ぶりに、
日本女子サッカー代表編成され、
折井孝男氏が日本代表の指揮を執ったので監督就任と言えるのかな?
この頃の女子サッカーは、
今のなでしこジャパンとは比較にならない冷遇時代だったんですよね。
その後、1986年、鈴木良平氏が初の専任代表監督として就任。
1989年から1996年までは鈴木保氏が日本女子代表監督を務め、
1997年から1999年まで宮内聡氏が日本女子代表の監督を務めました。
その後、一時期?一瞬?鈴木保監督となった後、
2000年5月から2002年4月まで
池田司信(池田しのぶ)氏が監督を務めました。
2002年8月から2004年9月まで上田栄治氏が監督に就任。
2004年11月から2007年11月まで大橋浩司氏が就任。
2007年12月から2016年3月まで佐々木則夫氏が就任。
2016年4月から2021年8月まで高倉麻子氏が就任。
2021年10月から2024年8月まで池田太監督が就任。
その後1試合のみ佐々木則夫氏が監督代行を務め、
今般ニール・ニールセン監督が就任することとなりました。
監督としての成績は、
佐々木監督が127試合で81勝17引き分け29敗、
勝率は63.78%でトップです。
2位は大橋浩司監督で44試合27勝6引き分け11敗、
勝率は61.36%。
実は池田太監督も全く同じ成績で、44試合27勝6引き分け11敗、
勝率は61.36%でした。
ニールセン監督の成績はどうなるのでしょうか?
楽しみですね。
本当は期待する事まで書きたかったのですが、
長くなるのでまた今度期待することを書きたいのですが、
私のことなのでいつになるやら?
結局忘れてしまう可能性の方が大きいかも。がんばれなでしこジャパンです!