4年前に訪れた時の池田矼
きれいに草が取り除かれた石橋
輪石も壁石も琉球石灰岩で組まれている
宮古近海の多良間島、伊良部島、大神島以外に
3度訪れた宮古で毎回のように池田矼に足を運んだが、
今までは灌木や雑草に覆われて石橋を確認するだけで、
こうしてその全貌がハッキリと見えたのは今回が初めてである。
宮古島の下地の製糖工場の横に石橋の池田矼 ( いけだばし ) がある。
池田矼は、沖縄県宮古島市の崎田川に架かるアーチ橋で、
1977年7月1日に沖縄県の史跡に指定されており、
日本百名橋の番外の1つでもある。
言い伝えによると、明朝の生徳年間 ( 1506年 - 1521年 ) に、
平良から洲鎌、上地、与那覇に通じる道の一部である
下地矼道 ( しもじばすうんつ ) とともに石橋も造ったが、
大雨で流されたとされる。
これが今日の池田矼の前身ならば、約500年の歴史があることになる。
『 雍正日記 』 には 「 池田矼、南北長20間、
横3間、高サ9尺5寸村北ノ潟陸原ニアリ 」 と池田矼の記述があることから、
遅くとも1727年 ( 雍正5年 ) には存在していた。
また、『宮古島在番記』には、1817年 ( 嘉慶22年 ) に
下地矼道とともに修復したという記述がある。