もう9月も半ばを過ぎ、もうちょっとすれば正月を迎えてしまうのでしょう。毎年書いている月日の過ぎる速度と言うか、年を取って、どんどん余命が短くなっていく感覚。この世に未練はないので、今日ポックリいっても後悔はしませんが、まだもう少し寿命が残っているのであれば、元気で過ごしたいと思います。既に持病は盛りだくさんなので、寝たきりにならなければ良しとします。どうなることやら。
東レパンパシフィックオープンは、
本日の午後に行われる大坂選手以外、全員敗退となりました。
日本で行われるテニスの大きな大会は、
この東レパンパシフィックオープンとジャパンオープンです。
東レパンパシフィックオープンは、
1973年に初めてプロテニスサーキットとしてスタートした、
「東レシルックトーナメント」が、1984年に、
「東レ パン・パシフィック・テニス」と名を変えて今に至ります。
歴代優勝者には、サヴァティーニ、ナブラチロワ、グラフ、
ダベンポート、ヒンギス、シャラポア、伊達公子、大坂なおみ等々(敬称略)、
そうそうたるメンバーがいます。
なお、ジャパンオープンは、1972年から始まり、
かつては日本テニス界の聖地田園調布コロシアムが舞台でした。
私も1980年に見に行き、このときの優勝者はレンドルでした。
ポケットにおが屑を入れていて、
それを滑り止めにしていたのが印象的でした。
当時から主流となっていた両手バックハンドではなく、
片手で打つバックハンドはむしろ新鮮でした。
この大会も優勝者はニューカム、ローズウォール、から、
マッケンロー、サンプラス、フェデラー、ナダル、
錦織、マリーワウリンカ、ジョコビッチ、メドベージェフ等々、
すごい面子が日本で見ることが出来たわけです。
女子も沢松和子、グーラゴング、アン清村、伊達公子、杉山愛、
セレシュ、シャラポア、等々。
懐かしい名前もいらっしゃいました。
アン清村さんの事覚えている人どれくらいいるのか?
1975年に沢松和子選手と組んだ女子ダブルスでウィンブルドンで優勝。
日本人初の優勝の沢松和子さんのパートーナーとして、
日本人には重要な選手であり、歴史に名を残しています。
大坂選手には頑張って欲しいのですが、
かなり調子を崩しているので、
何とか復調の切っ掛けを掴んで欲しいですね。
柴原選手は、初戦敗退であり、パートナーは初めて組む選手でした。
今後、青山選手のように永く組み、
良い結果を出せる相性の良い相手を見つけて欲しいものです。
さて、今年の目標である年間読書150冊。
203冊目です(今年264日目)
「黙契 交代寄合伊那衆異聞8」佐伯泰英
勝手に評価10点満点中6点
二月の謹慎中にひそかに玲奈と渡った清国で、剣豪旗本座光寺藤之助は幕府存亡の危機を自覚する。蟄居あけを総出で祝福してくれた長崎への藤之助なりの答礼は、町じゅうを敵に廻す大目付大久保純友との対決!そして江戸帰還を前に、玲奈と交わす二人きりの儀式とは!?疾風シリーズ第8弾。
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