今日、火野正平さんの突然の訃報に耳を疑った。
いつも楽しみにしていた「こころ旅」
今秋は腰の調子が良くないのでピンチヒッターで「こころ旅」が放送された。
そのうち復帰してまたスタッフと一緒に走るだろうと楽しみにしていたが、
帰らぬ人となってしまった。
大好きだった火野正平さんがもう見れなくなるのかと思うと全身の力が抜けてしまい
なにもやる気がなくなった。
いまから3~4年前に「こころ旅」に手紙を書いたことがある。
徳島県の思い出の手紙だったが、不採用で読まれることはなかった。
「風の小松島競輪場」という題の手紙である。
正平さん、チャリオくん。そしてスタッフのみなさん。
いつも「こころ旅」を楽しみに見ています。
私の心に残る風景(匂い)は、小松島競輪場です。
私は26年間、全国の競輪場をめぐり、銀輪を輝かせバンクの中を疾走していました。
その昔、徳島県の小松島競輪場によく参加していました。
優勝レースに出走すると、最終レースのため車券の発売締め切りを延長して
発走時間が遅れていました。
それでなくても飛行機の出発時間がギリギリだったので、
ゴールをすると、そのまま敢闘門から選手の通用門を通り、
家路を急ぐ多くのファンの間を縫うようにして小松島市役所に待機させたタクシーまで
レーサーを漕いで行きました。
もちろん敢闘門付近で着ていたユニホームとヘルメットカバーを脱いで来るのですが、
ヘルメットもレーサーパンツもレーサーシューズも、そのまま・・・
市役所に到着するとヘルメットとレーサーシューズを脱ぎ、
自転車の前輪と後輪を外してタクシーのトランクに詰めて空港に直行するのです。
タクシーの中で流れる汗を拭き拭き、レーサーパンツの上からトレパンを穿き、
空港に到着すると、待ち構えていた後輩たちがトランクから出した自転車を輪行バッグに詰め、
その間に搭乗手続きをするという、レースよりもハードな行程でした。
そんな小松島競輪場は全国の競輪場のなかでも風が強く、
バックストレッチで観戦している参加選手の前を通過する選手があまりの風の強さで
ヨレヨレになるほどでしたが、そんな風も朝のうちは弱く、
ホームストレッチから吹く風に乗って1コーナーから2コーナーにある木材工場の
ラワンの匂いが漂っていました。
その匂いが小松島競輪場の思い出です。
正平さん。もし可能であれば、小松島競輪場の向かい風を体験し、
匂いを嗅いでみてください。