井持浦教会は五島の他の教会と同じく江戸時代末期に大村藩から
五島に移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まりました。
井持浦教会の建っている玉之浦一帯は、
五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。
地元の伝承によると、大村藩が側近のキリシタン鶴田沢右衛門を五島に流刑にしたところ、
五島の藩主は領地であった玉之浦の立谷(大宝寺所有)を与え、
ここに住むことを許しました。
また玉之浦地区は島の中心地から非常に遠隔の地理的条件もあり、
キリシタンの探索や迫害を逃れた理由ではないかのことです。
当時、玉之浦湾の漁獲物を塩漬けにするための塩の生産が
藩の財政を潤す重要な産業となっていましたが、
これに従事していたのが潜伏キリシタンであったことなども
迫害を逃れた要因ではないかと伝えられています。
明治30年(1897年)、全五島の宣教と司牧を委ねられた
フランス人宣教師ペルー師の指導によりリブ・ヴォールト天井を有する
レンガ造りの立派な教会が建設されました。
島内における木造からレンガ造りへの移行のはしりと位置付けられた教会です。